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幸せになる言葉

タルムード(Talmud)は、モーセ(預言者)が伝えたもう一つの律法とされる「口伝律法」を収めた文書群である。6部構成、63編から成り、ラビ(宗教的指導者)の教えを中心とした現代のユダヤ教の主要教派の多くが聖典として認めており、ユダヤ教徒の生活・信仰の基となっている。
ただし、聖典として認められるのはあくまでヘブライ語で記述されたもののみであり、他の言語に翻訳されたものについては意味を正確に伝えていない可能性があるとして聖典とはみなされない。


人間としての生き方に関する教訓

『酒が頭に入ると、秘密が押し出される』

「酒を飲むと、理性が抑制され、本音や秘密が口から出てしまうことがある」ということで「酒を飲むときは、自分の言動に注意し、秘密を漏らさないようにすることが大切である」ということを説いています。

『無恥と自負は兄弟である』

「無恥と自負は、いずれも社会に害を与える悪質な態度であり、いずれも自分自身を傷つけることにもつながる」ということを説いています。

「無恥」とは、恥ずかしいことを恥と思わない、倫理観や道徳観を欠いた態度であり、「自負」とは、自分の能力や功績を過信する、傲慢な態度と解釈されます。これらの態度は、相互に関連しており、互いに引き立て合う関係にあるということです。「自分の間違いを認めない」「他人の意見を尊重しない」「ルールやマナーを守らない」この様な事が無恥と自負につながると考えられます。

 無恥と自負を克服するためには「他人の立場に立って考えられる力を養う」「謙虚さを身につける」「自分を客観的に見つめることができる力を養う」、このようなものが有効と考えられます。

『結婚へは歩け、離婚へは走れ』

「歩く」とは、慎重にゆっくりと進むことであり、「走る」とは、急いで速く進むことと解釈されます。
「結婚は、人生の大きな決断であるため、慎重に考え、両親や友人などの周囲の人の意見も聞いて、決断すべきである。一方、離婚は、結婚生活の破綻という重大な事態であるため、急いで問題解決に当たり離婚を簡単に決めるべきではない」ということを説いています。

『世の中には度を越すと行けないモノが八つある。旅行、性、富、仕事、酒、睡眠、薬、香料だ』

何かをする場合、その良い面だけでなく、悪い面も考慮し、度を越えないようにすることが大切だと言う教え。
 「旅行」は、新しい知識や経験を得ることができる良いことですが、度を越えると、家族や友人とのつながりが希薄になったり、仕事や勉強が疎かになったりする可能性があります。
 「性」は、人間の本能であり、適度な性生活は健康に良いことですが、度を越えると、セックス依存症や性犯罪につながる可能性があります。
 「富」は、豊かな生活を送ることができる良いことですが、度を越えると、利己的になったり、他人を思いやることができなくなったりする可能性があります。
 「仕事」は、社会に貢献し、自分の能力を発揮することができる良いことですが、度を越えると、過労やストレスにつながる可能性があります。
 「酒」は、適度な飲酒はストレス解消やリラックス効果がありますが、度を越えると、依存症やアルコール中毒につながる可能性があります。
 「睡眠」は、体を休め、疲労を回復することができる良いことですが、度を越えると、睡眠不足や不眠症につながる可能性があります。
 「薬」は、病気を治したり、症状を緩和したりすることができる良いことですが、度を越えると、薬物依存症や副作用につながる可能性があります。
 「香料」は、心身をリラックスさせる効果がありますが、度を越えると、アレルギーや中毒につながる可能性があります。

『豚は食べ過ぎる。苦しんでいる人間は話しすぎる』

「欲望に溺れる者は、自制心を失い、行き過ぎてしまう。また、苦しみや不安を抱えている者は、それを誰かに聞いてもらいたい、助けてもらいたいという気持ちから、ついつい口にしてしまう」ということ。
つまり、「欲望や苦しみに振り回されないように、自制心や忍耐力を養うことが大切である」ということを説いています。

「豚」は、欲望の象徴とされており、「食べ過ぎる」ということは、欲望に溺れることを意味します。一方、「苦しんでいる人間」は、肉体的・精神的な苦しみや不安を抱えている状態を指します。

『幸運から不幸までの道のりは短く、不幸から幸運までの道のりは長い』

 「幸運に恵まれた人は、油断や慢心から、簡単に不幸に陥ってしまう。一方、不幸に陥った人は、そこから立ち直るためには、努力と忍耐が必要である」ということです。
つまり、「幸運に恵まれた人は、感謝の気持ちを忘れずに、自分の能力や地位に過信し努力を怠たらない」、不幸が訪れた人は「身近な人からの忠告や助言を素直に聞かず孤立する事を戒め、困難に直面しても、あきらめずに努力を続け、信頼できる人に支えられて困難を乗り越える努力と忍耐を続けなければならない」

『貴方の親友が、貴方にとって蜂蜜のように甘くても、全部なめてしまってはいけない』

 人間関係において、親友や家族など大切な人との関係、ビジネスでは、取引先や同僚など、さまざまな人と関わり方を説いています。

親友とは、お互いに助け合い、支え合う存在ですが、親友であっても、その人には限界があることを理解し、尊重することが大切だと言っています。
具体的には、「親友のプライバシーを尊重する」「親友の意見や考えを尊重する」「親友の行動を過剰に干渉しない」親友を尊重する上で大切なことと考えています。

