「安楽死の特集番組をみて」

※暗いし長いのでお忙しい方読み飛ばし推奨
最近お友達になったアナタ。そう、市川は「バカ」と「病気」と「根暗」でできていますので
たまにこんな記事があがります!ご免!

先週私の頭の中を占めていたのは、毎週濃厚なキスシーンが出る異色の大河ドラマ、ではなくて、安楽死を扱ったTBS「報道特集」だ。
簡単に内容を書くとこうだ。
・海外では承認されている安楽死の概要
・安楽死を海外に求めるいくつかの日本人のケース

特に対比された2つのケースが印象的だった。
致死ではないが、痛みを伴う神経系の難病を患う女性のケース。
家族運なく、早くに独立し海外へ渡り一人で生きてきた女性。
齢50で婚約者を得るも、そこで難病が発覚して破談。
日本に戻り親の介護を終え、進行性の自分の病を考えた時に、自分で動けるうちにと、語学を生かして手続きをし、
元婚約者との思い出の地スイスでの安楽死と散骨を希望。
 これだけでも、TV映えする要素役満なのに、まだ運命は彼女を叩き落す。
最期の看取りを引き受けてくれていたスイス在住の元婚約者が前日になって断ってきた。
彼女はそれでも動じず、
「私が幸せだった地で最期を迎えて、二人で歩いたこの景色に眠るのでよいのです」
と、予定通りに安楽死を迎える。
鼻筋の通った美しい横顔は白く、そのまま透き通ってしまいそうだった。
 救命の装置もなく、看護婦も居ない、明るい日差しの入る簡素な病室のベッド。
担当医師が最後に決断に揺ぎがないかを確認。
安楽死の薬剤の入った点滴バルブを自分であける。
病のためそれまでは持っていた手が震えて管が大きく弧を描いて揺れていたのが、その瞬間まるで死出を促すかのように、震えが止まり、彼女はしっかりと力を込めてバルブをオンに切り替えた。
医師とカメラクルーだけが見守る穏やかな旅立ちだった。
自分の境遇を、最後に裏切った元婚約者を恨まなかったのだろうか?
人に頼らず努力してきても襲われる数々の不幸を呪わなかったのだろうか?
自分自身で自分の処分をしなければならない運命を。
家や財産、アルバムや自分の持ち物を処分し、スイスへの片道の飛行機に乗るまでの彼女を想像して胸がつぶれる思いだった。
自分の死後編集され放映されるVTRを彼女は見ない。
 どんな内容なのかどんな反響なのかは、もう彼女にはどうでもよい事なのだろう。
あまりの潔さと悲しさに、自分が撒かれる湖の前で撮られた美しい横顔が目に焼き付いて離れない。

その後に流れたのは30代くらいの、四肢に麻痺を抱えた女性のケース。
両親の介助がないと生活ができない。
生きる意味を見失っていること、親の人生を介護だけで終わらせてしまう事への罪悪感と、親が死んだ後自分が置かれる境遇への危惧が理由での安楽死の希望だ。
「自分の事だけ考えれば、100パー安楽死だけど、親が悲しむことを想うと少し躊躇する」というようなことを
何度か言っているが、安楽死の手続きは進み、医師のokも出る。
共にスイスに入った父親も何度の止めている。
この状態(病気のレベルと本人の意思の揺らぎ)でも安楽死に進んでいくという、この仕組みに少し怖さを感じながら見入る。
 前述の女性がとった点滴での安楽死薬の注入ではなく、液体の経口摂取を選択した。
このあたりは自由に選べるらしい。
いざその時。
 医師と父親とに見守れながら液体を口に含む。
 しかしその先呑み込めないのだ、どんなに力を入れても。
ついには吐き出して、医師により中止の宣告。 看護師により口腔内の洗浄となった。
抱き合って泣く親子に、医師が
「あなたはまだ死の準備ができていないわ」
と言うシーンでそのⅤは終わる。

経口摂取でうまく行くことはあるんだろうか?何口も死に至る薬を飲みこまなければならない。
その手段を選択した段階で、死の意思が定まってないと、安楽死施設側は見ているのだろうか?
だから洗浄までの過程がスムーズだったのだろうか?
 しかしこの親子は、この出来事によって生きていく決意を新たにするのだろう。
高い通過儀礼代にはなるが、必要な試練だったのかもしれない。

さて、日本に「安楽死」施設が実現できるだろうか?と考える。
この番組の構成自体が、安楽死に対する「日本人」的な考え方を反映しているのではないかと思う。
前者を良しとし、後者を潔くない者と捉える。それがほとんどの日本人ではないか?

日本は中世より「自死」というものを「潔いもの」とする思想がある。
責任を取る、無実を訴える、足手まといにならないために死ぬ、主の死に殉じる。
どれも美しいものとして文学・娯楽作品に繰り返しなるのは、そのせいだ。
一時期「自己責任」とい言葉が流行ったのもその表れだと思う。
 一方西洋の歴史では王や将兵の自死というのは格段に少ない。
ずっと戦争や革命をしているような中世ヨーロッパでも、
王族が断頭台で潔白を叫ぶことはあっても、それ以前に自死をすることはあまりない。
自死を禁じたキリスト教の影響は大きいだろうとも思う。

「報道特集」が取り上げた2例は、今の日本の社会福祉制度なら最底辺ながら生きて行けるレベルだが、
もし、安楽死制度が導入されれば、真っ先に「順番」を回される者たちだ。
制度が出来てしまえば、生きる権利だ尊厳だなどは吹き飛び、暗に、時には直接的に、安楽死への圧力がかかるだろう。
「今も自殺があるから変わらないじゃないか?」という声もあるが
制度があるとないでは天と地の差がある。

伝統的な家族制度から外れてしまった者、自分を支える能力や資産のない者、
本筋からこぼれてしまった者を救う機能が破綻し始めている日本で、安楽死導入論が進展していかないのは
日本の社会が本能的に、そうなった時の阿鼻叫喚な世界をどこかで予見してブレーキを踏んでいるからなのだろうか?

欧米ではその人自身の「生き方」の延長にある安楽死が、日本では潔い死の強制になるのは、歴史的背景から致し方がないとしても
自死を禁じるキリスト教圏では安楽死が進み、自死を文化ともする日本では遅滞しているのは
皮肉などではなく、日本人の精神性の未熟さの証明のような気さえする。

 首都圏では毎朝のようにある「人身事故」が、安楽死センター設置により消える日がくるのか?
「チッ! 人の迷惑考えろよ」という未熟なつぶやきが消えて訪れる、定刻通りの通勤電車に運ばれて
日本人はどこへ行くのだろうか?
・・・・・・・・・・・
我ながら 重い!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?