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誰よりも幸せであってほしい人

私には4歳年上の姉がいる。
私達は顔面も骨格も似ていなければ性格も思考もまるで違う。
本当に同じ血を分けているのか疑わしい程に何もかもが正反対だ。
「るいが同じクラスにいても絶対に仲良くなってなかった」
と姉は言う。私も同感だ。

昔、私は姉に嫌われていた。
姉が就職して家を出るまで、姉が私に笑顔を向ける事はなかったように思う。
それも無理はない。

私は姉のお菓子を盗み食う悪童だった。
当時「カリポリ」というラムネ菓子が姉弟の間で流行ったのだが、私は自分の分を早々に食べてしまったので、次に狙うは姉の分だった。
姉は盗られたくないので鍵付きの引き出しにカリポリを仕舞った。しかし私は鍵の在処を下調べ済みなので最も簡単に盗むことができた。
何度姉が鍵の在処を変えようともその度に見つけ出しては盗んだ。ヨーグレットやハイレモンもだ。姉はラムネが大好きなのだ。姉も大好きであることを知りながら、自分の欲望に抗えず、盗みを働いた。

お菓子だけでなく、姉のゲームのセーブデータにも、私の悪の手が及んだ。
姉が一所懸命にやり込んでいた「牧場物語」というゲームがあった。質素な牧場を、農作物などを売って得たお金で豪華にしたり、異性の住民に貢物を献上することで親密度を上げ、ゆくゆくは結婚をして子供を授かったりとなんともやり込み甲斐のあるゲームだった。
姉はコツコツ牧場を大きくしていき、意中の男性に健気に貢物を持っていくことで晴れて結婚をし、子供も授かった。あとは別荘を建てるだけ。そのために1,000万円(G)貯めるのだと豪語していた。
そんな姉の姿を見て黙っちゃいられないのが悪妹だ。
そのゲームはセーブデータが二つあった為、元々姉がやっていない時間にそのゲームを借りて遊んでいた。
しかし5歳の私が取れる愉しみ方など精々飼い犬の周りに石を並べ、外に出られなくして意地悪することくらいだった。
姉の牧場ほど潤沢な資金があったら何が買えるだろうか?どれ程愉しい思いが出来るのだろう?
私は姉のセーブデータで遊ばせて欲しいと駄々を捏ねた。勿論姉は嫌がった。しかし私があまりにしつこかったからか、姉は渋々自分のセーブデータを私の方にコピーして渡してくれた。
本当に心優しい子である。
「るいはセーブデータ2だからね。2で遊んでね。」
姉は私に釘を刺した。

大金を手にした私は心ゆくまで散財し、豪遊した。牛も羊もたくさん買った。
その結果、世話が行き渡らずに疫病が蔓延し、経営難に陥った牧場が爆誕した。
破茶滅茶に遊び、満足した私はゲームをやめようとデータをセーブした。

その瞬間、病気の牛だらけのデータが二つになった。
私は姉のセーブデータ1に自分のデータを上書きしてしまったのだ。

その事実を知らされた姉は当然、打ち拉がれて布団に包まり号泣した。

「るいなんかに貸したお前も悪い。」
父は私を叱った上で姉にそう言った。私を庇う意味ではなく、この先生きていく上でこのような化け物に情けを掛けたら損をするのは自分自身だと諭したかったのだと推測する。
私が姉の立場だったら父親諸共二度と口を利かないだろう。

姉はその後も甲斐甲斐しく牛や羊の世話をして病気を完治させ、牧場を立て直して無事に別荘を購入した。

このエピソードは氷山の一角に過ぎない。姉はそうやって、私のせいでする必要のない我慢と苦労を強いられた。
嫌われて当然だ。

私が嫌われていたのはそれだけが原因ではない。
無神経に踏み込むからだ。
私は家族に悩みを打ち明けることで鬱憤を晴らしたり、話すことで自らの思考を整理したりする性格だ。だから姉もそうだろうと、決めつけていた。姉の表情が曇っている時は
「お姉ちゃんどうしたの?何か嫌なことあったの?」
と、根掘り葉掘り聞き出そうとしていた。
ある日、ついに
「うるさいな!聞かれたくないこともあるんだよ!」
と叱られたことを覚えている。その時は小学生だったので、「なんでい。心配しているのに。」と臍を曲げたが、今となっては家族とはいえ距離感を間違えていたなと反省している。

我が家には私が1歳の誕生日を迎えた日を映したホームビデオがある。
5歳の姉は満面の笑みを浮かべて私を抱っこしたり擽ってみたり、頭の匂いを嗅いだり、たくさん構っていた。妹という存在を愛しむお姉ちゃんそのものだった。
私に屈託のない笑顔を向ける姉を見ると、心が痛む。こんなに可愛がってくれていたのに、裏切ってしまったんだなと。

互いに実家を出た現在、姉とは月に一度は会っている。
これ、というきっかけは特にないが、時間の経過と共に姉が心を解いてくれた。私の、酔っ払ってホルマリン漬けのようになった顔を見て爆笑してくれるくらいには。

成人してからはたまに、姉が身の上話をしてくれるようになった。仕事の悩みだったり、たまに恋愛の話もあったり。
そこで感じたことがある。
姉の対人関係の悩みはいつも、誰かのことを慮った上で生じている。そしてその解決のために自らを犠牲にしたり、我慢したりするような対策を講じるのだ。
それはもしかすると幼少期のあの経験が、そうさせているのではないだろうか。牛だらけの牧場のことである。
誰かの尻拭いをすることが、誰かのせいで我慢することが、当たり前になってしまっているのではないか。

お姉ちゃんがもっとわがままを言えるような妹でいられなかったこと、深く反省している。

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