『嫉妬は千の目を持っているが、一つも正しく見えない』

「嫉妬」とは、他人の幸福を妬み、恨む感情であり、「目」とは、物事を見たり、判断したりする能力のことと解釈される。
 「嫉妬は、人を盲目にする感情で理性的な判断をできなくさせ、誤った行動をとらせてしまう」ということを説いています。

「他人の悪口を言う」「他人を陥れようとする」「自分自身を卑下する」
等の嫉妬に振り回されては、自分自身や他人を傷つけてしまうことになります。嫉妬は、人間の感情のひとつであり、完全に消すことは難しいかもしれませんが、「他人の幸せを喜ぶことができる心を持つ」「自分の価値を正しく認識する」「自分自身に集中する」等の嫉感情をコントロールすることで、よりよい人間関係を築き、充実した人生を送ることができる。

『出逢った人全てから、何かを学ぶ事が出来る人が世界中で一番賢い』

 出会う人々から、必ず何かしらの学びを得ることができる。他人を否定したり、自分の考えを押しつけたりせず、相手の長所や価値観を認め尊重し、他人から学ぶことをいとわない者が、真の知恵を身につけることができる。ということを説いています。

具体的には、「相手の話に耳を傾ける」「相手の考えや意見を尊重する」「相手の経験や知識から学ぶ」このような他人から学ぶことをいとわない姿勢を持つことで、自分の視野が広がり、より深い知恵が身につき自分の成長につながり、より豊かな人生を送ることができる。

『多くの者は考えたくないので、逃れるために本を読む』

本を読む際には、ただ情報をインプットするのではなく、自分の頭で考え、理解することが重要であることを説いています。

本を読むことは、知恵や教養を身につけるための重要な手段とされていますが、本を読むだけでは、本当の意味での知恵を得ることはできないとされています。なぜなら、本に書かれていることは、あくまでも他人の考えや経験であり、自分の頭で考え、理解しなければ、真に理解したとは言えないからです。

「著者の意図を理解する」「本の内容を自分の経験や知識と照らし合わせて考える」「本の内容に対する自分の意見や考えを形成する」このような読書をすることで、本から得られる情報や知識を、自分の成長や人生の糧として活かすことができるようになる。

現代社会では、インターネットやSNSの普及により、誰でも簡単に大量の情報にアクセスすることができます。しかし、その一方で、思考停止や偏向した情報の流布などの問題も起こっています。このような状況において、本を読むことは、自分自身の思考力を養い、正しい情報を選択するための重要な手段となるのです。

『お世辞は猫の様に人をなめるが、やがてひっかかれる』

 お世辞は表面的なものであり、本心からの言葉ではない。お世辞は「偽りの言葉」として、慎むべきものとされています。お世辞を言う人は、相手を欺いたり、利用したりするつもりがないとしても、相手は誤解したり、期待を持ったりして、結果的に傷つく可能性があるからです。
 猫は、飼い主に愛情を示すためになめることがありますが、その一方で、怒りや警戒の気持ちを示すためにひっかくこともします。お世辞も同様に、相手を喜ばせるために言葉をかけますが、その一方で、相手を甘やかしたり、利用したりする目的で使われる場合もあります。
 お世辞は、適切に使うことで、人間関係を円滑にする効果もあります。しかし、その使い方を誤ると、相手を傷つけたり、人間関係を悪化させたりすることにもなりかねません。お世辞を言うときは、慎重に言葉を選び、相手にとって本当に良いことなのか、よく考えてから言うようにしましょう。

『ある人は若くして老い、ある人は老いても若い』

 年齢と心の若さは必ずしも一致しないことを意味しています。
年齢は単に年数を数えたものであり、心の若さは精神的な成長や成熟を表すものとして捉えられています。
したがって、年齢が若くても、精神的に成熟していれば、それは「若い」とみなされます。逆に、年齢が老いても、心が若々しく、新しいことに挑戦する意欲があれば、それは「老い」とはみなされません。

 近年、平均寿命が延び、高齢化社会が進むなかで、年齢と心の若さのギャップはますます大きくなっています。
そのため、年齢に関係なく、「新しいことに挑戦する」「学び続ける」「好奇心を持ち続ける」「オープンマインドでいる「他人を尊重する」、等を実践することで、年齢に関係なく、心の若さを保ち、充実した人生を送ることができるでしょう。

『自分の欠点ばかり気にしてる人は、人の欠点に気づかない』

 人は自分の欠点と向き合うことも大切ですが、他人の欠点にも目を向け、寛容な心を持つことが重要であると説いています。
人は誰しも、自分の欠点や弱点を気にするものです。しかし、自分の欠点ばかり気にしていると、他人の欠点に気づく余裕がなくなります。
 例えば、自分の容姿にコンプレックスを持っている人は、他人の容姿を批判する傾向があります。これは、自分の容姿の欠点を他人に押し付けることで、自分のコンプレックスを解消しようとする心理の表れです。
また、自分の性格に問題がある人は、他人の性格を批判する傾向があります。これは、自分の性格の欠点を他人に押し付けることで、自分の欠点を正当化しようとする心理の表れです。
このように、自分の欠点ばかり気にしていると、他人の欠点に気づくことができず、他人を批判するばかりになります。

