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【読書録111】「1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」12月編

「1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」(致知出版社)を毎朝読むことを日課にしているが、今回は、12月の中で特に自分のなかで気に入ったものについて取り上げる。

毎朝読む習慣は、昨年の12月からなので、ちょうど一周した。ただ、noteで書きはじめたのは、6月編からなので、5月までは書いていきたい。今年からは、新たに1日1項目づつ読む本を決めているので、またnoteで綴っていきたい。


12月1日 トンビでもタカの子育てを真似ればタカになる 池江美由紀

 子どもに対して、ポジティブな言葉を掛けていく。とても大事なことだと思う。愛に包まれた子どもであれば、自分のことを好きになってくれるだろう。

幼少期の子どもは本当に暗示にかかりやすいんですよね。親の言葉や行動をすべて吸収して自分の性格をつくっていくわけですから、親が常にポジティブな言葉を掛け、ポジティブな言葉を掛け、ポジティブな行動をしていれば、そういう子どもになっていく

 また面白いのは、「親」を仕事と捉えている点。母親は女優になって、自分がダメな部分があっても子どもの前でそれはみせないと言う。

親という仕事をしているからには子どもがちゃんとした人間になるよう教えるべき

なかなか反省させられる。子どもの可能性を信じよう。

12月6日 因と縁の力を大事にする 中村元

 
 お釈迦様が説かれた、因果について書いている。
着ているもの、食べるもの、そこにも無数の因果の連鎖が働いている。

大豆にしても米にしても、外から力が働いて、太陽の熱がそこに及んでいるわけです。そうすると、わずかな食糧といえども、全宇宙とのつながりがある。

なかなか、そのような思考にはなれないが、最近多少そういう考え方に共感を覚え、少しばかりは意識が向いてきた。

その因果の連鎖の綱は、いちいち突き止めることもできないし、近づくこともできないが、そこに力が働いていることは間違いないわけです。
で、これに目覚める必要があるんじゃないでしょうかね。

自分一人の力ってものは考えてみればないわけでして、他から、ずうっと力が及んでいるわけです。無数の因と縁が集まって、我われの存在もある。だから、その因と縁の力を大事にするということに尽きると思います。

すべてのものに感謝する。そんな心境が大事だ。分かっていても、「感情」が先立ち、それを忘れてしまいがちだ。その為に、読書で人間力を高めるという事が必要になってくると思っている。致知や東洋思想を常に傍らにおいておく必要があるのだ。もちろん、まずは行動であるが。

12月8日 生かされている実感 大石邦子


 交通事故で半身不随となった大石邦子さんのお話。
感情を、母親や看護師にぶつける話は、身につまされる。

こう振り返る。

私は愚かで、小さな人間です。命というもの、生きるということに目を見開いていくには、一歩前に出て半歩引き下がるような歩みを
するしかありませんでした。

そんな大石さんが、彼女と正面から向き合ってくれる両親や看護師さんから「私は一人ではない」と思うようになった話に感銘を受ける。

自分はどんなに多くの人に支えられているかを、痛いように感じました。私は生きているのではない、多くの命の絆に結ばれて、生かされているのだ。素直にそう思えました。

困った時、苦しい時に一緒にいてくれる人、伴走してくれる人。私にとっては妻である。生かされているそんな感覚になることはある。
これからも自分と共に歩んでくれる人のためにも自分を大切にして行きたい。

12月15日 自分の状態を測るリトマス試験紙 羽生喜治

 
 
天才棋士・羽生さんの勝負の世界で生きる方ならではの話である。
挫折の時期を味わったからこその言葉だと考えさせられた。

結果がでないとか、負けが込んでいるとかで苦しむことはよくあります。そういう時は、もうその状況を受け入れるしかないっていうことは思いますね。

あるがままを受け入れる。これは勇気がいることだ。その前提としてこんなことを言う。

自分の実力はこれくらいということをよくわきまえておくことも大事だと思います。

自然体で自分の現状を受け入れる。7つのタイトルを独占し、天才と言われた羽生さんですらこういう心境なのかと思った。

その続きの話が更に興味深い。

その時の自分の状態が分かるリトマス試験紙というのを私は持っていましてね。よく人から「頑張ってください」って言われることがあるでしょう。

その時に「ありがとうございます」って素直な気持ちで言える時ってだいたいいい状態なんです。いや、そんなこと言ったってもう十分頑張ってるよって思う時はあまりよくない。

