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悪魔のせいじゃない


宗教2世として21歳まで過ごしてきて、
週に三日は集まりがあり、
宣教活動をする日もあり、
なるべく外界と接しないような生活をしてきて。
子供だから、
サボりたいなぁとかよく思っていたけど、
なんだかんだで病気(ときどき外出)以外で休むことはほとんどなかったと思う。
ある意味外界との接点を減らせていたんだと思う。


なぜ外界との接点を減らしていたか。


神(の教え)から離れると、
悪魔の影響を受けやすくなるから。
外界には魅惑的なものが多く存在し惑わされるから。


19歳の時、
今じゃ法律にひっかかる傘差し自転車で事故り3週間入院した。
生きていることが奇跡くらいの事故で、
相手の車を廃車にし免許の点数もあげちゃったくせに、
わたしに至っては自転車の廃車と肩の脱臼で済んだという硬度の体を持ち合わせていたという。
まったく申し訳ない。


脱線したが、
そんな奇跡?を神に感謝する母とは裏腹に、
その3週間の入院生活で悪魔の影響を受けやすくなってしまった。
といっても、
決して信心深い子供ではなかったけれど。
入院生活中に決定的な「ナニカ」があったわけではない。
ただ疑念を抱いてしまったのだ。


仲の良い人や、
学校の友達などがお見舞いに来てくれて、
それは純粋に嬉しかった。
傷だらけの顔を見られるのは恥ずかしかったが。
でも、
その気持ちを真っ直ぐに受け取れた。
そんな中、
日頃「集まっている方々」からお見舞いのメッセージをもらった。

「ビックリしました」
「早く良くなってください」
「(会えなくて)寂しいです」

そんな感じのメッセージだ。
普通に気持ちを受け取ればいい。
それなのに、
頭に浮かぶのは(嘘つくなよ)だった。
だって、
ほとんど話したりしたことない人だったから。
え?何が寂しいって?
上っ面(に聞こえる)の言葉に嫌気がさしてしまった。


それ以降、
復帰してからも疑念を払拭できなかった。
人の言葉を真っ直ぐに受け取れなくなってしまった。
この世界で生きていく未来の自分の姿が見えなかった。
こんな感覚の人間は居心地が非常に悪かった。
21の時にきっかけがあり、
外界へと飛び出した。


とまぁ、
それ以降の話は置いておくが。


月日は流れ、
20年経った現在、
あの頃抱いた感覚と同じものを感じている。
人の言葉を真っ直ぐに受け取れない。
というか、
引いている自分がいる。
あの世界にはもういないのに。
まったく違う集団(宗教ではない)のことなのに。
別にわたしに向けられた言葉でもないのに。



そうしてやっと気づいた。



これは性格だ。
わたしの捻くれた性格のせいだったんだ。

「心配で眠れない(仕事に集中できない)」
「涙が止まらない」
「みんなに会えてよかった」

別にひっかかる内容でもないんだけど、
これが多数見られると、
え?過剰表現じゃない?
多くない?
こわくない?


って!!


思っちゃって!!


これは完全に性格だよね。
ただ愛が足りないのだろう。
悪魔、
ごめん。
そなたのせいではないようだ。
なんかごめんね。


これがわたしなんだ。
別に悩んでもいないから心配無用。
わたしの熱量が少なくっても、
好きなものは好きだから、
誰にとやかく言われたわけでもないし、
これでいいや。


最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

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