より良い人間関係を築くために実践すべき事。
自分の欠点と向き合う
自分の欠点と向き合うことは、自己成長の第一歩です。自分の欠点を認識し、それを改善するために努力することで、より良い人間になることができます。
他人の欠点にも目を向ける
他人の欠点にも目を向けることで、他人を理解し、共感することができるようになります。他人の欠点を批判するのではなく、その欠点の背景にある事情を理解しようとすることで、他人を受け入れることができるようになります。
寛容な心を持つ
誰しも欠点を持っているものです。他人の欠点を批判するのではなく、寛容な心で受け入れることで、より良い人間関係を築くことができます。

『人間は、他人のささやかな皮膚病は気にしても、自分の重病は目にはいらない』

人間は他人の欠点や失敗には敏感になりやすいが、自分の欠点や失敗には気づきにくいという性質を示しています。

 他人のささやかな皮膚病でさえも気になってしまうのは、他人の欠点や失敗は、自分の生活や価値観に直接影響を与えないからです。
一方、自分の重病は、自分にとって深刻な問題であり、自分自身に大きな影響を与えるという意識があるため、それを直視することを避けてしまいます。
 他人の欠点や失敗ばかりに目を向けていると、自分自身の欠点や失敗に気づきにくくなります。自分の欠点や失敗を正しく認識し、改善するためには、他人の欠点や失敗ではなく、自分の欠点や失敗に目を向けることで、より良い自分になるためのヒントを見つけることができる。
 具体的には、「他人の欠点や失敗を批判するのではなく、自分の欠点や失敗を客観的に見つめ直す」「他人の欠点や失敗を他人事としてではなく、自分事として考える」「他人の欠点や失敗から学び、自分の成長につなげる」
を心がける。

『嘘つきに与えられた最大の罰は、彼が真実を語った時も、人が信じないことだ』 

嘘をつくことの危険性と、真実を語ることの重要性を説いています。

 嘘をつくことは、信頼を失うことにつながり,一度嘘をついたら、真実を語ったときも、人が信じなくなってしまうのです。
真実を語ることは、信頼を築くことにつながり、真実を語る人は、信頼され、尊敬されます。真実を語ることは、人間関係を円滑にすることにつながるのです。
*嘘をつく前に、その嘘が本当に必要なことかどうかをよく考えること。
*嘘をついたときは、必ず後で正しいことを言うこと。
*真実を語ることを心がけ、信頼される人間になること。 

 現代社会では、情報化が進み、誰もが簡単に情報を発信することができるようになりました。そのため、嘘の情報が拡散されやすくなっています。嘘の情報に惑わされることなく、真の情報を見極めることが、ますます重要になってきているのです。

『人間は、20年かかって覚えたことを、2年で忘れることができる』

 知識を定着させるために、継続的な学習が不可欠であることを重視しています。また、知識の使い方にも示唆を与えています。知識は、単に覚えておくだけでなく、それを活用して、よりよい社会を実現するために役立てることが大切です。知識を身につけた人が、その知識を活かして、社会に貢献することができれば、世界はより良い場所になるでしょう。

現代社会において、私たちは、日々、膨大な量の情報に触れています。しかし、その情報のすべてを記憶することはできません。だからこそ、必要な知識を正確に理解し、忘れないようにするために、継続的な学びが求められる。
*学習は、短期集中型ではなく、長期的に継続する。
*学習した内容を、定期的に復習する。
*学習した内容を、実践に活かす。

『男は両頬の間と両足の間で評判が決まる』

 「両頬の間」とは口のこと、「両足の間」とは行動の事。つまり、「男は、自分の言葉と行動を慎重に選び、正しく行うことによって、良い評判を得ることができる」ということを説いています。
 具体的には、「正直で誠実な言葉を使い、他人を傷つけるような言葉を発しない」「礼儀正しく、相手を尊重する態度を示す」「責任を持って行動し、約束を守る」

『最も大切な事は研究ではなく、実行である』

「知識を身につけることは大切だが、知識を実際に活用してこそ、その価値が発揮される」ということで、つまり、「知識を身につけることは、あくまでも手段であり、目的ではない。知識を身につけたら、それを実際に活用して、社会に貢献することが大切である」ということを説いています。
具体的には、「学んだことをすぐに実践する」「失敗を恐れず、新しいことに挑戦する」「自分の考えや意見を積極的に表現する」

もちろん、研究は大切で、知識を深めることで、よりよい判断や選択ができるようになります。しかし、知識を身につけただけでは、何も変わりません。知識を実際に活用してこそ、その価値が発揮されると言えるでしょう。

ビジネスでは、常に新しい知識や技術を身につけていくことが求められます。しかし、それだけでは、競争に勝つことはできません。知識を実際に活用して、成果を上げることが大切です。
また、個人においても、社会で活躍していくためには、知識を身につけるだけでなく、それを実行して、社会に貢献することが求められます。

『柔軟な木は折れないが、硬直した木は折れる』

 「柔軟性を持つ者は、困難に直面しても乗り越えることができるが、頑固な者は、困難に直面して折れてしまう」。つまり、「困難な状況にあっても、柔軟に対応することによって、乗り越えることができる」
 具体的には、「変化を恐れず、受け入れる」「新しいことに挑戦する」「他人の意見に耳を傾ける」。
もちろん、柔軟性ばかりがあっても、問題解決にはなりません。時には、頑固さも必要です。しかし、困難な状況に直面したときには、まずは柔軟性を持つことが大切と言えるでしょう。
 ビジネスの環境は常に変化しており、それに柔軟に対応できない企業は、生き残っていくことが難しくなります。また、個人においても、社会や環境の変化に対応していくためには、柔軟性を持つことが大切です。