心の余裕というか、自然体というか。あるがままの言葉を受け入れられるかどうか。そこを自分の状態を知るリトマス試験紙と持つというのは、なるほどなと感心した。
わたしにも後から振り返ってなんでこんな事言ってしまったんだろうとか、なんでそんな態度を取ってしまったんだろうと思うことがよくある。自分のあり方はよくよく考えたい。

あるがままである。

12月17日 自分がどう生きるかではなく、自分がどう生きたか 羽鳥兼市


 言葉との出会いで人生が変わることもある。
羽鳥氏にとって、母親とお寺にお参りに行ったときに出会った言葉がそれである。

「他人がどう思うかではない。自分がどう生きたかだ」

羽鳥氏は、「他人にどう思われるかよりも、死ぬ間際に悔いのない人生だったと思えることが最も大事」と解釈し、「自分がどう生きるか」という未来形だったら、何も感じなかったと思うと言っている。

死ぬ間際に、「素晴らしい人生だった」と言って死にたい。そのためにはどうすれば良いか?

人に迷惑をかけたり騙したりしなければ、人に笑われたくないとか、人によく思われようなんてことを考える必要は全くないんだと気づくことができました。おかげで心が軽くなって、人生がすごく楽になりましたね。

 宇宙の何億年という時間軸からしたら、人間の寿命なんか、ちょっとの時間でしかない。そう思った時に、こういう心境になったという。

 自分にとって何が大切か。その軸を持っておくことは大切だ。

12月19日 実力より評判だよ 鈴木茂晴


 大和証券グループの社長の鈴木氏による人の上に立つためには、という話。これは、致知で取り上げられた多くの人に共通して言っている話である。

一つは、「運は実力そのもの」ということ。

運というのは闇雲に下りてくるものではありませんね。見る目をもって一所懸命努力している人のところにしか訪れてこなということです。何もしていない人のところにはやってこない。これははっきりしています。

もう一つは、「運は人が持ってきてくれる」ということ。

それを評して、鈴木氏は、「実力より評判だよ」と言う。

いくら実力があっても評判が立たなくては運もつきません。

 日頃の行動、これ一つにつきるのかなと思う。

12月23日 退路を断つ力 菊間千乃


 アナウンサーから弁護士に転身した、菊間さんの転機の話。

オリンピックの谷亮子選手の取材での体験による。2度のオリンピックで金メダル間違いなしといわれながら、銀メダルとなった谷選手。3度目のシドニーオリンピックで、金メダルを取った時に感動と共に、こんな思いになったという。

自分って何てダメなんだろうって思いも募ってきたんです。人に拍手しているだけの自分でいいのかな、私も何か一所懸命やらなきゃだめなんじゃないかなって。

話は、そこで終わらない。次のアテネ五輪のときにこんな思いになる。

シドニーの時から四年間、自分は何も行動を起こしていないことを痛感したんです。

そんな折に、ロースクールができるなどが重なって、弁護士を目指す。

「行動を起こせること」、本当に素敵だなと思う。
私も今、転機にきている。来月、大学院を受験する。本当に自分にできるのか?不安にもなるが、賽は投げられた。合格できるように、残り1か月頑張ろう。

12月29日 自分の心の三畳間を持つ 童門冬二

フランスの思想家・モンテーニュの言葉を引用する。「エセ―」という作品に出てきた言葉だ。

「人間は誰でも自分の心の三畳間を持つべきだ」
(人間は周りに邪魔されることなく、たった一人になってじっと物事を考えることができる場を持たなければならない)

これは、本当に共感する。私が、致知や本書を読むのも素の一人になれるからかもしれない。

そして、都庁の役人としての経験や、歴史小説の作家として、組織で生きていく上での心得をこういう。

「お粥ではなく、握り飯の米粒であってほしい」

どんな意味か?こう解説する。

組織の中でドロドロに煮られてしまって、自分というものを失ってはいけない。だからといって、自分勝手に好きなことをするというのは違う。握り飯の米粒とは、組織の一員であるという自覚を持ちつつ、主体性を発揮していくということである。

こちらも本当に共感できる。私のありたい姿そのものである。

それには、「あれをやってみたい」「こういう人間になりたい」という自分の信念を持つことだ。

そのためには、いろいろな本を読んだり、人から話を聞いたりして、手探りで生きる時期が必要だろう。

一言一言が大変重たい。組織人としての経験から体ご自身が体得したことであるからだろう。。童門冬二さんの著作を久々に読みたくなった。


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