見出し画像

野茂英雄の思い出

本日も松本は日中が気温が高かったものの、夕立ちもあって湿り気がありました。暑さ対策の為、長袖作業服の下を半袖の黒Tシャツにしたつもりが、素材がHEATTECHだった為、室内にいると逆にポカポカしてしまって大失敗でした。

さて前段はこれくらいにして、本日は、『野茂英雄の思い出』というテーマで語ります。

海外で活躍する日本人の代表格

自分と同い年生まれの野茂英雄投手は、日本のプロ野球選手に、MLBで活躍するという新たな道を切り拓いたパイオニアであり、数々の記録によって記憶されるべき偉大な選手です。

日本球界を代表する投手

野茂氏は、1989年のドラフト会議で史上最多の8球団から1位指名を受けています。入団した近鉄バッファローズでは、ルーキーだった1990年シーズンでいきなり投手四冠(最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率)を獲得する活躍を見せました。打者に背中を見せる独特の投球フォームは『トルネード投法』と呼ばれて、社会現象にもなりました。1993年まで四年連続で、最多勝と最多奪三振のタイトルを獲得しています。清原和博選手(西武)や落合博満選手(ロッテ)、門田博光選手(オリックス/ダイエー)ら、球界を代表するスラッガーたちとの真剣勝負は見応えがありました。

衝撃のMLB移籍

野茂氏がMLBのロサンゼルス・ドジャースに移籍したのは、1995年シーズンからです。当時の球界を代表する投手が、所属球団からの任意引退を選択してMLBに移籍するというのは前代未聞で、大きな物議を醸しました。野茂氏のマスコミ嫌いは、この時の経験も影響していると言われます。

前年からのストライキの影響で、144試合に短縮された1995シーズンで、3完封を含む13勝6敗、防御率2.54、奪三振236(最多奪三振)を記録し、新人王を獲得しています。『トルネード』は米国でも大人気となります。

日本でメジャー挑戦に懐疑的だった人々を、結果を出すことで黙らせることに成功しました。周囲の評価は、批判から賞賛に変わりましたが、本人はクールな姿勢を崩しませんでした。

二度のノーヒッターを達成

野茂氏は、MLB在籍12シーズン(1995-2008、2006-2007は出場なし)で、二度のノーヒット・ノーランを達成しています。

一度目は、ロサンゼルス・ドジャース在籍中の1996/9/17、対コロラド・ロッキーズ戦、二度目は、ボストン・レッドソックス時代の2001/4/4、対ボルチモア・オリオールズ戦です。ナショナル・リーグとアメリカン・リーグの双方でノーヒッターを達成したのは史上四人目です。

二度ともアウェーゲームでの達成です。一度目のクアーズ・フィールドも、二度目のカムデン・ヤーズも打者有利(当時)とされてきたスタジアムでの記録であり、価値が高いと考えられています。また、一度目は降雨によって、二度目は球場の電気系統の故障によって、試合開始時間が遅延した試合での快挙です。一度目は、代名詞のトルネード投法を途中から封印し、セットポジションからの投球で達成したものです。この試合をNHK-BSで解説していたのが、MLBで活躍した日本人選手の元祖である村上雅則氏だったというのも、不思議な運命の巡り合わせです。

野武士の佇まい

日本のプロ野球をさほど好まない私ですが、野茂選手、イチロー選手、松坂選手、大谷選手ら、圧倒的な力量を有するヒーローには、無条件で惹かれてしまいます。とりわけ全盛期の野茂氏は、朴訥としていてあまり口数も多くなく、野武士のような佇まいをしていて、そこが物凄くカッコよく感じました。

野茂氏の全盛期をオンタイムで観ることができたのは、貴重な財産だと思っています。

サポートして頂けると大変励みになります。自分の綴る文章が少しでも読んでいただける方の日々の潤いになれば嬉しいです。