『評判は最善の紹介状であり、表情は最悪の密告者だ』

「評判は、その人の人柄や能力を示すものであり、その人の価値を評価する上で、最も重要な要素である。一方、表情は、その人の内面を映し出すものであり、その人の本音を無意識のうちに表してしまうことがある」ということです。つまり、「良い評判を得るためには、日頃から自分の言動に注意し、誠実で正直な行いを心がけることが大切である。また、表情をコントロールし、自分の本音を慎重に表すことも重要である」ということを説いています。
 具体的には、「正直で誠実な言葉遣いをする」「礼儀正しく、相手を尊重する態度を示す」「約束を守る」「責任を持って行動する」。「他人に迷惑をかけない」。
 表情は、自分の本音を無意識のうちに表してしまうことがあります。そのため、表情をコントロールすることは、人間関係を円滑に進めていく上でも、重要なスキルと言えるでしょう。表情をコントロールするためには、「自分の感情をコントロールする方法を知る」「表情筋を鍛える」「鏡の前で表情の練習をする」。
 もちろん、良い評判を得ることだけが、人生の目的ではありません。しかし、良い評判を得ることは、社会で生きていく上で、大切な基盤となると言えるでしょう。

『他人の前で恥じる人と、自分の前で恥じる人では大きな開きがある
 他人の前で恥じるのは、自分が恥をかいて嫌だと言う稚拙な感情から来る。しかし、自分だけの世界で自らを恥じる時は、自分自身に大きな責任を感じて自らの行為を改革する決意や責任感がある。そもそも他人の前で恥をかくのは損では無く自己成長に繋がる。訊くは一時の恥、知らぬは一生の恥と故事にも言われている。

『最悪なことが最良のこだと信じなければならない』

 普通は、最悪なことが起きれば、落ち込む。だが、「悪いことが重なっているように見えても、人知の及ばないところで、もっと悪い事態から救われているかもしれない」(石角氏)というのが、ユダヤ教の考え方だ。
トラブルがあっても、パニックにならずに、そこに新しいビジネスチャンスがあるかもしれない、とさえ考えをめぐらす。物事を別の視点で捉えるよう訓練する。

『舌の先に幸せがある』

 黙っていては幸せは逃げていく。ユダヤ人はよく喋り、よく発言し、よく主張する。日本とは違い、交渉事でも、落としどころを設定せずに、粘り強 く、あきらめずに少しずつ成果を積み上げていく。
そして、ユダヤ人は議論が大好きだ。しかも、納得いくまでとことん質問する。だから、異論も大歓迎で、討論も知恵の源泉だと考えられている。そして「なぜ?」と疑問を持つことの大切さを、非常に重んじている。それは思考停止を防ぐ作法ともいえる。

『最も良い教師とは、最も多くの失敗談を語れる教師である』

 苦難を経験すべきだと教える。ヘブライ聖書は、ユダヤ人が苦労することを求める。「あなたの身を悩まさなければならない」などと苦難を経験すべきだと教えるのだが、そうした発想が、ユダヤ人のしぶとさやタフさの基盤になっているという。
そして、ユダヤ人の議論では、失敗談を話し合うことが最も奨励される。「なぜ間違えたのか」、それを分析することで、正しい道が見つかると考えているからだ。その失敗を有効活用する考えは、スタートアップなどの新たな挑戦でも生かされる。

『人間には、6つの役にたつものがある。そのうちんの3つは自分ではコントロールできないが、残りの3つは自分の力で制御できる。
前者が目、耳、鼻で後者が口、手、足である』

 今この人生をどう有意義に過ごすかの教え。例えば、職場で不満を抱えていたとして、どうしても目に入ってしまうもの、耳に聞こえるものに、立ち向かうかどうか、それは自分でコントロールできる口や手足で決めればいい。これは今ある自分を、もう一度別の視点から見ることを奨励しているのだ。
今生きているところから、「ここではないどこか」に行こうとするのではなく、今この人生をどう有意義に過ごすかが、ユダヤ教の考え方なのだという。タルムードの説話にも、本当に大切なものは、すぐ傍らにあると説く話がある。

『牛とロバとを同時に一つのくびきにかけ、鋤を引かせてはならない』

 牛とロバを同じくびきにはめても、うまく畑を耕せないし、それどころか、2匹とも疲れてしまう。タルムードには、農夫が2匹を死なせてしまう説話がある。これが意味しているのは、個性の異なる子供らを、一律教育してもうまくいかないということだ。

『出会った全ての人から学べる者が、この世の中で一番賢い』

  人を卑下したり、他人を認めようとしない人は、出会う人々から何も学び取る事は出来ず、成長しません。しかし、例えどんなに揶揄される人物であっても、必ずや幾つかの長所を持っています。出会った人全てから、その長所を見出し、学び、自分の長所へと置き換えていける者こそが、この世の中で一番賢い人だとタルムードは教えます。「まずは人を認めろ。長所を探り出せ。良くも悪しくもその人の長所を自分の武器に成るように身に着けろ」と言うようなものです。

『愚かな者は自分の知っている事を話す。賢いものは自分が何を話しているのかを知っている』

  まるで音楽プレイヤーの様に、一方的に話す人がいます。相手が何の感想を言おうと関心がありません。一方的に知っている限りの事を喋り、ストレスを解消します。しかしいくら喋っても、聞き手からは賢い人とは思われません。
  本当に賢い人は、自分の口から出る言葉が、相手の頭にどの様に響き、何を影響するかを考えながら話します。相手の表情を見ながら、返される言葉を聴きながら、自分の話が相手に与える影響を把握しています。
  要するに自分が話をする事によって、何が変化し、どういう影響を与えるのかを見ながら話しているのです。賢い者は相手の思考をコントロールしていると言う事です。

