見出し画像

物乞いの人たち

私は昨年の八月からタイのバンコクで留学をしている。
私は平和学と呼ばれる学問の授業を大学で多く取っていたため、物乞いをするような人々がいることはタイに来る前から知っていた。なんなら、どこの国を留学する国の第一希望にするかを決めるときに、授業でタイの「ストリートチルドレン」という子供たちの存在を学んだことが頭に過ぎったのもタイにした理由の一つだ。

実際に、バンコクに来てから物乞いの人たちを様々な場所で見かける。家のすぐ近くにはいないけど、多くの人が利用するバス停の近くにある歩道橋や、都会の方、観光客が多く居るストリート…。
バンコク市内では私が活動している地域の問題もあるのか、あまりストリートチルドレンは多くは見かけないが、レストランの中で食事をしているときお菓子を売りに来た子供もいたし、以前タイの北部の方のチェンライという地域に行った際にはマーケットで花を売りに来た子供もいた。カンボジアはタイよりもより目に見えて物売りをする子供たちが多かった。

一度も私は彼ら彼女らにお金を出したことがない。買ったこともない。「物乞いやストリートチルドレンの背景には、危ない組織が絡んでいることも多いし、その場でお金を出すこと自体その人たちのためになるものではない」ということを授業で学んでいたからである。
「あげても誰のためにもならない」「あげても誰のためにもならない」
「だから、私は何も渡さない」
でも少しだけ、心の中に何か引っかかるものがあるのをわかっている。
「本当に私は、この人たちのためにはならないというのが理由でお金を渡していないの?」
学生だからお金がない、自分で稼いだお金で留学しているわけじゃない。
全員に渡すことなんてできないし、、、
そんなん全部言い訳なんじゃないか。
本当に彼ら彼女らの全ての人たちのバックにそんな組織があるのだろうか。
ただ自分のお金を見ず知らずの人に使いたくないだけなんじゃないか。
でもだからってどうやってその真相を知ることができるだろう。学生の私に一体何ができると言うのだろう。

正直、路上で物乞いをする人たちを見かけると少し怖いと思ってしまう。だから、いつもイヤホンをつけたまま、なるべく見ないようにして横を素早く通り過ぎる。
同じ人間なのはわかっているのに。日本でホームレスの人たちを見かける時も同じだ。見て見ぬ振り。

そんな中、原貫太さんの動画を見かけた。

こうやって留学をしている人たちや平和学などに興味がある人はこういう動画を動画を当たり前のように観ているかもしれないし、自分の頭で考えているかもしれない。お恥ずかしながら私は、以前友人に教えてもらったのに、チャンネル登録だけしていただけで、今日初めて彼の動画を観た。
見た複数の動画はどれも、最近留学する中で抱くもやもやとかについて改めて少しクリアにさせてくれるものだった。
誰に対してもお金を渡すことは、その人たちの働く意欲を失くさせてしまうことにもつながるということを動画で見て、確かにそういう面もあるのかと気付かされたり、授業で学んだこと全てが頭に残っているわけではないので、確かにこういう要素も聞いたことあったなとか色々と思い出したりした。
今まで見て見ぬ振りをしていたものを、少し考えなくちゃいけない、そしてこの考えたことを残しとかないとまたきっとこの感覚を忘れてしまう。そう思ったので今回またnoteを書きました。

彼は、動画の最後で渡せなくても「存在は無視しない」ことを大事なこととして主張している。確かに、人間は嫌われることとかよりも「存在を認識してもらえないこと」に苦痛を感じるということを聞いたことがある。
そっか、渡せないことを謝るとかそういう方法もあるのか、と思った。
だけどそれと同時に、疑問も湧く。明らかに「外国人」と分かる格好をして、何かご飯とかを持って最低限の生活以上をできる身なりをしているのに「お金がないです、ごめんなさい」って言うのってそれはそれで変じゃないか?
「存在を無視しない」とは話がずれてくるけれど、「謝る」ことって「相手のために」であることと「自分のために」であることの最低二つは種類があると思っている。
「自分のために」は話したところで相手のために何にもならない、自分の罪悪感を和らげるため、自己満足でしかない行為だと思う。この「お金渡せません」って伝えることって「自分のために」にならない?
少なくとも私がそれをすることは、「自分のために」になってしまう可能性を持っているなと思った。
何が一番正しいのか、エゴの押し付けでしかないのではないか。渡すにしても、エゴの押し付けにしかならないこともある。

じゃあ「何もせずに無視する自分が一番正しいんです」ってするってのも間違いなくずるい逃げ方で。
とりあえず見て見ぬ振りはやめてせめて会釈だけでもするか、、?

それも結局「自分のため」の行為なのかもしれない。

日本の私が住んでいる地域の駅近くでも、フィリピン人の留学生であるという女の子や、留学生ではなさそうなもう少し年齢が高そうな女の人たちがお菓子を売っている時期があった。(留学来る前)
彼女たちはコロナの影響を受けて生活が苦しく、このようにお菓子を売っているということだった。コロナの影響が彼女たちにも大きくのしかかっていたのは間違いもなく事実だろう。
そんな彼女たちの売っているお菓子を、何度か親が買ってくることがあったし、自分もそれは買うことがあった。
ちなみにそのお菓子は市販のウエハースがいくつか袋に入っているもの。売っている子たちが違っても、売っているものはみんな一緒。それこそ背景に何か良くない組織があるのか、それか支え合うために同じような人たちが組織を作っているのか、きっと何かしらあるんだと思う。

「買ってくれませんか?」
「あと三袋売らなくちゃいけなくて」(確か)
「・・・いいですよ」
「本当ですか!!」
(一袋だけのつもりが、三袋買う流れになってしまった)
ある日そんなやりとりをした後に、一人の女の子と少しだけ喋ったことがある。私はギターを背負っていたから、音楽やってるの?って話とか、今度知り合いがギターの教室?か何かをやるから、来たければ来る?って聞かれたり、自分より一個上だということがわかったり。すごく本当に優しそうな素敵な女の子だった。
だったからこそ、私は少し勇気を出すことにした。買うだけじゃ力になるにも限度があるから、何か他の行動に繋げなくちゃ。
当時受けていた授業の先生が、「そういうことがあれば、先生に相談してくれればちゃんと支援をできる団体と繋げられるから」という話をしていたのを思い出し、彼女にその話をしようとした。
だけど当時の英語力は今よりもひどいから、口頭では全然伝わらず、インスタグラムのアカウントを交換してもらって、その日中にダイレクトメッセージで英語で伝えようとした。
彼女から返信はあったものの、そこの「支援してくれる団体と繋げられるよ」という話に関しては全く触れられることがなかった。
その次に進めない。
その出来事が割とショックだった私は、その後同じようにお菓子を売っている人たちからお菓子を買わなくなった。なるべく彼女たちの目の前を通らないようにして、声をかけられないようにする。
声をかけられちゃったら買うしかなくなっちゃうから。
とはいえ、彼女も初対面の人からそんなん来たらもちろん少し警戒するのも当然なんだけど。
あれも、結局何が正解だったのだろうか。
今も駅の近くで、彼女たちはお菓子を売り続けているかもしれない。
帰った後私は、また買うのかな、それとも気づかないフリをして歩き続けるのかな。

どーーすりゃええんや!!に囲まれ続けている。
本当に、どーーすりゃええんでしょうか。
今日もこの後夕飯を買いに外へ行く。その道で物乞いの人たちの横を通ることになる。私はこの後どう振る舞うべきなのでしょうか。どう振る舞うんでしょうか。結局こんな風に考えても何も変わらずになるべくスルーして歩くのか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?