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🌟佐渡御書🌛

『日蓮御房(ゴボウ)は師匠にておはせども余(アマリ)にこはし(剛)我等はやは(柔)らかに法華経を弘むべしと云(イワ)んは螢火(ホタルビ)が日月(ニチガツ)をわらひ蟻塚(アリヅカ)が華山(カザン)を下し井江(セイコウ)が河海(カカイ)をあなづり鳥鵲(カササギ)が鸞鳳(ランホウ)をわらふなるべしわらふなるべし』

🦄通解🦄
「日蓮御房は師匠ではいらっしゃるがあまりにも強引だ。私たちは柔らかに法華経を弘めよう」などと言っているのは、螢火が太陽や月を笑い、蟻塚が華山を見下し、井戸や川が大河や海を侮り、鵲が鸞鳳を笑うようなものです。笑うようなものです。

🌻解説🌻  
激しい弾圧の嵐が吹き荒れる中、日蓮大聖人は、弟子が団結して困難を乗り越えていくよう、佐渡の地から鎌倉の門下に度重なる激励を送られています。

“いかなることがあろうとも、師弟の道を生き抜け”と、弟子の勝利を願い命懸けで戦われる師匠の心が分からず、大恩を忘れた愚かな弟子の中から、仏法を持(タモ)っているのになぜ迫害に遭うのか、と信心に疑いを起こし、退転する者が出ていました。

正法を弘めれば難を受けるということは、経文の通りであり、疑う余地はありません。しかし、彼らは「我賢し」と慢心に陥り、大聖人の弘教のやり方があまりにも強引だから迫害されるのだと非難します。

そして「私たちは柔らかに法華経を弘めよう」と、自分勝手な理屈を並べ、多くの弟子を退転させようとしたのです。

一見すると、賢げに、諸宗との摩擦を回避しながら仏法を弘めようとしているのですが、そこには、難を恐れる“臆病な命”があり、民衆救済のために戦う師匠の心が分からない不知恩の姿がありました。

師弟の魂がなければ、広宣流布を成し遂げることはできません。大聖人は、彼らの浅はかな境涯を、仏法の正義が分からない慢心の姿であると、悠々と見下ろされています。

何があっても師弟に生き抜くという強き一念で、
不二の弟子の道を堂々と歩みましょう。

🌞池田先生🌞
私は一歩も退かず創価の正義を叫び、世界に広げてきました。その力が出せたのも、「わが命より尊い広宣流布の師匠のため」という一念に徹したから
です。

創価学会という仏意仏勅(ブツイブッチョク)の団体を断じて守りに護り、師匠の大願の通りに世界に発展させるのだという魂で立ち上がったからです。


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