『自信を失うということは、自分に対して盗みを働くようなモノである』

 自分の物を盗まれる瞬間を知る人は居ないが、結果何が無くなったかは解る。自信を失い、落ち込んでいる時間が長ければ長い程時間と勇気を失う。立ち直りの遅い人間、落ち込んでいる哀れな自分に酔っている者は、自分の人生を大切に思っていない証拠である。
 自分の人生は自分だけのものではない。家族や友人、職場でのポジションを考えれば、そうそう落ち込んでは居られない。直ぐ立ち直る人、立ち直るのに時間やイベントが必要な人、どちらが成長するか、考えなくとも解る。 

『粉屋が煙突掃除屋と喧嘩をすると、粉屋は黒くなり、煙突掃除屋は白くなる』

 簡単に言うと、自分の得にならない喧嘩はするな。と言う格言である。粉屋が煤だらけの煙突掃除屋と喧嘩をすると、たちまち黒くなってしまう。喧嘩に勝とうが負けようが、商売に戻る為にはシャワーを浴び、服を全て着替えなければならない。
 一方煙突掃除屋は白くなろうが、赤くなろうが、そのまま仕事に戻れる。例え引き分けたとしても、粉屋に分の悪い結果となる。感情で喧嘩をしてはならない。大人の喧嘩は、今のポジションを有利な位置に移動する為の手段である。無駄の無い日々を過ごせという教訓である。

『正しい者は自分の欲望をコントロールするが、正しくない者は欲望にコントロールされる』

 善悪・倫理は理解しているつもりでも、欲望は強く人間は弱い者だ。結果的に気づかないまま欲望に駆られ、善悪をしっかりと見定めずに行動した結果、将来に影響する悪い評価を受ける場合もある。モノの善悪は、その時代時代で尺度が違う。善悪を定義するのは自分ではなく社会の体勢の目線である。正しい者は時代の定義を敏感に得て、欲望の強弱をコントロールし、結果的に悪い評価を生まない慎重な行動を取る。
 欲望を無くせと言うのではない。上手くコントロールすべきものと訴えている。

『もしあなたが、悪への衝動に駆られたら、それを追い払うために、なにかを学び始めよ』

 悪への衝動、悪行の対価への欲望。そう言うものに負けそうな自分は、間違いなく「未熟」である。イチゴを目の前に置かれ、おやつの時間までは食べてはいけませんと言われても食べたい衝動に駆られて食べてしまう子供と同じだ。
 そういう時は、何でも良いから、何かを学んで自らを成長させる事だ。人生観や理論を学ばなくとも、数学でも経済学でも良い。自らの脳みそに新しい知識、新しい刺激を与えることだ。その情報や知識、そしてその行為は、未熟な自分を必ずや成長させる。成長した自分が同じ衝動に駆られるなら、勉強が足りないだけだ。未熟な判断は、賢くなる事で防げるのである。

『他人の善意で生きるよりは、貧しいままでいる方がいい』

 善意は謹んで受け入れるべきだが、それを生活の糧にしてはいけない。
それならば満たされずに日々暮らし、自らの思いを遂げる努力をすべきである。 自らの満足を他人の行為に求める者は、人生を捨てると同じ事である。人間としての誇りを内に秘める事の大切さを訴えている。

『甕(かめ)を見るな。中に入っているものを見よ』

 甕とは、陶器で出来た大きな壷のような入れ物。多くの人が美術的な造形物を見た時に、その外観を評価するが、甕の本来の用途は入れ物であり、大切なものはその中に入っている。 同じく人もルックス・家柄・学歴等で評価されがちだが、そのどれも人としての「働き」と言う意味では正しい評価ではない。「どう育ったか」と言うよりも「どう考え」て「どう動く」のかが人としての直接的な評価である。人の評価は美術品の美しさの様に単純ではない。世の為・人の為に考え動けるか、そういったものさしが人の価値を決める。

『楽観が最も強い鎧となる』

 楽観的という言葉には何か軽薄さ、不真面目さが伴う。そもそも対語の「悲観的」には真面目さが在るかと言えばそうでもない。人間には得手と不得手=苦手がある。苦手意識があると行動が否定的になる。
しかし、以前は苦手だったことが数年経つとそれほど苦でもなくなる事が多い。ここで言う楽観は「結果が出る前から悲観的に考えるな」と言うことだ。どんな苦境に立っても必ず進める道があると言う意思が見えない道を切り開く。楽観は前向きに考える鎧だ。

『権威を認めるな』

 権威とは行動の結果である。行動は時代の変化で結果が変わる。10年前は人の為に成った行動が、今も同じ結果を招くとは限らない。
権威を尊重しすぎると行動が狭くなり、結果的に必要な改革が成し得ない。権威に頼らず、尊重し過ぎず、不要な場合は破棄してでもより良い結果に結び付けなければ成らない。

