見出し画像

人間になりたかったアメーバ その3

『となりのせきのますだくん』は、みほちゃんの視点で話が進んでいきます。

初めて読んだとき、みほちゃんもお母さんもクラスメイトたちもごく普通の人型に描かれているのに、どうしてますだくんだけが怪獣なのか不思議でしかたありませんでした。どうやら、作者にはますだくんだけを特別に際立たせたい理由がありそうです。

わたしは幼い心ながらにこう想像していました。

「きっと歯がゴジラみたいにトゲトゲで、まわりに比べて体が大きいんだ。教室では先生を困らせるジャイアンみたいな暴れん坊なんだろうな」
「ひょっとしたら、怪獣のTシャツをいつも着ていたからかもしれない」

繰り返しページをめくりながら、物語の終わりに差しかかったころ、わたしの探している「答え」が見つかりそうな気がしてきました。

あるとき、ますだくんがみほちゃんの鉛筆を折ってしまいます。

それは、みほちゃんが友だちからもらった、いいにおいのするピンクの特別な鉛筆でした。大切にしているものを壊されたみほちゃんは、泣きながらますだくんに消しゴムを投げつけます。それまでになかった大げんかが始まりました。

見開きいっぱいに描かれたイラストを初めて見たとき、ことわざ辞典で知ったばかりの「窮鼠、猫を噛む」が頭に浮かんできたのを覚えています。読み返すごとについ「よくやった、みほちゃん!」と応援してしまうほどの迫力がありました。

しかしそのせいで、みほちゃんはますだくんに仕返しをされるのが怖くなってしまいます。

次の日、みほちゃんは学校に行きたくない気持ちと、見たくない顔に会う恐さと戦いました。それでも覚悟を決めて家を出ていきます。

ますだくんは教室ではなく、門にギコギコとぶら下がって待ち構えていました。

ランドセルを背負ったちいさな女の子が、汗を垂らしながら一歩ずつ足を踏み出していきます。さまざまな構図でその様子を描いたコマをひとつずつ追っていくと、みほちゃんの張り詰めた気持ちがわたしの手のひらまでヒリヒリと伝わってきました。

「やめてー!」とみほちゃんの無事を祈りながら、おそるおそるページをめくると、こんなセリフが書かれていました。

「ごめんよ」

なんとますだくんが、知らないふりをして歩いて行こうとするみほちゃんの手を捕まえて謝ってきたのです。尖った爪の大きな手が差し出した鉛筆は、セロテープがくるくると不器用に巻かれていて、折れたところも微妙にズレたままくっついていました。

最後のページには、並んで校舎に入っていくみほちゃんとますだくんの姿が描かれています。

しかも、ますだくんは怪獣ではなくなっているのです。そこには、みほちゃんよりちょっとだけ背が高くて、半ズボンを履いた男の子の後ろ姿がありました。

どうしてだろう?

大人になったわたしは、どうにかその理由を言葉にしてみようと頭をひねりました。もちろん、子どものころは描かれた絵のままを素直に受け取っていて、そんな疑問はまったく浮かびませんでした。

ラストシーンを何度か読み返して、ようやくあることに気づきます。

みほちゃんは、ますだくんに返事をしていませんでした。

仲直りではたいてい、相手が謝ってきたら「いいよ」とか「わかった」とか、何かしら受け答えをします。でも、それが描かれていなかったのです。

もしかしたら、みほちゃんはまだますだくんを心からはゆるせていないのかもしれません。これまでも、乱暴な言葉づかいや、ひどいイジワルをいくつもされてきました。鉛筆のことだけ「ごめんよ」と言われても、みほちゃんの気持ちは晴れないと思います。

それでも、ますだくんはみほちゃんが大切にしていたものを傷つけたことに気づきました。だからこそなんとか元どおりにして返そうとしたのだと思います。みほちゃんは「ますだくんも、この鉛筆が大切なものだとわかってくれた」と安心できました。その瞬間、彼を怪獣ではなく、同じ歳の男の子として見ようと決めたのだと思いました。

わたしもみほちゃんのように選べるのかもしれない。

大事にしている何かをわたしのまわりにいる「ますだくん」と分かち合えたなら、緑のギザギザが頭や背中に張りついていて、楕円形の目でぎょろっと睨みつけてくる怪獣が、別の姿に見えるんじゃないか。

そんな風に感じました。

まずは、いちばん親しい家族に試してみようと思いつきました。

とはいえ、ますだくんの話をそのままなぞって、親や妹にわたしの持ちものを壊してもらったり、学校の門で待ち伏せしてもらったりするわけにはいきません。その代わりに、お互いの大切なものを知るための、一緒に話す時間をつくることならできそうでした。

思い立ったが吉日とばかりに、つまみが取れかけた大きながま口財布を握って家を飛び出しました。

相変わらず、犬を連れて散歩するおばさんも、ランドセルに引っかけた給食袋を揺らして家路を急ぐ子どもたちも、みんなますだくんの顔をしています。わたしはそんな人たちには一瞬も目もくれずに、最寄りのスーパーまでずんずんずんと脚を動かしました。

入ってすぐの野菜売り場も、肉や魚の冷蔵品コーナーも、ずらっと並ぶ調味料の棚も素通りして、お菓子が陳列されたパラダイスへ向かいます。

角を曲がると、安売りのポップが視界に入りました。ワゴンに山積みになっている、わたしの大好きな98円の「じゃがりこサラダ味」がぴかりぴかりと光を放って見えたのでした。

 

この記事は、倉園佳三さん・佐々木正悟さん主催「書き上げ塾 第九期」を受講して書いたものです。マガジン形式で更新していきます。


この記事が参加している募集

熟成下書き

読んでくださりありがとうございます! いただいたサポートはまるやまの書くエンジンになります☕️