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消しゴムはんこで祖父母の提灯屋を描いた話

消しゴムはんこで絵を描く人、まるいちきゅう と申します。先日、約3ヶ月かけて作った私史上1番大きな消しゴムはんこ作品が完成したので、制作過程のお話をnoteにまとめてみようと思います。

消えゆく提灯屋

唐突ですが、「提灯屋」という職業をご存知でしょうか。
「提灯」と聞くと、きっと日本の方なら誰もがその形も、見た目も、用途も、見かける場所も想像することが出来るでしょう。寺社仏閣やお祭りはもちろん、居酒屋の看板として、和風の照明として、街で見かけることも出来ます。「盆提灯」が自宅にある家庭もあります。提灯の存在なら、まだまだ多くの人に認知されていると思います。
しかし提灯の存在は知っていても、提灯を手作業で作っているお店の存在を知っていたりその店を訪れる人は、少ないのではないでしょうか。

私の祖父母は、10年ほど前まで、提灯を作り、売る「提灯屋」を営んでいました。
私は祖父母とは離れて暮らしていたので、祖父母がお店をしている様子は、店を訪れた時にしか見ることはありませんでした。
けれども、祖父母の店に行くと所狭しと提灯が陳列されているし、道具も材料もたくさんあったし、私にとって提灯も提灯屋も、身近にあることは当たり前のような存在でした。

祖父母のお店が廃業したと知ったのは、ごく最近のことです。数年前のある時、ふと気になって、
「おじいちゃんとおばあちゃんはまだ提灯屋をやっているの」
と親に聞くと、もうとっくに閉店してるよ、と聞かされました。
まだ祖父母どちらも、大きな病気1つしていないし、健在も健在、元気に旅行もしているし、ゴルフとかも始めたみたいだし、お店もまだまだ続けているんだと思っていたのでとても驚きました。

存在していて当たり前、だと思っていたお店が、無くなってしまった。
私にとって祖父母がお店を辞めてしまったことはかなり心を痛める出来事でした。

祖父母の提灯屋さん

祖父母の提灯屋は、今から約140年前、江戸時代、ある大名出身の方が、浪人してやって来て始めた「字を教える教室」から始まりました。
いわゆる歴史の授業で習う「寺子屋」のように、子どもたちに字を教える一方で、和傘や提灯の修繕も行っていたそうです。
字がとても上手なので、看板の字を書いたり、お店のお品書きの字を書いたりと、街の人の生活の中の色々な場面で役立つようなお店だったに違いありません。
字の上手さは、2代目、3代目…と受け継がれ、4代目である祖父も、提灯や提灯と同じ材料で作ることが出来る和傘を作るお仕事の一方で、字を書くお仕事もしていました。
戦争中は疎開先の地で提灯や傘の修繕をしたり、戦争の後は一時期、天ぷら屋さんになったり、時代に合わせて残ってきた「ロングライフ」なお店でした。

最近祖父母の家から見つかった、私の祖父のお父さんの字と、祖父の祖父の字が書かれた板。このタイミングで見つかったの凄い。

140年続いたこのお店の看板を下ろすことになった理由は、大きく3つありました。

まず、提灯と、手書きの字の需要が減ってしまったこと。
次に、需要が減ったこともあって、後を継ぐ人がいなかったこと。
そして何より、祖父母が高齢になったこと。

主にこの3つの影響がありました。

数十年前までは、学校や会社、寺社仏閣などの現場で、催事の参加者の名前を手書きで書き記すことや、「株主総会」などで使われるようなイベントでの横断幕など、手書きで字を書くお仕事も需要がありました。
そして提灯も、普段使いではないけれど、自宅で行うお葬式では必ず家の家紋が入った提灯を吊るしていたそうです。

お葬式も自宅で行わなくなって、大型印刷技術も発展して、祖父母のお店がお仕事にしていたことがこの数十年で一気に減ってしまった。

とはいえ、これまで時代に合わせて変化してきたお店。新しい需要に合わせて、作るものを変えることも出来たかもしれないのですが、祖父母たちにとって新しい市場を開拓するには遅かったようです。

もう少し私たちが若かったら、提灯をインテリアとして使うとか、提灯を売り込みに行ったかもしれない、と祖母は話していました。


祖父母のお店を何とかしたい!