『反省する者が立つ土地は、もっとも偉い人が立つ土地よりも尊い』

 偉い人にはそれを囲む人が集まる。皆、偉い人の恩恵(おんけい)を受けようとする。しかし囲む人々は、恩恵に恵まれるだけで、人それぞれの力が強まるわけではない。
 何かに失敗し反省する人は好奇の目で見られても見習う対象とは思われない。反省とは何か?誰かに向けて反省しますという行動は反省ではなく屈服である。
自らをかえりみて、人知れず立ち直ろうとする者の行動を反省というのだ。
それには、自己に対する強い批判と評価、そして成長を伴う。
反省し成長する者は、人々に対して、屈しない・諦めないと言う勇気を与える。また、そのような遠回りをした者こそ偉人と同じ高みにあがる。
既に高みに立つ偉人を観察するよりも、目的地を目指し、我武者羅(がむしゃら)に挑戦している姿の方が参考になる。

『自分の言葉を、自分が渡る橋だと思いなさい。しっかりとした橋でなければ、貴方は渡らないでしょうから』

 自分の言葉が自分自身を映し出すものであることを教えています。自分の言葉が、自分の価値観や人格を反映していることを理解し、常に、自分らしい言葉を心がけることが大切です。

言葉は、私たちが相手とコミュニケーションをとるための大切なツールです。私たちは、言葉を使って、自分の考えや感情を伝え、相手に影響を与えることができます。
しかし、言葉には、人を傷つけたり、誤解させたり、争いを生んだりする可能性もあります。そのため、私たちは、自分の言葉を慎重に選び、責任を持って発しなければならないのです。

  • 自分の言葉に責任を持つ

  • 相手の立場に立って考える

  • 事実に基づいて話す

  • 誤解を与えないようにする

  • 思いやりのある言葉を使う

 また、私たちの人生においても重要な意味を持っています。私たちは、自分の言葉を通して、自分自身を表現し、世界とつながっています。そのため、自分の言葉を大切にすることで、自分らしい人生を歩むことができるのです。
例えば、自分の夢や目標を実現するためには、それを周囲の人々に伝え、協力を得ることが大切です。そのためには、自分の言葉で、自分の夢や目標を明確に伝える必要があります。
また、困難に直面したとき、自分の言葉で、自分を励まし、勇気づけることも大切です。そのためには、自分の言葉で、自分の強みや可能性を信じることが大切です。

『自分の言葉に注意すること。それは自分の行為となるから。自分の行為に注意すること。それは自分の習慣となるから。自分の習慣に注意すること。それは自分の性質となるから。自分の性質に注意すること。それは自分の運命となるから。自分の言葉に注意すること。それは自分の行為となるから。』

 言葉と行為、習慣、性質、運命の因果関係、私たちの人生において、言葉と行為の重要性を説いています。

言葉は行為となり、行為は習慣となり、習慣は性質となり、性質は運命となる。つまり、私たちが口にする言葉は、そのまま私たちの行動に反映されるということです。また、私たちの行動は、繰り返し行われるうちに習慣となります。そして、習慣は、私たちの性格や人格を形成する性質となります。そして、その性質が、私たちの将来の運命を決定するのです。

 私たちの人生において、言葉と行為の重要性を説いています。私たちは、何を口にするかに注意を払うことで、自分の行動をコントロールし、良い習慣を身につけ、良い性質を育むことができます。そして、それは、私たちの幸せな人生を築くための基礎となるのです。

  • いつも前向きな言葉を口にする。

  • 他人を傷つけるような言葉は慎む。

  • 自分の考えや気持ちを正直に伝える。

  • 感謝の気持ちを言葉に出す。

 自分の言葉や行為を振り返る時間を定期的に持つことも大切です。自分の言動が、どのような影響を及ぼしているかを客観的に見つめることで、自分の良い点や改善すべき点を認識することができます。
このタルムードの教えを参考にして、私たちは、より良い言葉を使い、より良い行動を心がけ、より良い人生を歩んでいくことができるのです。

『努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない』

 これはヘブライ聖書の記述だ。5000年受け継がれてきたユダヤ教は、自分の人生だけでなく、子供や孫のことも含めて、物事を考える仕組みになっている。ユダヤ人は世界で初めて義務教育を行ったとされるが、そこにはこうした聖書の教えがある。
ユダヤ教は教育そのものが宗教の重要な要素で、「ジューイッシュマザー」は、本来はそこから派生している。そして「子供のころに自分がしてもらってよかったと思う同じことを、自分の子供にしてあげる」ことが教育の基礎になっている。

『ゴシップは必ず三人の人間を殺す。言い触らす人。反対せずに聞く人。話題になっている人』

『自分より賢いものに負ける方が、自分より愚かなものに勝つよりも得だ』

『祈っても答えがなかったら、もう一度祈るべきである』

 祈りは、神とつながり、神の導きを求めるためのものです。祈りをすることで、私たちは神の存在を信じ、神の愛を感じるようになります。また、祈りを通して、私たちは自分の願いや願望を神に伝えることができます。
しかし、祈りはすぐに答えられるとは限りません。時には、私たちの願いが叶わないこともあります。そのような場合、私たちはつい諦めてしまいがちです。
しかし、この教えは、そのようなときこそ、もう一度祈るべきだと説いています。なぜなら、祈りは神との信頼関係を築くためのものです。祈りを続けることで、私たちは神との信頼を深め、神の導きを受けることができるようになります。
 また、この教えは、忍耐の大切さを説いています。
祈りは、すぐに答えられるとは限りません。時には、長い時間待たなければならないこともあります。しかし、忍耐強く祈り続けることで、私たちは神の導きを受けることができるようになります。

