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スネ夫の誕生日

「あれ今日スネ夫の誕生日じゃないっけ」

思わず振り返る

狭いローソン、繰返しの店内ラジオ、レジから聞こえる機会音、ペットボトルの冷蔵庫を開ける音、はっきり聞こえた「スネ夫の誕生日」

耳に残る聞き覚えのないフレーズ、会話の続きを聞けなかったせいか何故か無性に気になってしまい スネ夫のWikipediaを開く。
スネ夫のWikipedia。これも聞いた覚えがない

誰が作ったのかやけに詳しいスネ夫Wikipedia丁寧に考察までしている。あととうもろこしが嫌いらしい、こーんなに美味しいのに。

そんなスネ夫の誕生日、どうやら決まってないらしい。2月ってことと、時間だけ。なんだか可哀想になってしまった。スネ夫に同情、これはもしかしたら1回くらい聞いたことあるかも


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年を経るにつれスネ夫のことを考えることも無くなっていくのだろう。ここ数年でスネ夫関連のことと言えば友達がライブ後「ほら、スネ夫」と言って僕の前髪が躍動してる写真送ってくれた時ぐらい。

僕が彼らの歳から遠ざかるにつれどんどん頭の片隅に追いやってしまっている
心のどこかで「あんなこといいな」の世界を遠ざけてしまっている

「あるわけないなら普段の生活のことを考えよう」 無意識のうちにそう割り切っていたのかもしれない。大人になるとは往々にしてそういうもので、夢ばかり見てはいられない


しかし科学技術は進み世の中は日に日に便利になってゆく。ドラえもんのひみつ道具だっていくつかは実現していて、特に有難みを感じることなくその恩恵を享受している

それでいいのか、僕は、あなたは、誰かが用意したものを当然のように受け取り感謝の気持ちもなく使っている、それでいいのか?普段から努力をしないのに、便利なものに頼って甘えているんじゃないか?利己的な使い方をしてるんじゃないか?それを当然と思っているんじゃないか?

そんな怠惰な現代人に対し、彼は警鐘を鳴らしている
「のび太のくせに生意気だ」
「道具がなければ何も出来ないくせに!」と

ドラえもんに頼りきっていては、自分一人で生きていけなくなる。彼が作中で訴えたかったのは、そういうことかもしれない
スネ夫、誕生日おめでとう

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%AA%A8%E5%B7%9D%E3%82%B9%E3%83%8D%E5%A4%AB

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