私は祖母の言った、「若かったら、これからも長く続かせる方法を考えた」という言葉が気にかかっていました。

まだ若い私なら、もしかしたら祖父母のお店を続かせる方法を考えることが出来るかもしれない。
祖父母のお店を何とか出来る可能性があるのに、何もしないままでいる訳にはいかない気持ちがありました。

さらに、祖父母から、提灯屋だった時のエピソードや、祖父が尊敬しているお祖父さんの話や、作っていた提灯へのこだわりなど、祖父母の提灯屋のお話をたくさん聞いていると、この話を知っている私がなんとか残すための活動をしなければ!という気持ちになりました。

祖父母のお店をアーカイブする

「祖父母の店のために何か行動を起こしたい」という気持ちを動機として、私は祖父母の消えゆく店のアーカイブに取り組むことにしました。

一度廃業してしまったお店の復活は出来なくても、記録をすることなら後世に残していくことが出来るはずだと考えたからです。

アーカイブの方法として、私は「消しゴムはんこで絵を描く」ことを選びました。

提灯職人の祖父母、そして消しゴムはんこを作る私

もし私が、子どもの頃から提灯を作る技術を磨いていて、今提灯屋を継ぐことが出来る技量があればきっと提灯屋を継いだのだと思います。
残念ながら、私には提灯よりも極めているものがありました。
私が極めているもの、言わずもがな「消しゴムはんこ」です。

祖父母たちと同じ「職人魂」を持って取り組んでいるこの消しゴムはんこで、祖父母のお店を残すことに取り組みたいと思いました。

祖父母が提灯を作る時に使っていた道具を

このように消しゴムはんこにして残したり

提灯の、
「提灯の型の組み立て」→「型に口側を付ける(提灯の上下の輪っか)」→「提灯の骨を作る」→「骨に糊をつける」→「紙を貼る」
という工程をハンコで体験出来る方法を考えたり

私の消しゴムはんこの技術でできることを考えてみました。

消しゴムはんこで、祖父母の提灯屋を描く

最も時間をかけたのはこちらの大作です。

(サイズ A1サイズ変形 W700mm×H594mm)

3ヶ月をかけ、374種類の消しゴムはんこを捺し制作した絵です。

ここからは、この大判作品の制作過程を紹介していきます。

□祖父母のお店の絵を描く

最初に、まず祖父母の提灯屋の写真を元にお店の内装の絵をデジタルで描きました。
なぜ、内装にしたか、ということには、理由があります。
ここには提灯がたくさん陳列されていたり、祖父母が使っていた道具があったりと、記録すべき提灯屋の情報がたくさん詰まっており、提灯屋を説明する絵とするには最適であると思ったのと、
この内装の絵を飾ると、どこでも「祖父母の提灯屋」を出現させることが出来るのではないかと思ったからです。

□下絵を拡大コピー

この絵をA1サイズになるよう拡大して印刷し、図案(下絵)にします。この下絵の上にトレース用のトレーシングペーパーを重ねて、鉛筆でなぞり、トレースしながら消しゴムはんこのパーツにしていきます。


□消しゴムはんこの作り方

ここで、消しゴムはんこの作り方を知らない方に向けて、少しだけ説明をしておきましょう。

使う消しゴムは、市販の「消しゴムはんこ用」の消しゴムです。今回はハガキサイズの消しゴムを使いました。

まず最初に、はんこにしたい図案を用意します。
その図案に、トレーシングペーパーという半透明の薄紙を重ね、図案を鉛筆でなぞり描きます。

これは実際に今回の作品で使ったトレーシングペーパーです。
このように図案をトレースしたトレーシングペーパーを、消しゴムの表面に鉛筆の線がつくように裏返し、鉛筆の線が写るように擦って転写します。

