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何もせずに休息に充てる一日

本日は、何もする気が起きず、ひたすら部屋でごろごろと考えごとをしたり、次々と関心のあるテーマのYouTubeを観たりして過ごす一日でした。酒鬱(by 箕輪厚介氏)かもしれません。

短期的には、非生産的な時間を費やしたことになりますが、長い目で見れば、こうした生産性を無視した時間も自分の血肉になる筈‥と一旦はポジティブに受け止めて、日曜日を締め括ることにしようと思います。

平均ペースで走り続けることは難しい

できれば、貴重な週末はポジティブかつアクティブに気持ちを上げて過ごしたいものの、年に数回は気乗りのしないまま、非生産的な休日を過ごしてしまいます。外界の刺激を遮断し、肉体的活動と頭の活性化を拒否して何もしない一日は、振り返ると後悔はあるものの、現在地を確認する大切な休息となることも少なくありません。

日常生活では他人と比較されることに耐え、優劣評価を受けることから逃れられません。そういうことに神経を使ってしまって結構疲弊していることも多いので、回復に時間を使わざるを得ないと諦めています。私の場合、無理に無理を重ねていると必ずどこかでしっぺ返しが待っているので、過信せず早目に処置するようにしています。

タフではなくなった

私は平均よりも体力があり、健康に恵まれていると思っています。これまで幸いにも大病や大怪我には見舞われることなく、ここまでやってこれたのは素養に加えて、幸運だったからです。決して健康管理や養生に力を注いできたわけでもなく、どちらかと言えば無防備に過ごしてきました。

ただ、若い頃に比較すれば、肉体的にも精神的にもタフではなくなったという自覚はあり、衰えは隠せません。粘りとか執着心、忍耐力とか継続力も確実に弱くなっています。成長意欲や創意工夫、自主独立の気概も確実に下がっているでしょう。総じて人間としての社会的価値が低下していることは認めざるを得ません。年々社会のお荷物化していくのは避けられないことに一抹の寂しさを感じます。今後益々老人には風当たりが強い社会になりそうな予感があるので、結構な不安ではあります。

ただ、そんな自分を自己否定して叱咤激励するのは程々にして、寛容な精神で自己肯定感を保つ努力を続けるようにしています。現実逃避ではなく、現実受容する時間があってもいいだろうと緩く考えています。

何もしない勇気

今日は、何もしない勇気を実行したので、明日は、前向きに何かをする日にしたいなあと思います。

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