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【読書録112】「森信三 運命をひらく365の金言」12月編

「森信三 運命をひらく365の金言」(致知出版社)を毎朝読むことを日課にしている。今回は、12月の中で特に自分のなかで気に入ったものについて取り上げる。


12月2日 人生の深さ


自分の悩みや苦しみを噛みしめていくことによって、周囲の人々、さらにはこの広い世間には、いかほど多くの人々が、どれほど深い悩みや苦しみをなめているかということに思い至るわけです。私には、人生を深く生きると言うても、実はこの外にないと思うのです。

嫌な事があると、自暴自棄になってしまう。でも後から考えると大したことはないと思う。私の人生の深さなんてそんなものか。

 私の子どもは障がいを抱えて生まれてきた。それを聞いたときの衝撃は忘れない。なぜ自分の子どもが、と自問自答を何度もした。
 しかしそのことで、夫婦の絆は強くなった。そして、子どもをより深く愛せるようになった気がする。
 人生の深みとはまだまだ言えないが、自分のなかでは、自分が変わったなと思った出来事である。

12月8日 若い人から学ぶ


「謙虚」についてこのように教えてくれる。

自分の心にある古いものを空けて心をからっぽにすることを「謙虚」というんです。

人間は謙虚にならなければ、真理は学べないからです。私がこの年齢になっても、まだ日々学びつつあるのはそのお陰です。

さらに、こう続ける。

人間もある年齢を過ぎたら、若い人から学ぶようにしないとだめになります。

この心掛けは、テクノロジーの進化が激しい現在では、ますます重要になっていると思う。頭では分かっていてもなかなか難しさはあると思う。

若い人に学ぶようにならんと、もうその人の人生はとまるわけです。

私もそろそろその年代だ。若い人から学ぶ。
大切にしたい考え方だ。

12月12日 念々死を覚悟する


思えば人間の最終点たる「死」こそは、万人共通の絶対的事実を申してよいのに、われわれ人間は、ともすればそれを忘れてついウカウカと日を過ごしているのが、われわれ人間の実相であります。

こんな一文から始まる。
限りある毎日を過ごしている。そんな意識はあるだろうか?
スティーブジョブスの有名な言葉を思い出す。

「今日が人生最後だとしたら、今日やることは本当にやりたいことだろうか」。「No」という答えが幾日も続いたら、私は何か変える必要があると知るのです。

森信三先生は、こういう。

わたくしどもに与えられたこの有限的生をいかに燃焼し尽すかーこれが人間のあるべき根本的態度と申せましょう

当たり前のことだが、人生は有限なのだ。
どう生きるか。燃焼しよう。

12月16日 負けるが勝ち


相手に花を持たせて、しかも毫も恩着せがましき素振りも見せず。
負けることの妙味此処にあり。
この世は負けるが勝。

先日、読んだ、鍵山秀三郎氏「凡事徹底」で取り上げられていた老子の言葉を思い出した。

終身道を譲るも百歩を枉ず

そう、負けたとして、譲ったとして、一生でたった百歩。
そこから得られるものの方が多いはず。

12月27日 第二の誕生


「第二の誕生」というタイトル。

現実を踏まえつつ日々の生活を、確かな足どりで踏みしめてゆくためには、これまで書物などで読んできた華やかな理論が、冷厳な現実によって、一度は消え去るような、深刻な経験を必要とするといえましょう。

こんなことになっても、悲観や厭世観に陥らないことだという。

「ここにこそ、真の現実があるのだ」と悟って、そこから改めて立ち上がれるようでなくてはならぬと思うのです。

現実を受け入れて、そこから、立ち上がる。なかなかできそうでできるものではない。

このいう態度を確立することを「第二の誕生」と言っている。

さあ立ち上がろう。

12月31日 楽命知命


大晦日。一年の最後の締めくくりの言葉である。

いやしくもわが身の上に起こる事柄は、そのすべてが、この私にとって絶対必然であるとともに、またこの私にとっては、最善なはずだというわけです。

それ故われわれは、それに対して一切これを拒まず、素直にその一切を受け入れて、そこに隠されている神の意志を読み取らねばならぬわけです。

そして、「天を恨まず人を咎めず」という心境、それどころか、「楽天知命」「天命を信ずるが故に、天命を楽しむという境涯」だという。

今、48歳であるが、今が一番楽しい。これは、自分に起こったことを受け容れられているからだろうか。

またこの言葉を読んだ時、前向きに行動していることが前提ではないかと思った。行動しているからこそ、そういう心境になれるのではないかなと思う。

自分に起こることはすべて必然。どんな困難に直面してもそう思える人生でありたい。

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