金、富、物に関する教訓

『人は塵から生まれてきた。生まれてきてから得たものに執着するな』

 物欲の戒め。特に歴史上迫害されてきたユダヤ人たちは、お金や物、不動産などいつも奪われる可能性があったことから、人生を切り開く知恵だけはきちんと受け継いできた。この財産だけは、誰にも奪うことはできないし、相続税もかからない。

『金が有りすぎると人間は獣のように警戒心が強くなるが、金がまったくないとなりふり構わない本当の獣にまる』

 金銭には以下の様な二面性が有り、金銭を単なる道具として捉え、それに執着しないように警告するものと言えます。金銭は、人間の幸福のために使われるべきものであり、それ自体が目的であってはならないということです。
・金銭は、人間の生活を豊かにし、幸福をもたらすものである一方で、人を傲慢にし、他人を妬む心を育むものにもなり得ます。金銭に執着しすぎると、人間は周囲のことに目を向けなくなり、警戒心が強くなり、他人を敵視するようになります。これは、金銭が人間の心を獣のように荒々しくさせるためと考えられます。
・一方、金銭がまったくないと、人間は生きるために必死になり、他人に危害を加えたり、法律を犯したりするようになります。これは、金銭が人間の心を無秩序にし、他人を無視するようになるためと考えられます。 

 心身とも健全でいるためにはある程度のお金が必要であり日本のように「お金は汚い」と考えず、金銭を適切に使いこなすことで、豊かで幸福な人生を送りましょう。

  • 金銭は、人間の幸福のために使われるべきものであり、それ自体が目的であってはならない。

  • 金銭に執着しすぎると、人間は傲慢になり、他人を妬む心を育む。

  • 金銭がまったくないと、人間は生きるために必死になり、他人に危害を加えたり、法律を犯したりするようになる。

『心の平穏は財布次第』

 経済的な安定が心の平穏につながるという教えです。
経済的に困窮していると、生活の不安から心が安らぐことができません。
しかし、経済的に安定していれば、生活の不安がなくなり、心が平穏に保たれるというのです。もちろん、経済的な安定がすべてではありません。心の平穏を得るためには、経済的な安定に加えて、家族や友人との良好な関係、充実した趣味など、さまざまな要素が重要です。しかし、経済的な安定は、心の平穏を得るための重要な基盤であることは間違いありません。

『人にお金を恵む時は、全員に配った方が良い。もらった人が恵んでもらったという惨めな気持ちにならないで済むからだ。』

 助けられた人が「恵んでもらった」という惨めな気持ちにならないように配慮し、貧しい人や困っている人を助けることが重要である。
なぜなら、助けられた人は、自分は恵んでもらう側の人間だという意識が強くなり、自尊心や自信を失ってしまう。また、助けられた人を憐れむ気持ちが強く成らないようにしないと、助けた側も助けられた側も、良い関係を築くことが難しくなるからです。
そこで、助けを与える際には、全員に平等に配ることが望ましいとしています。全員に平等に配ることで、助けられた人は、自分だけが助けられたのではないという安心感を得ることができます。また、助けた側も、助けられた側を憐れむ気持ちから解放され、助けられた側と対等な関係を築くことができます。

  • 困っている人がいる場所で、お金や物資を配る際には、全員に平等に配る。

  • 寄付をする際には、特定の団体ではなく、複数の団体に寄付する。

  • 困っている人を助ける際には、助けられた人の立場に立って考え、助けられた人が惨めな気持ちにならないように配慮する。

『どうしても一人にお金を恵む時は、むしろその人にお金を貸す形を取ったほうがいい。貸し借りは対等だから、借りたほうが惨めにならないで済む。その代わり取り立てをしてはならない。返せる時に返してもらうようにせよ』 

 お金を恵む際には、借りる側の立場を尊重することが重要であると説いています。
お金を恵むということは、ある意味では、借りる側を助けるために自分のものを犠牲にする行為です。その際に、借りる側に「見返り」「負い目」を感じさせてしまうと、その助けはかえって相手を苦しめてしまうことになります。そこで、タルムードは、お金を恵む際には、借りる側と貸す側が対等な関係になるように、お金を貸す形を取ることを勧めています
貸し借りは、双方が合意した上で行う行為であり、借りる側は貸す側に借金の返済義務を負いますが、一方で、貸す側も借りる側の状況を尊重し、無理な取り立てをしてはならないということになります。

  • 借りる側の状況をよく理解し、本当に必要な人にお金を渡すようにする。

  • 借りる側に負担をかけないよう、利息を取らないか、低い利息にする。

  • 返済期限を厳しくせず、返せる時に返してもらうようにする。

 日本人の ”貸したお金はあげたと思え”とは、同じ様で異なりますね。この少しの違いが世界の金融を抑えるユダヤ人との違いですね。
ユダヤ教では、聖書にお金の貸し借りの細かいルールが記載されている。あくまで貧しい側に立った戒律で、7年で借金がチャラになる、と書いてあるほどだ。これはユダヤ人たちが、新しいチャレンジを厭わない土壌にもなっている。

『今日あなたは、自分の穀物倉庫を見て、穀物の量を数えようとした。その瞬間にあなたは神から見放される』

 ユダヤ教では、お金や物など、「数えられるもの」には幸せは宿らない、と説いている。「これだけ儲かった」と考えた瞬間に、神の庇護がなくなるとし、「お金儲けに一喜一憂すること」を明確に戒めている。
逆に、「ウィズダム(知恵)を手に入れるためには、お金という対価を払わないといけない」という話がある。これは、対価なしで、賢明さは身につかないという教えであり、何かを失わなければ何も得られない、という戒めでもある。

