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生きにくい、それでも生きていく

生きづらい、と思うことがよくある。
人といると疲れてしまう癖に一人でいるのは寂しいとき。誰かとどこかへ行きたいと思う癖に行きたい場所もそれほどの意思もないとき。わたしの話を聞いて欲しいと思う癖に自分から話題を出すほど興味がないとき。それほどいい返しもできない癖にわたしの目を見てわたしに向かって話して欲しいと相手に求めるとき。

わたしが憧れる人たちの好きなものを、わたしは好きになれない。心から興味を持てない。興味のない話に偽りの反応なんてできないから、どんなことに対しても興味を持ってうんうんと頷けるあの子が羨ましかった。だからみんな、この子に向かって話したくなるんだと思った。わたしもそのうちの一人で、この子には一生叶わないんだろうなと思った。

戻らない関係は戻らない。どう足掻いたって努力したって、不可逆的なものは不可逆的なまま。知ってしまったものは知ったしまったまま。感情が色付いているうちにたくさん愛しなさい、枯れ果ててしまえば散ってしまうだけ。散ってしまった葉はもう二度と元の姿には戻らない。そんなこと昔からとっくに知っていたはずなのに、受け入れることができなくて藻掻く意味のない時間。

何に対しても理由や意味を求めてしまう。生きる理由、わたしの存在意義。わたしがこの場にいなくてもこのコミュニティは存在し得るんだろうなと容易に想像できてしまう絶望にももう慣れた。何故わたしはここにいることが許されているのだろう、何も与えられていないのに。

家族って実はすごい。わたしは実家でご飯を食べさせてもらって、洗濯物も掃除もをしてもらって、学費は一丁前に高くて、なのにわたしは家族の中で自分の存在意義を必要としたことはない。家族に恵まれているんだなと気づけたことが唯一の救い。

ひとりが好きというよりは、人といるのが苦しいだけ。憧れと意思が矛盾していて苦しい。わたしも本当は、ここに行きたいあそこに行きたいと誰かに伝えたい。これをしたいあれをしたいと誰かに伝えたい。これが好きだあれが好きだと誰かに伝えたい。伝えたい。そうやって自分の存在を自分で肯定してあげられるような意思が欲しいだけ。欲しいだけなのに。自分から伝えるほど誰かと行きたい場所もしたいこともない。こんなわたしが誰かと一緒に居る意味ってなんですか?

大好きなはずの人たちと人生初のドライブという貴重な経験をさせてもらったのに、最後に残る感情がこんなもので絶望する。生きにくい。それでも生きていくのは、たまにみえる希望があまりにも眩しくて、世界を、わたしを、救ってくれるから。

p.s.
わたし一人じゃ辿り着けないような場所に連れ出してくれてありがとう。君たちの行動力についていくことしかできないのに、わたしと一緒に居てくれてありがとう。わたしの存在意義、もしも見出してくれているならいつか教えて欲しいな、いつかね。

静岡の海

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