SNS=視覚化された“存在感” ?
こんにちは。
まるぴです。
彼と話していて、こんな話題があがりました。
「絵描きをしていると、SNSに
イラストを投稿していないとちょっと焦る時があるよね。」
何故か、急かされているわけでもないし、SNSは仕事ではないけれど
載せなきゃ。と思ってしまう。
それは多分、
〝SNSは視覚化されている存在感〟
なのかなと思いました。
生活ってなかなか、 ログ (記録)がされにくいもの。(日記とかは別)
毎日少しづつの積み重ねで、同じことをしているように感じることはあるし。
SNSはどれだけの人から〝認知〟されているか。
いいねの数、フォロワー数=〝共感〟や、〝承認〟や、〝存在感〟
に感じてしまう事は私はありました。
日々生きていくことは、なんでも、数字化されないことが多い。
評価も、学生を辞めたら、数字の評価は無くなっていきました。
(私はなにもかもから逃げていたので、テストの点数より、出席日数、でしたが笑)
日常を生きていると数字化されていないものが、
数字化されているように〝錯覚〟していました。
絵を描いて、投稿して。
投稿した絵が増えて、
いいねがたまに伸びたり、
ティックトックがバズったり ……
日々生きていく上で、曖昧になる。白か黒かつけられない、不安定な揺らぎ的なものを
承認、周りからの認知。共感、仲間。とか
LINEの人数や、SNSのフォロワー数、いいね数、イラストの投稿頻度で
数字化して、安心しようとしていた節はあるかもしれません。
けれど、それらは、数字化したり、認識できる形にする必要は無かったのかも知れません。
揺らぎのままでいい。そう思います。
数字化したり、認識できる形にして、安心することはありません。
自分軸で、描きたい時に描く。降って来た時に描く、それでいいんじゃないでしょうか。
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