『人を傷つけるモノが三つある。 悩み、いさかい、空の財布だ。その内、空の財布が最も人を傷つける。黙っていては幸せは逃げていく』

 この教えは、空の財布がもたらすダメージの大きさを訴えています。経済的な困窮は、人を最も傷つけるものであり、注意すべきだと警告しています。そして、この教えは、「黙っていては幸せは逃げていく」という一文で締めくくられています。これは、人々が幸せを手にするためには、積極的に行動し、声を上げるべきだという教えです。

 悩みやいさかいは、心身に大きな負担を与え、人を追い詰めてしまうことがあります。しかし、それらは、時間や努力によって解決できる可能性もあります。
 一方、空の財布は、生活に直結する問題であり、解決が難しいものです。経済的な困窮は、精神的な不安や焦燥感を招き、人間関係にも悪影響を及ぼします。

 悩みやいさかいを抱えている人は、一人で抱え込まず、信頼できる人に相談したり、専門家の助けを求めたりして解決に取り組むべきです。また、経済的な困窮を抱えている人は、一人で抱え込まず、周囲の人に助けを求めたり、行政や民間の支援機関を利用したりして、解決に取り組むべきです。
さらに、人は、自分の意見や考えを積極的に発信し、自分の権利を主張することで、幸せを手にすることができるのです。

『金は、よいセンス意外のモノなら何でも買える』

 金は物質的な豊かさや地位、権力など、多くのものを買うことができる。しかし、物事の本質を見抜く力や、的確な判断力、バランス感覚などは、金で買うことはできません。
金の限界を示すとともに、よいセンスの大切さを説いています。
良いセンスとは、物事の本質を見抜く力や、的確な判断力、バランス感覚などとしています。

現代社会は、物質的な豊かさが追求される一方で、価値観の多様化が進み物質的な豊かさだけでは、幸せや満足感を得ることが難しくなってきています。このような中で、よいセンスは、物事の本質を見抜き、自分にとって本当に大切なものを見極めるために、欠かせない能力と言えるでしょう。
よいセンスは、生まれ持った才能だけでなく、日々の経験や努力によって磨くことができます。

『富は要塞であり、貧苦は廃虚である』

 富は、要塞のように、外からの危険や脅威から身を守る力を与えるものであるとされています。
富があれば、食料や住居、衣服などの基本的な生活必需品を手に入れることができ、また、病気や災害などの困難な状況に陥っても、それを乗り越える力を得ることができます。
 一方、貧困は、廃墟のように、何の役にも立たない。貧困は、食料や住居、衣服などの基本的な生活必需品を手に入れることのできない状態であり、また、病気や災害などの困難な状況に陥ると、それを乗り越えることが困難になります。

 富や貧困を単純に善悪で判断するものではありません。
富は、善に使われれば、社会や人々の役に立つものであり、貧困は、善意の助けによって改善されるものであると考えられています。
 ・富は、社会や人々のために使われるべきである。
 ・貧困は、社会の課題として解決すべきである。
 

『かゆいところをかく事と、困ったときに金を借りる事は、一時しのぎに過ぎない』

 問題に直面したときは、根本的な解決策を追求することが大切です。そのためには、冷静に問題の本質を分析し、適切な解決策を導き出すことが求められます。一時しのぎの解決策に頼るのではなく、根本的な解決策を追求することの大切さを説いています。
 かゆいところをかいても、かゆみはすぐにまた戻ってきます。困ったときに金を借りても、その借金はいずれ返済しなければなりません。そして、借金の返済に困ると、さらに困窮する状況に陥ることもあります。
 ・かゆいところをかく代わりに、かゆみの原因を探し出して対処する。
 ・困ったときに金を借りる代わりに、収入を増やしたり、支出を減らしたりして、自立する。

『三つのモノは隠す事が出来ない。恋、咳、貧しさ』

 人間の自然な感情や状態を受け入れ、無理に隠そうとせず、あるがままに生きることの大切さを教えています。
恋は、目や表情、言動などに表れ、抑えようとしても抑えきれません。
咳は、病気や体調不良の表れで、声や咳払いによって周囲に伝わります。
貧しさは、服装や持ち物、生活ぶりなどから察知されます。

 また、人間の自然な感情や状態を受け入れ、周囲に配慮しながら生きることの大切さを教えています。
恋は周囲の人を巻き込み、咳は周囲の人に感染する可能性、貧しさは周囲の人に同情や助けを求める可能性など周囲の人に影響を与えます。

『どんなに裕福な金持ちであっても、助け合いの個々を持たない人間は、豪華な料理に塩がないのと同じである』

 「貧しい者に手を差しのべよ」というのは、ヘブライ聖書の基礎となる教えだ。
ユダヤ教には「ツェダカ」という寄付の仕組みがあり、金持ちでも貧しくても、収入の10分の1を寄付することになっている。そこには、お世話になった人への恩返し、社会還元の意味もある。マーク・ザッカーバーグやシェリル・サンドバーグも寄付活動に励んでいます。
こうした相互扶助、助け合いの精神は、ユダヤ人たちの起業やチャレンジを後押ししています。

『金は道具である。道具に支配される者はいない。だから道具はできるだけ多く持っていた方がいい』


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