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歴史を勉強する私たち

今日、学校から帰ってるときに坂道でお母さんと一緒に自転車を押してあげる子どもを見てなんかほっこりしました。地球のみなさんこんにちは。暇つぶしに来ました。今回は何を書こうかな。


歴史の利益

歴史とは

現代に生きる人類は多分須らく、歴史について学ぶことがあると思います。歴史の授業が好きな人、嫌いな人は様々ですが、学んだことのない人はこの世にいるのでしょうか。学校に行くことのできない人でさえ、身の回りの歴史について知るであろうことは想像に難くないですよね。

さて、我々はどうしてこんなにも「歴史」を重要視している節があるのでしょうか。Historyの語源をググってみると、古代ギリシア語の"ἱστορία" (historia)がもとになっているようです。あれ、今どうして古代語に戻ったのですかね。不思議です。

我々が生きている世界と言われて、物理的に今存在するものだけを指すのもあながち間違いではないと思います。でも、本当にそうでしょうか。記憶の中で生き続けることだってたくさんあります。

情報

私たちが過去のことを知る術は、情報を得ることにあると思います。自分の記憶を呼び起こすこと、他人から話を聞くこと、本を読むことはいずれも何かしらの情報を入手しています。過去の体験も今となっては情報に過ぎません。ついでに、未来に関する情報も入手できそうですね。

このままいくと「情報とは何か」、みたいな話になって本流から逸れてしまうので、歴史に戻りましょう。人間は、どうして歴史を教えるのでしょうか。どうして歴史を教わるのでしょうか。どうして歴史を教えたがるのでしょうか。

人間を知る

文科省の方針である、みたいなつまらない答えはしたくないので、僕なりの考察をまとめます。一つは、人間の本質がそこにあるからだと思います。本質とかかっこつけて言い出しましたが、それが何かは正直よく分かりません。でも、世界中の人類が共通してやっていることは、「人間とは」何かを説明するときの材料になるのではないでしょうか。

もう一つの考えとして、歴史を学ぶことが「役に立つ」というものを挙げてみます。暗記勢のみなさんはとっととブラウザバックしてください。歴史を学ぶことは自分の、ひいてはみんなの利益になると思います。ここが今回の肝です。例を出してみましょう。

例をあげるにあたって、歴史の再定義をしたいと思います。先ほどの考えから、「人間を知る」ことを歴史が内包する意味に加えてみましょう。では、歴史はどんな場面で役に立つでしょうか。例えば、外交。相手(の国)のことを知っていれば、アプローチの方法が自ずと分かるはずです。相手を理解することは人間関係にも発展させられます(させたいです)。次に仕事。学生の身分で仕事を偉そうに語るのもなんですが、様々な事象のバックグラウンドに対する理解を深めることは、直接的にしろ間接的にしろ、将来的に利益を生み出します。多分。もっと身近なことでいえば、自分を見つめなおすことにも役立ちます。自分が生きている世界のことを知るとそれだけで楽になると思いますし、新たな発見も期待できます。

まとめ

僕がここで述べている「歴史」は、ある意味「予備知識」を言い換えただけかもしれません。情報を知っていることと知らないことには大きな差があると言いたかった、のかもしれません。戦争は情報戦というように(いうのか?)、情報のおかげで有利になることはたくさんあります。しかし、情報には有害なものもあふれています。つまり、歴史を勉強することは自身の中にフィルターを形成することと等価と言えるでしょう。みなさんには憲法によって(?)様々な自由が与えられているので何をしてもよいと思いますが、予備知識を手に入れることくらいはいつも欠かさないようにしておくと得するのではないでしょうか。

歴史を専攻しているわけでもないのにでしゃばり過ぎましたが、この辺でお開きにさせてください。眠い。ではまた。Adiós, amigos.



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