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【バトン連載】人生のモットーは挑戦|縁をつなぐエッセイ vol.7|文:中村もも@石垣島



みなさん初めまして、石垣島出身の中村ももです。

高校卒業後、関東の専門学校に進学し、今年の春から石垣島に帰ってまいりました!しゅーやさんからの素敵なバトンを繋いでいただき、文章力のない私のエッセイですが優しい心で読んでくださると嬉しいです。(笑)

人生のモットーは「挑戦」

小学校6年生のころ「AED48isg」というダンスボーカルユニットに挑戦したことをきっかけに、私の世界が変わった。「AED48isg」は石垣市消防本部のプロデュースで、救急法及びAED設置の普及啓発活動を目的に結成されたユニットだ。

それまでの私は母や姉の後ろに隠れて、引っ込み思案で泣き虫だった。部活に所属していなかった私にとって「先輩」「後輩」という関係すら初の経験。敬語も全く使えない私に、消防団の方々や先輩方はいつも優しく教えてくださった。人生初のダンスにステージと共に色んな事を経験させていただけたおかげで、ステージに立つ楽しさを知ることができた!

AED48isgの解散ライブにて

中学3年の時にAED48isgの解散が決まった。でも、後継チームとして結成されるアイドルグループへの所属することが決まった時はすごく嬉しかった。

高校生になると、アイドルグループに所属しながら、知り合いに耳の不自由な人がいたことをきっかけに、手話サークル「碧の会」で手話を勉強したり、ダンス部や生徒会に所属したりなど、色んなことに挑戦させてもらった。

そして高校3年生の私は大きな挑戦をする。それは、ガールクラッシュユニット「KI-HAT」のプロデュースすること。アイドルをしていたときにサポートしてくれていた方々のかっこよさや、ありがたみを感じて、高校生の私は「アーティストマネージャー」という夢に出会えた。その夢への第一歩として、プロデューサーに挑戦してみようよ!と提案していただき、「未知の世界への挑戦」が始まった。

KI-HATのメンバーたち

グループ名を「KI-HAT」に決め、コンセプトをまとめ、デビュー曲の作詞やオーディションの審査も担当。初めてのことばかりで、多くの人に助けてもらいながら、やっとグループがデビューできた!そう思った矢先・・・コロナ禍に突入。デビューと同時にイベントが減り、さんさんラジオの冠番組もリモート収録となった。「KI-HAT」は1年限定のユニットとして結成していたからこそ、悔しさでいっぱいだった。

しかし、イベント出演がない中でも、SNSを使って知名度を上げたり、島の企業に取材に行く企画をしたりと、自分自身がアイドルとして活動していた時には気がつけなかったサポートの部分を知ることができた。そして、夢を本気で追いかけるためにコンサート制作の専門学校への進学を決意した。

憧れの東京!

関東の専門学校に進学するとき私は「島には絶対に帰ってこない!」と、宣言して島を出た。

憧れの東京!ワクワクしながら進学したものの、島と違って知らない人ばっかりだし、駅は出口いっぱいあるし、みんなせかせかしているし・・・。「ここで生活していけるかな・・・」と、すごく不安だった。

専門学校1年目はコロナ禍でリモート授業だったから、同級生と会えるのは週に1回ぐらい。”小さい頃からみんな友達“の世界で育った私にとって友達づくりが不安だった。

  • 友達になるってどうすればいいの?

  • 「〇〇ちゃん」「〇〇君」って呼ぶのはなんか違和感 (島だと、もーもー!って伸ばして呼ばれることが多すぎて)

  • みんなに石垣島出身って自己紹介して、島の場所は分かるのかな?

とか、余計なことばっかり考えては、1人で不安になっていた。けど実は、意外とみんなフレンドリーだった。石垣島と関東の気候の違いを話したり、島の学校生活を話したりなど、石垣島をきっかけにお話しできることがたくさんあって、結局は出身地にすごく助けられた。

イベントの企画を学ぶ

専門学校ではイベント企画を専攻して学んだ。学内イベントの企画の時には統括を担当させてもらい、さらに1年生の修了イベントとして東急プラザ蒲田で開催したイベントの時には、企業との連絡係と副統括を任せてもらえた。

音響ブースの設営

イベントに関わってくださった企業の方々や講師の方々は、「学生の考えたイベントだからこれぐらいのレベルでいいんじゃない?」って感じではなくて、常に『1人のイベント企画スタッフ』として接してくれた。

より良いイベントにしていくためにアドバイスをくれたり、夜遅くまでプレゼン資料の作成をサポートしてくれたり・・・。たくさんの方々に支えていただいたおかげで、私はすごく成長できたと思う。

学生みんなでイベントを作るのが楽しくて一生このままで時よ止まれ~、と思っていたのに、時は止まることなく2年生になり就職活動を始める時がやってきた。

イベント会場での現場指示

就職に向けて

就職に向けて企業を探そうと思っても『私は将来何がしたいんだろう?』と、自分自身への疑問が頭に浮かぶ。しかも、上京するとき私は同級生にも家族にも「島に帰ってこない」と宣言したから、出来れば関東で就職したい。そんな気持ちはあるものの、どんな仕事が自分に合うのか分からなくて、私は夏休みまで就職活動の始まりを延期した。

夏休みに入ると、バイトの忙しさを言い訳に就職活動から逃げ回った。でも流石にこのままでは無職になるかもという怖さから「関東でフラフラと仕事をするより、一旦石垣島に帰って実家でお金を貯めて将来を考えよう。」と思った。結局、あれだけ島には帰らない宣言をしていた私は、石垣で勤務できる会社の求人に応募することにした。

何も言わずに就活を進めていたのにも関わらず、両親や関東で一緒に暮らしていた姉は、私を応援してくれた。そして、そのおかげで島に帰ってくることができた。


石垣島に帰ってきて

島に帰ってきた私は、島での繋がりがすごく懐かしくなった。島のおじーおばー達に「おかえり~」って声かけてもらえたり、「大きくなったね~」って褒められたり。

そして、専門学校で学んだことを生かせるようになったことも嬉しい。仕事とは別に、島のイベントにスタッフとして関われるようになった。知り合いを通して新たな人との繋がりが生まれる。

ステージドリンクを準備する私

島にいるときは疎ましいと思っていた「島の中での繋がり」が、今となっては一番好きだ。関東という外の世界から石垣島を見たことで、島の良さにたくさん気がつけたと思う。

その良さを届けられる人になるために、これからも私は新たな挑戦を続けていきたい。

拙い文章でしたが最後まで読んでくださり、ありがとうございました!!!


次回のバトンは

私がバトンを繋ぐのは・・・
中学の同級生みーづー!
同級生ながら自分のお店をオープンしていて、たくさんの人に愛されていて、尊敬するところしかない美月にバトンをつなぎたいと思います!
みーづー!よろしくね~!

この記事を書いた人

中村もも
平成15年生まれ。石垣島出身。アイドル、プロデューサー、イベントスタッフ、手話・・・。気になったものにはとりあえず『挑戦』するタイプ。
関東にあるコンサート制作の専門学校を卒業して今年の4月から島での仕事がスタート。
最近の悩みは、、、
「自分に合ったリラックス方法見つからないこと」
おすすめのリラックス方法募集中!!

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