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【自伝小説】最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島|第7話 黎明期編(3)

【行ったり来たり漫才】

遂に七戸師範との邂逅の瞬間がやってきた。

県大会では挨拶程度の会話しかできなかったが、これから行うのは挨拶なんて生易しいものではない。まかり間違えば、逆鱗に触れるかも知れない重大な話し合いなのだ。

意を決したフリムンは、一歩ずつ、一歩ずつ、高校時代からの夢を叶えるために道場までの階段を上り始めた。

しかし、途中まで来ると何故か突然心拍数が爆上がり。

呼吸を整えるためにまた下まで降り、そこから体制を立て直して再び階段を上る。

そんな事が4~5回ほど続いた。それはまるで、ミルクボーイの“行ったり来たり漫才”であった。

「アカン、アカン、アカン…マジ怖すぎるって…」

それでも、反対を押し切り飛行機に乗ってまで辿り着いた最後のチャンスである。このままオメオメと帰るわけにはいかなかった。

フリムンは大きく深呼吸し、途中で止まらないようダッシュで階段を駆け上った。

今でもこの階段を見ると、当時を思い出し吐きそうになるという

「オオオオーーーーーーーッス(ハァハァハァ)」
「先日お電話したフリムンです(ハァハァハァ)」

県本部那覇道場のドアの前で、恐怖をかき消すように腹の底から声を振り絞ったフリムン。すると、奥の方から若い女性の声がした。

下は空手着、上は極真のTシャツを着ており、今まさに自主練の最中であった事が読み取れた。

そして、その女性は満面の笑みでこう告げた。

「押忍、いま師範は留守です♡」

次の瞬間、フリムンはそのまま前のめりにズッコケた。
階段での無駄な時間を返せと言わんばかりに…(ToT)

【正式入門】

遂に正式な極真門下となる日がやってきた。

劇画「空手バカ一代」で極真と出会ってから10年以上の月日が流れていたが、だからこそ喜びもひとしおであった。

待ち焦がれた恋人に出会えたような、ピュアな気持ちと言えば解りやすいだろうか?

師範に思いの丈を伝え、入門の承諾を得たフリムンは、早速その日から稽古に参加した。

もちろん、飛行機代の元を取るためである(笑)

ちなみにその時間は少年部の稽古だったが、せっかくなので子どもたちと一緒に汗を流した。

指導は師範と奥様のB先生であった。

フリムンの基本稽古や移動稽古(5本蹴り等)を見た師範とB先生は、開口一番「え?極真やってたの?」と驚いた表情を見せた。

高校時代に3ヶ月だけ経験者から教わった旨を伝えた。

次の稽古は、偶然にも「選手コース」であった。県大会に出場していた猛者たちが、次々と道場に集まってきた。

「あれ?フリムンさんですよね?」
「なんでここに居るんですか?」

頭の上にクエスチョンマークが点滅しているのがハッキリと見えた。

「押忍、今日からお世話になります」
「押忍」
「押忍」
「押―――――忍」
「出来るだけ毎月出たいと思っています」
「石垣から通うの?凄いね」

こうして笑顔で自己紹介を終えた面々。しかし、これから始まるのは選手稽古である。

誰一人として目は笑っていなかった。

【初稽古】

いよいよ極真空手家として初めての選手稽古が始まった。その日、県大会の上位入賞者は不在であったが、道場内は緑帯以上の猛者で埋め尽くされていた。

軽い準備運動から、ミット、スパーリングと稽古は続いたが、フリムンは最後まで食らい付いた。

キックミットでは、持ち手の顔が歪んだ。
スパーでも、相手の顔は引き攣っていた。

県大会の時同様、手応えは十分であった。

稽古終了後、参加した先輩方から「流石にスタミナありますね」「全然大丈夫そうじゃないですか」と驚きの声があがった。

フリムンは、まんざらでもなかった。

稽古が終わった後、師範や先輩方にお礼を告げ、来月もまた来る旨を伝えて帰路に着いたフリムン。

心の中は晴れ晴れとし、これから始まる“極真八重山史”に思いを馳せていた。

【カツカレー事件】

島に戻ったフリムンは、いつものように自主練のためZ道場へと向かった。

すると、Z先生が1枚の紙を渡しながらこう告げた。

「昨日、若い子が訪ねて来ていたよ」
「え?誰でしょう?」
「隣のビルの1階で花屋をしているらしいよ」

そう言って渡された紙には、お店の電話番号と名前が記されていた。フリムンはそれを手にし、何事だろうとドキドキしながら頭を巡らせた。

翌日、お店を訪ね彼の名前を呼ぶと、奥から若い青年が出てきた。

Z道場近くにあった当時のお店。現在は別の場所に移転している

聞くと、去った県大会のテレビ放映を見て感銘を受け、フリムンの所在を探す内にアッと言う間にZ道場に辿り着いたのだという。

狭い島あるあるである。

実はそれまで石垣島に民放は繋がっておらず、テレビはNHKのみ。県大会の開催された新年度より、遅ればせながら民放の放映が始まったばかりであった。

こういう所がフリムンの運の強さである。

この民放開設のお陰で、フリムンの名は一気に島中に広まり、更にその少年Kとの出会いにより、流れは一気に加速したのだった。

実はその少し前、彼は友人宅で初めて「空手バカ一代」と出会い、衝撃を受けたとの事。その直後に、テレビで石垣島にも空手をやっている人がいる事を知ったという。

奇跡というのは、得てしてこういう時に起こるものである。

「それじゃあ、今後について少し話しでもしよっか♡」

フリムンは彼を喫茶店に誘い、自分はまだ白帯で指導できる立場ではないことを告げた。

それから、「そういう訳なので、先生と弟子という関係ではなく、先輩後輩として互いに切磋琢磨しましょう」と約束。

都合の付く日にZ先生の道場で汗を流そうと話しを付けた。

ただ、当時カラテ貧乏だったフリムン。ナケナシのお小遣いで彼を食事に誘っていたので、自らは最も単価の安いカレーライスにした。

それなのに、彼は微塵も遠慮を見せることなく、速攻でカツカレーを頼んだ。

こっちはルーだけなのに、その上にカツを乗せるとは何事かとフリムンは思った(いやセコッ)

奢ってくれる人よりも高いものを頼む彼のデリカシーの無さに、先行き不安を感じずにはいられなかったフリムン。

これがKとフリムンの、違う意味での伝説の始まりであった。

いや勝手にカツ乗せんなやっ(フリムン心の声)

ちなみにフリムンと同じY高空手部に所属していたというKは、中々素直で筋も良く、根性も兼ね備えた「練習相手」には打って付けの若者であった。

しかし、過去に何度も独りぼっちになった記憶が蘇り、ここは大事に育てようと実験台にする事は極力避けた。

お陰で彼の弟や噂を聞いた若者が徐々に集まり出し、“非公認”ながらちょっとした同好会が出来上がった。

そしてそれを機に、稽古場を「Z道場」からあの「保育園こどもの家」に移す事となる。

八重山空手界に、極真旋風が巻き起こりつつあった30年前のお話しである。

次回予告

吹くか、旋風!?
次回爆誕、「〇〇レンジャー」乞うご期待!!


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この記事を書いた人

田福雄市(空手家)
1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。


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