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それは3秒ルールから # 清潔のマイルール

僕の子供の頃は、清潔、不潔、衛生、不衛生、そんな意識など皆無に等しかった。
除菌、殺菌グッズなどあるはずもない。
何かあっても、
「死なへん、死なへん」
その一言で、
「そうか、死なへんのやったら、まあええか」
とみんな納得してしまう。

コップの回し飲みは当たり前。
学校の石鹸も蜜柑の網袋に入れたのを、みんなで使う。
前の生徒の汚れた泡が残っていても気にしない。
水道の蛇口に直接口をつけてゴクゴク飲む。
「あー、うめー!」
4歳くらいの頃、テーブルにこぼしたジュースを父は、
「大丈夫、吸いなさい」
と言った。
決して虐待ではない。
さすがに僕はしなかったが、外で遊んでいる途中に喉が渇くと、水たまりの上の澄んだところを啜る猛者もいた。

小学校に入って4年、5年あたりに舞い込んできたのが、かの有名な「3秒ルール」だ。
食べ物を落としても、3秒以内に拾えば大丈夫というあれ。
どう考えたって、まともな人間のやることではないこのルールも、当時は真剣に、イチ、ニィ、サンと数えていた。
しかし、この「3秒ルール」が現れる以前はどうだったのか。
それまでは、拾って、ふっと吹いて、サッと払っておけば、何秒でも大丈夫だった。
母も、おばあちゃんも、おばちゃんも、もちろんおじさんも、ふっと吹いて、サッと払って、
「ほら、食べ」
そんなほのぼのと?した状況も、この「3秒ルール」の出現で一変する。
たとえ、ふっと吹いて、サッと払っても、この世界には食べてはいけないものが存在するのだ。
それは、この3秒という壁によって隔てられている。
3秒以内と以後の世界。
清潔な世界と不潔な世界。
つまり、何の科学的根拠もないと思われるこの「3秒ルール」によって、僕たちの頭の中には、清潔・不潔、衛生・不衛生という概念が生まれた。

たかが「3秒ルール」と侮るなかれ。
この「3秒ルール」から日本人の清潔に対する意識が始まったと言っても過言ではないのだ。
知らんけど。

さて、ここまでぶち上げておいて、僕の清潔に対するマイルールはというと、2つしかない。
外出から帰った時の手洗いとうがい。
これだけだが、中学生の頃から欠かしたことはない。
そのおかげか、これまでインフルエンザにも、コロナにもかかったことがない。

もちろん、今は外出時のマスク、施設や店の入り口での消毒、場合によっては検温。
これは、自分のためでもあり、周りの人がこれで安心するのならという思いもある。
清潔はまず自分のために。
続いて誰かのために。
できうれば、こころも常に清潔でありたい。

すべては「3秒ルール」から始まった。
知らんけど。

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