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ポジ-ネガーバタイユ

2019年にバタイユ著,酒井健訳『太陽肛門』景文館書店の朗読を吹き込んだ自分のツイキャスを聴きながら、ネガフイルムのスキャン作業をしている。

ピストンから円へと運動が転換する機関をイメージにとるこの著作は、あらゆるものを繫辞によって連動ながら、それらを猥雑な性愛的イメージへと収斂させつつ、既知者としての自己が(未知なる)忘却としての他者あるいは異性を渇望する様を諸存在に波及させる。彼はこれを「世界が純粋にパロディであることは明白だ」と形容し作品の冒頭に飾った。

走査は線的に読み取られる陰影を積層して面的なイメージを再構築する。ネガフイルムは反転して、私たちの肉眼によって捉えられている色に変換してデジタル画像を起ち上げている。

その間、スキャナの隙間からは光芒がわずかに漏れ、それはモーター音とともにしずかに前後運動する。ネガが反転しポジへと移行する様は、ヒトと植物の互いに逆立ち構造であることを思い出させる。植物は静的なイメージを伴いながら、その行動は欲望に忠実な、貪欲な姿をあられもなく露呈しているという印象もまた具えている。バタイユの口ぶりを借りるなら、人類は欲望を尻の肉の間に隠蔽することで理性的存在を虚構するゆえに、植物はそれほどに輝く肛門を私たちへと寄越すのである。カメラはそれを光として取り込み逆立ちした映像としてフイルムに焼き付けたのち、定着処理を経て光によって二度目の反転をする。気の長い性交である。眼差しとしてのレンズは暴力的であると同時に、光によって乳剤を変質させる。露光量の増大は失明へと向かう事件なのだ。

今回撮影した上掲の一枚はバタイユの文章を聴きながらの露見として、低層の叢に隠れた一株から発出した藤蔦の上昇のイメージに吊り下げた鉢の重量感による下降のイメージが重複し太陽肛門の上下ピストン運動を彷彿とさせる。

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