見出し画像

至近距離視点

前回マルクス・アウレリウスの「自省録」を読み終えたわけだが、
同じ超訳版ではあるが、
今回は「ニーチェの言葉」を読んでみた。
きっかけはMrs.GREEN APPLEの「ケセラセラ」。
歌詞に登場するツァラトゥストラからニーチェへ繫がる。

感想としては、
マルクス・アウレリウスが宇宙視点とすれば、
ニーチェは至近距離視点ということだろうか。
そして、
マルクスは自分に対して問うているが、
ニーチェは先生ともあってか、
外に向けて発言している。
自省録とのギャップを感じる。


マルクスは2世紀頃の人物だが、
ニーチェは19世紀後半の人物で、
当然世の中も大きく文明が栄えており、
浮き彫りになる問題も変化している。
ただこれだけの年月が経っていようとも、
同じ様な思考をしているところがあり、
そこはすごく興味深い。

例えば…

014 好奇心に振り回されない
身の周りや世間で起きているいろいろな事柄に、そのつどごとに首を突っ込んでいると、結局は自分が空っぽになってしまう。
〜中略〜
世間のすべてを見聞できるほど人生は長くは続かない。

超訳ニーチェの言葉 エッセンシャル版より

097 全方位に注意を向けるのはやめる
君は、自分の外から入ってくることに気を散らされるというのか?
〜中略〜
ただしい方向に思考を向けずに一生を費やしている者は、たとえ激務をこなしていても時間を無駄にしていることになる。

超訳自省録より

037 脱皮して生きていく
脱皮しない蛇は破滅する。
人間もまったく同じだ。古い考えの皮をいつまでもかぶっていれば、やがて内側から腐っていき、成長することなどできないどころか、死んでしまう。

超訳ニーチェの言葉 エッセンシャル版より

013 変化しないものは役に立たない
〜省略〜
燃料のたきぎが変化しなければ、風呂に入ることもできないではないか。食べ物が変化しなければ、栄養にならないではないか。どんなものごとであっても、変化しなければ役に立つことはない。
では、君自身にとっても変化が必要なことが見て取れないのか?宇宙の自然にとっても変化が必要であるのに。

超訳自省録より

マルクスの時代でも、
ニーチェの時代でも、
人間は同じ様に時間を無駄にする人が多く、
変化を好まない人が多いということか。
現代はニーチェの時代からも更に文明が進んでいるが、
2000年前も100年前も、
人間の本質が変化していないのかと思うと、
なんとも悲しい気持ちになる。
マルクスの時代の平均寿命は24歳程度。
ニーチェの時代で40代。
今は人生100年時代。
どれだけ生きようとも、
人生は短く、
くだらないことに時間を割くべきではないと言う。
人間の欲は際限がないのだろうか。


ニーチェの至近距離視点だが、
正直言葉がキツイ。
グサッと刺される。
と、わたしは思っている。
ということは、
痛いところを突かれているんだろう。
ただ、

154 本を読んでも
本を読んだとしても、最悪な読者にだけはならないように。
〜中略〜
本の中から自分につごうのいいもの、今の自分に使えるようなもの、役に立つ道具になりそうなものだけを取り出して盗むのだ。
そして、彼らが盗んだもののみを、あたかもその本の中身のすべてであるというように大声で言ってはばからない。

超訳ニーチェの言葉 エッセンシャル版より

と突っ込まれてしまっているので、
どうぞわたしの感想は、
あくまでもわたしの一個人の感想として受け取ってほしい。


最後は、
彼の好きな言葉で締めようと思う。

034 少しの悔いもない生き方を
今のこの人生を、もう一度そっくりそのままくり返してもかまわないという生き方をしてみよ。

超訳ニーチェの言葉 エッセンシャル版より


最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?