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亡くなった父親の話

病気を患い、認知症も進み、食事も喉を通らなくなった父が亡くなりました。
食欲旺盛、お酒も好きで、いつも何やらゴソゴソ作業していた父。
葬儀会場では、ご住職のお経を聞きながら、父との思い出をあれこれ考えていました。思い出したエピソードの一部を記事にしました。

父の仲間の家でモクズガニをもらった話

4歳か5歳の頃だと思う。父の故郷である朝来町の家に行った帰りに、実家でもらった大量の野菜や漬物、椎茸などを、仕事仲間の家におすそ分けに寄った事がありました。この時、お返しにモクズガニをもらったように記憶しています。仕事仲間のおじさんと一緒に河原におりたら、生簀があって、モクズガニがいっぱい入っていた。この時、川に住むデカくて毛むくじゃらのカニがモクズガニって言う事を知ったわけです。
また、別の日には、違う仲間の家に立ち寄り、その方の家の側にある大きな池でブラックバス釣りをした事もありました。釣れなかったけどね。
兎に角、誰かの家におすそ分けして帰っていたように思います。自宅用の野菜は無くなって、仲間から頂いた別の何かになってたのでしょう。貰ったカニがどうなったかは謎のままです。

父の仕事

父は、食品会社で製造機械のメンテナンスなどをする部署に所属していたようです。実のところ、父がどんな仕事をしていたのかはよく知りません。
夏祭りや運動会、BBQなど、昭和の企業らしく、家族を交えた色んなイベントがあった事を記憶しています。お土産をいっぱい貰えて楽しかった。
工場見学のイベントの時、工場内のいろんな機械を見学していると、仕事中の父に出会ったのですが、機械にズボンを引掛けて、尻が破けてパンツが丸見えになって焦っていたのを記憶しています。
父はいったい、どんな仕事していたのでしょうか?謎のままです。

会社の夏祭り

模擬店の担当者となった父は、『スーパーボールと雷魚を一緒に泳がせた模擬店はおもしろい』と思い付いたみたいで、よっピ―少年に、いい感じの大きさの雷魚を釣ってくるミッションを与えました。
父と公園の池に雷魚を捕まえに行ったけど、いいサイズの雷魚を捕まえる事ができなかった。当日、模擬店に行くと水槽に雷魚ではないけど小魚がスーパーボールと一緒に泳いでおりました。
もし雷魚だったら子供たちは大騒ぎだったね。

ある日の午後

家族で加古川のニチイへ買い物に行った帰りがけの加古川バイパスで、
父が突然、『一文字に釣りに行こう』と言い出しました。
船に乗って沖合の防波堤にはじめての夜釣りに連れて行ってもらいました。
普通のお父さんなら、子供が海に落ちたりしないように気を付けて見守ると思いますが、父は完全放任主義なので、さっさと自分の釣りを始めていました。この時の釣行はホントに楽しくて、詳しい仕掛けの図やら、なんやらかんやら旅日記を書いたほどです。
大きなメバルとガシラが大漁で、母に煮つけにしてもらったと記憶しています。

子ども会のキャンプ

父はどこからか伐ってきた竹を鉈や鋸で加工しはじめました。最初はコップ、そしてお箸、半分に割ったお皿、そして、竹の側面を取り外せる蓋に加工し、中に米を入れて、御飯を炊き始めた。
その日は定番メニューの飯盒炊さんとカレーだったけど、飯盒と一緒に竹でご飯を炊いてみせてくれました。しかし、その頃のよっピ―少年は、父が突飛な事をするのを知っていたので、また、『お父さんが変な事をやってる』って思っていたと思います。よその子達はすごく喜んでいたかもしれないです。
父の遺伝子を濃厚に受け継いだよっピ―は、父と同じ
『変な事をするおじさん』に成長しています。

高砂の市場

その頃の父は、鶏のささ身を刺身で喰う事にハマっていました。毎週、曽根の市場内の鶏肉専門店でささ身の刺身を買いに行っていました。よっピ―少年もついて行って市場をうろうろして、いろいろ物色して楽しかった記憶はあるけど、何か買ってもらった記憶がいっさいありません。
ボーナスをもらったら買ってやるって良く言ってたけど、父に何かを買って貰った事ってないと思うな。

私の好きな事の原点、すべては父に教えられた事だった

お父さん ありがとうございました。

                                                                                                                  おわり



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