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楽天IR戦記 第1章(7)エクイティ・ストーリー

 増資発表の翌日から投資家回りであるロードショーが始まる予定です。目論見書は日本語ですが、投資家に見せるプレゼンテーション資料は日英両方で作成します。証券会社の投資銀行*部が目論見書や過去のIR資料をベースに

 「これなら投資家に売れる」

 という観点でストーリーを作成し、会社(株式を発行する母体なので「発行体」と呼びます)と共同で資料を作り上げます。これをエクイティ・ストーリーと言います。私はプレゼンテーション資料には全面的に関与することになりました。 「たたき台となるドラフトを作成したので打ち合せをさせてください」。発表の1カ月ほど前、2月に入るか入らないかという時期に投資銀行の担当者から連絡がありました。その頃IR室が立ち上がりました。室長に就任したのは、元主幹事証券会社の楽天担当で、その縁で数年前に楽天に転職した方です。ところが転職以来ずっとEC事業に所属していて、これで証券会社時代の経験を生かせることになりそうだと喜んでいました。実直な雰囲気の室長と私のふたりだけがIR室の社員です。のちに派遣社員がひとり加わります。 

 投資銀行からの打ち合せ要請をIR室長と経営企画室長にお伝えすると、「まだ早いんじゃない? 2月16日発表の第4四半期の決算資料もまだできていないし」という返事。私も前回の決算発表の経緯から、そう思いましたが、今の段階でも一度お話したいという強いリクエストがあり、まずは事前に送付してもらうことにしました。定性的な戦略を説明するスライドが十枚弱、それに連結業績のまとめ、各セグメントの業績トレンドなどの定量面が十数枚という典型的なものが送られてきました。

  経営企画室長の気のないコメントがありました。 「うーん、まあ、悪くないんだけどねえ。三木谷さんが何て言うかな」
 三木谷さんの戦略思想をもっともよく理解していると思われる人がわからないなら誰もわかりません。それでもいくつかコメントを返し、修正してもらいました。決算発表を経て、定量面が具体的となり、打ち合せも経て、ロードショーの資料が徐々に完成に向かっているように見えます。ですが、三木谷さんがまだ見ていない状況では、どれだけ変更があるのか不明です。そのための時間を取ろうにも、忙しくてなかなか予定が決まりません。結局、またしてもローンチから数日前にコメントをもらうことになりました。

 三木谷さんからの追加の指示は、ビジネスモデルの概念図、ブランドコンセプト、経営陣などのスライドの追加修正に加えて、海外の人に馴染みの薄い楽天のサービスの紹介を1サービス1スライドずつ作る、というものになりました。それらのサービスのほとんどが国内では何らかの指標で上位にランクされるものだったので、そのデータも付けました。追加スライドは十数枚となりました。いつもの決算発表資料と違い、弁護士のチェックや英訳が必要なので、時間的に本当にギリギリです。
 入社5カ月が経過した私はようやく戦力になり、数日の間で社内外の多くの人々の助けを借りながら作りました。証券会社や弁護士にとっては想定外の修正量だったようですが、よくついてきてくれたと思います。社内ではプロジェクトメンバーの財務経理部はもちろん、社長室や経営企画室のスタッフには随分助けられました。 この時のロードショー資料に織り込まれた内容は、 

「EC 楽天市場 国内第1位(取扱高)」
 「旅行予約 楽天トラベル 国内第1位(取扱高)」
 「ポータルサイト 楽天インフォシーク 国内第2位(プロパティ リーチベース)」
 「インターネット証券 楽天証券 国内第2位(1日当たり平均取引数)」

 以上のようなデータが、ウェブサイトのイメージや提携パートナー数とともに、1事業1スライド、次々と続きます。単に強い事業の羅列というだけではなく、ブランド、会員ID、データベースが統一されていることでシナジーがあることを強調します。

 「楽天会員 1870万人(前年比2.3倍)」
 「国内ブランドランキング 19位(前年32位 前々年167位)」

 これらに好調な業績を付け加えました。

 「連結売上高 1298億円(前年比2.8倍)」
 「連結経常利益 358億円(前年比2.3倍)」

  ひと言でいうと、トラックレコード*、つまり実績を強調したプレゼンテーションです。 当初目指していた「放送とインターネットの融合」のような革命的なビジョン(妄想)は描けませんでしたが、すでにあるEC、ポータルサイト、旅行予約、証券などの各事業の国内市場での競争優位性と実績に加えて、この1年で加わったクレジットカードやプロ野球も含め、多様なビジネスがどうシナジーを形成し価値を創造するのかを表現し、海外事業の可能性も示唆するようなロードショー資料が出来上がりました。

 「うんうん、よく出来ている」
 三木谷さんが、自ら印刷したものをコピー機に取りに行った帰りに、私の席の横を通り過ぎながら顔を上げずに資料を見てつぶやきました。全部三木谷さんの指示に従っただけなのですが、少しは役に立てたかと胸を撫で下ろしました。 

次回「いざロードショーへ」に続く

*投資銀行:主として法人向けの資金調達や M&Aなどへの金融サービスを提 供する専門家集団で、証券会社においては「投資銀行部」と呼ばれる一つの部門。

*トラックレコード:過去の実績や履歴のことをいう。 ビジョンや中期目標だけでなく、 業績やKPIなどでの過去実績を用いて投資家を納得させる材料。

IR(インベスター・リレーションズ)の経験などに基づいたテーマで記事を書いています。幅広い層のビジネスパーソンにも読んでもらえたら嬉しく思います!