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35歳、劣等感強めで、人に教える側になれない問題

最近は喋ってて、嫌になる言葉が多い。
自分の口から出しといて。
「うちの子は出来が悪いから」って言う親みたいに、
自分を卑下することのが楽で。
癖みたいになっている。

自分の環境とか、テンションとか、向き合い方とか
内面も卑下して卑下して。
劣等感まみれで、自己肯定感ゼロが通常運転。
その方が冗談にもしやすくて、楽だと思ったから。
でも、楽じゃなくなってきた。

例えば、
私には人に教える資格がないだとか。
そもそもやりたくないとか。(でもやる)
やらなきゃいけないからやってるだけ。(でも責任も負う)
何がしたいかわからないけど、
それでも別にいい。
だって、やらなきゃいけない現実は変わらない。
そういう意味では逃げません。
忍耐力は人一倍。社畜なので。

でも、こんな忍耐だけで乗り切る考え方、
まさに昭和の遺産。古臭い。
残念ながらその忍耐のおかげで
良くも悪くも今の私がある。
「継続は力なり」は、信じてる。

モチベーションなんて、いらないらしいから
やりがいとか気持ちの部分よりも
「ただ、やらなければいけないからやる」っていう気持ちだけ。
ある意味迷いの無い気持ちだけど、すごく虚しい。

だから人に偉そうな事は何も言えない。
目の前のことをただやるだけ。それしか教えられない。
やり続けた人にしか分からないから
言葉じゃ説明出来ない。

やりがいや楽しみがあったとしても、
それは自分への催眠の気がして気持ち悪く感じてしまう。
これも根深い社畜根性による弊害かな。

良いと思うこと。好きなことを続けたら良いだけなのに。
そうやって楽しく生きていきたいだけなのに、
それをたまに忘れてしまう。


#日記 #エッセイ #35歳 #ワーカホリック #社畜 #サラリーウーマン #制作会社 #働き方改革

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