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生徒を亡くした日 2

 幾日か経ち、担任と私は暗澹たる思いでその生徒の実家の駅に降り立った。葬儀に参列するためである。新幹線、在来線とタクシーを乗り継いで会場に着いた私たち2人は、当たり前だがまず入口に並ぶご家族にあいさつをしなければならなかった。しかし誰のせいでもない事故だったのかもしれないが、私はまともにご家族の顔を見ることができなかった。そんな時の顔を持っていないことを知らされた日だった。

 葬儀ではお姉さんと弟さんがまるでスイッチが入ったように泣き、喚き、叫び、崩れた。そんなことは初めてのことだったので驚きはしたが、胸を打たれた。色々な人の様々な感情が交錯した告別式が終わり、亡くなった生徒が横たわる冷たい木の箱の中を会葬者が花で満たしたり 声をかけてあげたりする最後のお別れが済むと、祭壇にあった棺は火葬のため会場の外に停めてある霊柩車へと運ばれた。それと同時に火葬場に同行するため遺族や親族は悲痛な面持ちでマイクロバスに乗り込むのだが、それらの行われている間、ずっとその子が好きだったというアイドルの曲が大音量で流れていた。クラクションとともにいよいよ会場を離れる際には、ライブ会場のような雰囲気の中で参列者が霊柩車をはじめとする数台の車を見送ることになった。その光景に、これまでの常識は変わったのだと思い知らされた。

 そんな時に使うアイドルの曲も、もちろん不謹慎ではないのだろう。でも葬式は葬式然としているものだと頭のどこかで思ってしまう昭和頭の私には、生きることが楽しく前向きでしかないアイドルのキラキラした歌は違和感が大きかった。しかし葬儀というものは故人目線で行われるべきだと考えるなら、これもまた供養の一つなのだろうか。
 悔しさと悲しさ、そしてご遺族の心中を考えるといたたまれない気持ちで霊柩車を見つめる私には、なんだか死を軽く扱われたように感じて心の在りように困った。

 さて一方学校においては 半月ほどの期間、生徒たちは落ち着かなかった。朝起きられなくて欠席や遅刻をする生徒も少なくなかった。臨床心理士にはできる限り学校に詰めてもらい、フォローが必要な生徒の対応をお願いした。また同じ学年の全生徒には、亡くなった本人やご遺族に対してこの上ない失礼になるからと、憶測や冗談でSNSなんかに発信することを厳に慎むことを命じた。幸いそんなふざけたヤツは少なくとも表立ってはいなかったようだった。 

 私は生徒たちが登校し始める前のほんの5分程度、かつてその生徒が座っていた教室の席に毎日一輪挿しを片手に一言二言話しかけに行くことをしばらく続けた。事故当日にはドラマや映画でよく目にしたように、亡くなった生徒の机の上に一輪挿しを置いておくべきものなのかなと思ったのだが、他の生徒の気持ちを考えると良くないことなのだと教えていただいたのだ。
 葬儀の日のお姉さんと弟さんの乱れようを思い出したり、昨日あったことなんかの話をすることが日課となった。四十九日も終わって、クラスメイトにも精神的ショックを理由とする過呼吸や欠席者はほぼいなくなった。教室には普通の日常が戻りつつあり、日を追って私も気持ちが落ち着いてくるのを感じていた。

 その生徒が亡くなってからも時間は同じように流れ、またあの日のような秋がやって来た。一周忌には学校から仏前の花と手紙を送り、その4ヶ月後の卒業式の日にもご挨拶の手紙を送らせていただいた。
 誠に勝手な幕引きなのかもしれないが、この期の卒業式を終え、ようやく私はこの生徒のことに区切りを付けられた気がした。

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