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【音楽連載】|漆黒の音:最終回|Imagineという真っ白なキャンバス|音楽と文:慶田盛大介

Imagineという真っ白なキャンバス

imagineという曲が好きだ。

でも高校生で初めて聴いた時、まったくピンとこなかった。
ビートルズを聴きまくっていたその時期、ジョン・レノンのソロのimagineはどこか味気なく感じていた。

ところが、年を重ねるにつれimagineのふところの大きさや深い意味を、自分勝手、気ままに、想像し、感動しているのだ。

高校生の時はなぜ味気なく感じてしまっていたのだろうか?僕なりに考えてみた。
それは、ジョンがimagineに自分の色をのせずにつくったからではないかと思う。
これは一個人の想像なのであしからず。

imagine(想像する・思う・心に描く・推測する・仮定する)
ジョンは聴いてくれる人すべてに『真っ白なキャンバス』を届けてくれたのだと感じる。

「想像してみてごらん」

国境もない、天国も地獄もない(宗教で分断されることもない)国家もなく、すべての人々が平和で生きてる所を。

想像してごらんっていう言霊を投げかけ、あなたってじゃあどういう存在なの?あなたの色は何?そして、あなたのまわりで生きている人へ思いやる心って何?ということの問いかけまで行間にこめているのだと思う。

あなたの表現したいことは何?ということの問いかけがimagine(真っ白なキャンバス)だと僕は感じてしまうのだ。

ワクワクの羅針盤

僕らは贈られたこのimaginというキャンバスに色を描いていく。

描いてくことってどういうことだろう?何を基準にどういうことを描けばいいのか、何を表現すればいいのだろう?結構わからなかったりすると思うのだけど、そこで大事なことは『ワクワクの羅針盤』に沿って進むことなんだと思ってる。
ワクワクっていうのは人間の持ってる『いちばんきれいな欲』だと思う。
すごく純粋な欲求。
これがしたい!そこに進みたい!という衝動が人間の『生きる』っていうことのエネルギーだと思うのだ。

だからそれがなくなると、人ってなかなか進めなくなったりする。
全然前に進めずどうやって進んでいいのかすらもわからなくなったりするけど、
そんな時は泥のようになって、本やマンガを読んだり、テレビを見たり、もう何にもしなくてもいいから、何でもいいから雑音でもいいから、全部頭の中に色んなことを吸収して、インプットしたらいいのだと思う。

「もうワクワクすらもしないんだけどー」となったら、いっそのこと『何もしない』ということを本気でやってみる。
本気でやることが大切で、そうしてるうちに「あっ、もうそろそろもうこれ飽きてきたな」となれば何気ない日常にちっちゃなワクワクの芽がめばえてくるのだ。(本人経験談)

これは個人差があって、そうならないかもしれないが、これもひとつの手段であり方法だと思う。

なのですべてのことにおいて、何が正解、何が不正解ということではなく
世間の常識や習慣の中では「あなたニートだから」というレッテル貼られたとしても、本気でニートをやってみたら、もしかするとワクワクへ進むための糸口を見つけることができるかもしれない。

正解と答え

世間が言う常識ということが、ホントにすべて正しいのだろうか?
そして、みんながやっている習慣というものも、ホントにすべて正しいのだろうか?

ちゃんと自分で調べてみる必要があると思うのだ。

少しでも違和感や疑問符が頭をよぎった時は自分で調べて、自分はこうしたいなと思った方向へ向かっていけばいいのだと思う。

『正解』『不正解』というのは、国や地域の常識や習慣のカテゴリー内でのルールなのだ。

しかし『答え』というものの持っている言葉の意味合いは、それらと異なるように思う。

『答え』というのはボーダレスであり、『正解』『不正解』の枠に囚われることなく、自分の中で納得して、自分の中でこうだと思ってることが『答え』だと思うのだ。

「誰々がこう言ったから」とかではなく、ましてや「こう教えられたから」ということでもない。自分がこう思って、自分がこういうふうにワクワクの羅針盤が指し示す方へ進みたいと思ってることが、『答え』だと思うのだ。だから、『答え』というエネルギーが無限大にある反面、『正解』というのは、あるカテゴリー内では一つの縛りでしかないのだと思う。

『答え』は無限大にあるがゆえに、なかなかたどりつけず、たくさん迷走してしまうのだ。

今、起きている戦争も『正解』と『正解』の戦争であり、どちらもどちらの『正義』をかざして子どもたちの未来を奪っている。

なんか『正解』と『正義』は同じ言葉に聞こえてしまう。

答えへの鍵

『答え』への鍵は冒頭でも書いたように、『imagine』することなのだと思う。

報復や復讐ではなく、相手のことを想像し思いやる気持ち。
みんながしあわせになる『答え』をimagineする。そうなれば自ずとワクワクやドキドキが生まれてくる。

そして、その先にはそれぞれが抱いている『答え』=happyにたどり着くと思うのだ。

最後に僕のオリジナル曲である「happy」を届けます。

happy

happy day
happy time
happy moment
happy life

つまらないことで
こころがblueになってしまっても
おなじ青なら空のあおさが
なんかすっきりするのさ

happy day
happy time
happy moment
happy life

昨日より今日のこと
明日より今日のこと
みもふたもない話しよりも
すこしわらったこと

happy day
happy time
happy moment
happy life

そう地球がまわってるように
そう世界もまわりはじめる
でもぼくはあくびするだけ
そうぼくはあくびするだけ
考えることをかんがえずに
ぼくのままでうたうさ

happy day
happy time
happy moment
happy life

思いだせることのすべては
みんなとのおもいでさ
かなしみも たのしみも
そう 消えない絆さ

happy day
happy time
happy moment
happy life

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この記事を書いた人


慶田盛大介

1978年石垣島生まれ。大学進学とともに上京。バンド、ユニット、ソロで音楽活動をし、指笛で紅白歌合戦に出場。2021年、クラウドファンディングを達成し、制作したCDアルバムをひっさげて帰郷。2022年、服とギャラリーの店kan-kanをOPEN。現在、石垣島を拠点に音楽のみならず、全てのアートをツールとし表現中。
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