これは、図案を転写し、切り分けた消しゴムです。
これを、デザインカッターを使って彫り、ハンコにしていきます。

1日で、いくつかトレースと転写をして、
その次の日に、前日までに転写した分をまとめて全て彫って、
次の日に実際に試し捺しをしてみる

これを繰り返して作っていきました。

彫ると彫り消しゴムカスがこんな感じで溜まります。

□まずは線画のハンコを作っていく

最初は、中心の十字線から広がっていくように、パーツを作っていくことにしました。
棚の線の部分をまず先に完成させてしまいたかったので、棚の線画の消しゴムはんこを優先的に作り始めます。

ちなみに、はじめは上手くいく保証も無く、正直全て完成させられる気もしていませんでした。
「A1サイズの消しゴムはんこ作品作ろうと思うんだけど、どう思う?」
と大学の仲間に聞くと、
「普通無理だと思うし、やめとけって思う」
と言われていましたが、
とある提灯屋の職人の方から以前

やめとけ、言われた時が、始め時やで

と助言をいただいていたので、この言葉を信じて、とにかくまずは棚の部分が認識できるくらいのハンコを作っていくことにしました。


□消しゴムを買う

線画のハンコが、ある程度出来たところで、やっとこれから大作を作るぞ、という覚悟が出来ました。ここで、5万円分の消しゴムを買いました。
まるで動画配信する人かプレゼント企画する人が買うみたいな量の消しゴムです。
こんな数の消しゴム見たことない…
私の今までの消しゴムはんこ制作生活史上一番大量に消しゴムを買ったと思います。

材料が揃ったのでいよいよ本腰を入れて制作を始めます。

□練習:カラーで捺す

初めから本番の紙に捺していくのは気が引けたので、まずはA3を4枚繋げて作った、A1サイズの紙に捺していくことにしました。
あらかじめ鉛筆で縦横に補助線を引いてあるので、下絵と同じ場所に捺すことになるように、捺す場所の長さを測りながら、作ったハンコを1つずつ捺していきます。

下絵にも補助線(オレンジ色の線)が書いてあるので、定規を使い位置を確認しつつ、ズレないように捺す作業をしました。

□練習:カラー途中経過

ここで、ある程度、棚が分かるくらいの消しゴムはんこは揃いました。捺しながら、捺す順番や、本番で捺す際に気をつけたほうがいいことなどを別紙にメモしながら制作を進めていきます。

こんな感じで棚の中も埋まり始めました。
棚の中が出来てくると、立体感が出てワクワクしてきます。

そしてとうとう練習の絵がほぼ完成に近付きました。本番で捺す時に重要になるパーツや、新しく作ったほうが良いパーツ、捺す時に気をつけたほうが良いパーツなど、分かるように付箋を付けています。

ここで祖父母に作品のお披露目をする日を決め、その日までに完成させようと計画を立てたので、そろそろ本番の紙に捺す作業を始めることにしました。

□本番:線画

本番も、縦横に補助線を引いて、練習の時と同じように、下絵と同じ位置に消しゴムを捺すことになるように長さを測りながらハンコを捺していきます。

ちなみに、ハンコの裏には捺す場所と、捺す時の注意点をメモしたマスキングテープを貼っています。

バラバラのパーツに分けたのは、捺し易さを意識したからです。
ハンコが大きすぎると、捺しにくかったり、インクがムラになって、捺した時にハゲる可能性もあります。また、大きなハンコになると、他のパーツと繋がる部分がズレ易くなってしまうので、融通が効くサイズと形にするためにもわざわざ小さなパーツにしています。

