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Book Cover Challenge Day 5:姫野カオルコ『ツ、イ、ラ、ク』。

 「たくましくしなやかに生きる女性が登場する物語」をテーマに7冊の本を紹介しています。
今日は、姫野カオルコさんの『ツ、イ、ラ、ク』です。

それにしても、なんといかがわしいタイトル、なんと卑猥な感じの表紙でしょうか!
そんな我が愚かな先入観によって、長らく手に取らなかったのが、この小説です。

ところが、ふと表紙を開き、冒頭の数ページを読み進めただけで、私は自分の置かれている現実がたちまち背後に遠ざかっていくのを感じ、その物語世界にどっぷりと身も心も浸かってしまったのです。

なぜ、これほどまでに姫野作品にハマってしまったのだろう。要約するならば、女子中学生とその学校の教師の短き恋の話です。そんなたわいもない物語になぜ魅了されたのかと、自分に問うと、ふつふつと湧き上がるのは、語り手という単語です。

この小説は奇妙な語り手によって物語が語り進められます。それは、物語世界の住人として、登場人物に親身になり、寛大な言葉でもって物語を語る人物でありながら、それとは別の、つまり、私たちと同じ現実世界に留まりながら、できうる限り客観的な視座から時に冷徹な眼差しで登場人物の行動を裁断する人物でもあるという、不思議な立ち位置に置かれた語り手なのです。

そうした、全知の語り手のような第三人称でもありつつ、登場人物が語る第一人称の語り手に限りなく近しい立場でもある曖昧な存在の語りに導かれ、私は物語世界が目の前に立ち現れるような臨場感を抱きながらも、いやいや、これは虚構の話なのだという諦めとともに、身を切られるような悲しみを感じて、登場人物の恋のゆくえを追うのでした。

恋ほどに、生きることの充実感を味わうことができると同時に、絶望的な虚しさを感じる体験はないと、思慮の浅い私は思います。
だとしたら、そんな強烈な体験を十代のはじめに体験してしまった女性主人公のその後の人生はどのように展開していくのでしょう。

そのように浅ましい邪推をしてしまう私は、彼女のそれからの人生に何を想定し、期待しているのでしょうか。優しい伴侶?幸せな家庭?可愛げのある子供?素敵な庭のある家?しつけの行き届いた犬?そうした人やものを手に入れたとして、それらは彼女の人生を幸せへと導くのでしょうか。では、そもそも、人の幸せとは何なのでしょう?

そうした私の無知蒙昧を愚弄するかのように、語り手は恋する主人公たちを叱咤し、励まし続けるのです。

恋という、かりそめの時間に代えられるほどの質や量の体験があろうかと、語り手は哀れな恋人たちの愚行を慈しんでいるような気が私にはしてなりません。そればかりか、謎の語り手は、私が、物語の登場人物たちの行末に愚かしくも己の生/性を投影しても、そういうものかもしれないねと、やさしく受け止めてくれるようにも思えるのです。

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