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故郷の雪

 四国の盆地、池田という町に私は生まれ育った。12月ともなれば雪景色。9歳の私は分厚い靴下に紅い長靴、首にはマフラーをぐるぐる巻きつけ、真っ白な北条坂をザックザックと小学校に通ったものだ。
 
 そして私は細っこくて、体が弱かった。冬には必ず扁桃腺を腫らして39度前後の熱を出し2週間近く学校を休んだ。熱でぽーっと天井を眺めて寝ていると、ばあちゃんが卵入のおかいさんたべるか?と尋ねてくれる。おかいさんとは、お粥のこと。

 村山病院には毎日2回、太くて長い静脈注射と、お尻のほっぺの上に打つ筋肉注射に通った。私の家は銀座通りという町一番の商店街にあり、左隣が小さな信用金庫、次に小鳥屋、その横が村山病院だった。村山にいこか?とばあちゃんが言う。うん、と私は布団から出て、赤葡萄色のガウンを着たまま冬もんのつっかけで20歩くらい歩く。するともう村山に着いた。

 村山先生はヤブ医者と呼ばれていたのに、でも私とばあちゃんは、病気になれば村山に行った。静脈注射を打ってくれる看護婦さんは下手な人とうまい人がいて、今日は一体どの人が打ってくれるのかいつも気になった。そして注射器の針がちゃんと尖っていて痛くなく血管に入るようにといつも心の中で願っていた。毎日2本ずつ左右交互に打つので青黒い注射針の跡が増えていき、今日はどこに針を入れようかなあ?と看護婦さんが迷っていると胸がバクバクした。昨日と同じ穴に針を刺された日の痛さは今もお尻にジーンとくる。

 村山病院は古い木のにおいと、注射針の消毒液のにおいがした。村山病院の裏側には優しい大西のおばちゃんの家があった。おばちゃんの綺麗な小さな庭と村山病院の間の細い溝には、絶え間なく消毒液の湯のようなものが流れ、いつも大量の注射針が捨ててあった。私はたまに湯の中に手を入れ、その針を拾いあつめ地面に置き、じっと眺め、何をするでもなくまた溝に戻していた。一度、それを見た大西のおばちゃんが、ああ、あっちゃん汚いよ。そんなことしたらいかんよ、と驚いて、優しく私をたしなめた。このおばちゃんは、おばあさんと呼ぶに相応しい年齢でいつも着物を着ており、私のばあちゃんの仲良しだった。ある日大西のおばちゃんが寝込んだというので、ばあちゃんとお見舞いに行って、おばちゃんの布団のすぐそばに座っていると、あの静脈注射を同じ穴に刺した看護婦さんが短めの静脈注射器と湿った脱脂綿を手に、こんにちは大西さん注射にきたよ、と玄関の戸をカラカラと開けて入って来た。私とばあちゃんが見ている前で看護師さんはおばちゃんの静脈に注射針を刺した。薬液を流し込むうち、急におばちゃんが眉をしかめてウッと言い、そしてそのまま動かなくなった。あれ?あれ大西さん!大西さん?大変じゃ、先生呼んでくる!と看護婦さんはいつになく慌てて玄関から飛び出した。おばちゃんは、死んでいた。

 帰宅した夜、ばあちゃんが、心臓を強める薬を注射しよったんじゃけど薬が強すぎたから死んでしもうた。薬が強すぎた…と残念でたまらないように言った。私もばあちゃんと泣いた。

 長らく徳島には帰れていない。この春には帰ってみようか。あの家は、もうないけれど。