□本番:棚の中

棚の線の部分が出来上がってから、棚の中の部分を捺していきます。

以前から、
慎重!冷静!丁寧!
をモットーに掲げているので、この3つを心掛けながら本番も制作に取り組んでいきます。

捺す範囲が広い部分は、木片などを消しゴムの上に乗せ、消しゴム全体に満遍なく力と重さがかかるようにして捺しました。

棚の中が出来上がると奥行きがでてちょっと感動します。

途中経過の写真をあまり撮っていなかったので、いきなり完成に近い絵の写真になってしまいましたが、ここまで捺すだけで3日かかりました。

□表現の仕方 新しい方法を見つける

捺しながら、左下の棚の中の、木製の古い引き出しの色が薄いことと、木目がないことで木製なのが分かりにくいことが気になっていました。

そこで、思いついた方法がこちらです

インクを満遍なく付けた引き出しのハンコに、色の出なくなったボールペンで、模様を描く。
すると、書いた部分がインクの部分だけ削られ、彫らなくても木目のついた版が出来上がりました。

同様に、バランの葉の模様も作ってみました。

新しい表現の方法を見つけた瞬間でした。

□右側の壁に色を付ける

当初、白いままにしようと思っていたのですが、右側の壁の白さが目立つということで壁もハンコで埋めることにしました。

下絵が無いので、そのまま絵に木目の線を描き、消しゴムはんこの図案にするためにトレースします。
絵の方にうっすら描いた鉛筆の線を消して、消しゴムはんこを捺します。

こうして出来上がりました。

最後に、サインも消しゴムはんこで入れました。

□完成

下絵を描いた9月から約3ヶ月、12月に入った初週にようやく完成しました!
そして先日、額装をしてから、祖父母にお披露目しに行ってきました。

祖父母たちに喜んでもらえたのは、言うまでもありません。
絵を見ながら、
この提灯の文字の書き方が好きだったんだ
ここでこんな道具を使っていた
など、提灯屋をしていた頃のお話をまた改めて聞くことが出来ました。

ちなみに、この中央にある赤い提灯に書かれている字は「志ん前」(神様の前に志を捧げるということ)、その隣にある縦長の、赤と青の色が付いている提灯に書かれている字は「献灯」だそうです。
絵を描く前にも祖父母に字の意味を確認していたのですが、絵のお披露目会でも改めて教えて貰いました。

総じて

祖父母の提灯屋を、私の消しゴムはんこで表現した今回の作品。祖父母のお店の存在を他に伝える、ひとつのきっかけとなるものを作ることが出来たと思います。
この作品が消しゴムはんこである理由は「私が消しゴムはんこを作ることが出来るから」、でしか無いのだけれど、提灯職人の孫が、自分の特技を最大限活用して祖父母たちの提灯屋を保存しようと試行錯誤した結果にはなったんじゃないかな…と自分で思います。

作品に使った消しゴムはんこは、全て数えると374パーツありました。
ここまでたくさんこの3ヶ月という期間で彫ったのは初めてでした。
途中、あまりに長く同じ作品と向き合い続けていたからか、良いものに思えなくなってやめてしまおうかと考えたこともありましたが、何とか完成させることが出来て本当に良かったです。

大学の仲間にも、完成を楽しみにしてもらえていたり、無理やろ〜とか言いつつも完成を信じてもらえていたり、とてもありがたかったです。

□最後に

祖父母の提灯屋だけでなく、いま、日本全国的に提灯屋の数は減少していて、危機にあります。
特に今年はコロナ禍で、祭りがほとんど中止になり、提灯の注文が大幅に減少したと聞きます。
そんな中でも、これからも長く提灯を残して行くために、提灯屋を続けて行くために、今も提灯を作っている人がまだまだいます。

私は提灯職人にはなれないけれど、祖父母という提灯職人が身近にいる人として、少しでも「提灯ワールド」を発信出来る存在になれたらな、と思っています。

同時に、私も祖父母たちと同じように、ものを作ることで、誰かの役に立つ人でありたいと思っています。
ものづくりに誠実に向き合って、ひとつひとつの作業を大事にして、これからも制作を続けていきたいです。

長くなりましたがここまでお読みいただきありがとうございました。

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