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仕事の先に何がある?

4年間没頭したサークルの同期と後輩を我が家に招き、みんなで人生初のパエリアを作りながら、学生時代の懐かしさを感じていた。ダラダラと書いていたせいで、奇しくもこのような大変な時期での公開となってしまったが、備忘録も兼ねて、大学の友人と話した"生き方"について書いていく。

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1.仕事を続けている理由は?

入社して3年目になる同期、夢のために会社を辞めた同期、転職した後輩、4月から社会人になる後輩、そしてYouTuberの僕。

数年前まで"同じサークルの仲間"だった彼らは確実にそれぞれの道を歩んでいた。同時に、彼らがなぜその仕事を続けているのか、その先に何を見ているのかが知りたくなった。

意外だと思われるかもしれないが、YouTuberとして活動していると人と会う機会はほとんどない。相方やマネージャー、仲の良いYouTuber友達と月に何回か会うくらいだ。再生回数やトレンド動画の話はするものの、YouTubeを続けている理由や夢について心から語り合うことはほとんどない。(そもそも飲み会にあまり参加していないからというのもあるが...)

だからこそ、久々に会う大学の友人の話を聞きたくなった。

「みんなは何をモチベーションとして働いてるの?」

質問してすぐに、「それ俺もちょうどまさに聞きたかったんだよ!ただ、聞いていいのかな〜ってちょっと不安だったからさ!笑」と同期が答える。


僕自身が動画投稿を続けている理由は、「自分で選択する人生を生きたい」という一言に尽きる。平たく言うと、好きなことをして生きたいのだ。

自分の可能性に蓋をせず、周りからの視線や世間体に流されず、自分がやりたい事をやり、大切だと思うものを大切にして生きたい。動画投稿を続ける事で、その人生に近づけると信じている。

これは、僕自身の過去の原体験に基づく。

幼少期から両親には「自分がやりたい事をやれ」と教わって育てたれた。小学生の頃から始めた野球、強豪校を目指して頑張った高校受験、そして高校野球や大学受験、大学でのサークル活動など、全て"自分がやりたい"と思って挑戦させてもらってきた。

しかし、大学生の頃に経験した海外インターンシップが大きな転換点となる。ベトナムとインドで半年ずつ働かせてもらったのだが、会社の従業員としてフルタイムで働いていたため、これまでのように全て自分の思い通りに動けるわけではない。もちろん、時には理不尽な要求や説教を食らうこともあった。しかもお給料は、フルタイムで働いてベトナム5万円/月・インド2万円/月だった。インドでは週に6日フルタイムで働いていた。

この経験が、僕自身に"働き方"や"稼ぎ方"・"生き方"を考えさせる強い原体験となったのだ。

文章で「自分で選択する人生を生きたい」と綴るのは簡単だが、実践するのはとても難しい。実際、YouTuberとして生活できるようになった今でも、このままで良いのだろうかという不安は常に付き纏っている。

2.漠然とした不安の正体

「もしも明日死んだとしたら、絶対に後悔すると思うことは何だろう?」

ぜひ皆さんも考えていただきたい。残念ながら、この日は必ず訪れる。全員に。

これは、最近僕自身が考えている問いでもある。家族への感謝や謝罪、旅行、路上ライブ、個展など、友人たちも各々の夢を語っていた。

ちなみに僕がパッと思いついたのが

・世界中に移住してみたかった

・家族にYouTubeを始めて欲しかった

・家族や彼女に感謝を伝えて旅行に行きたかった

である。

ここで出てきた答えが夢であり、明日を生きる活力になる。

何も考えずに同じ毎日を生きていると、たまに漠然とした不安に襲われることがある。このままで良いのだろうか...自分は頑張れていない...将来どうなるのだろうか...

しかし、その原因の多くは、ゴールが見えていない事にあると考えている。

"結果が出ない"事よりも、"そもそも続けても結果が出るのか分からない"事の方が大きな不安を感じる

と聞いたことがある。ゴールに辿り着けないことよりも、その道がゴールに通じているのか分からない方が不安になるのだ。しかし、

・ずっと成績が伸びなかったが、ある時に点数が伸びてから自信がついた。

・再生回数は伸びてないけど、憧れの先輩が「面白いから絶対に伸びる!」と言ってくれた。

・信頼している友人から「お前なら絶対に大丈夫だ!」と言ってもらえた。

多かれ少なかれ、誰でもこのような経験はあるだろう。

「もしも明日死んだとしたら、絶対に後悔すると思うことは何だろう?」

という問いかけは、これからの自分のゴールと道筋を示してくれる。家族と海外旅行に行くんだ!というゴールが見えれば毎日もう少し頑張れるし、父や妹がYouTubeを始める手伝いができたら僕も幸せになれる。

3.「死」を想像する

なぜ僕が死に際を考えるようになったのか。それにはきっかけがある。

「7つの習慣」という本に感銘を受けたからだ。

皆さんは7つの習慣をご存知だろうか?全世界で3000万部以上売れたと言われているビジネス書の王である。

その本の2つ目の習慣に書かれている事こそ、"死に際を強く想像する"という事だった。正確に言うと、自分の葬儀で家族や友人から自分が読んでもらいたい弔辞の内容を鮮明に思い浮かべるのだ。家族や恋人、親戚や友人など、あなたに関わった人がたくさん涙を流している。あなたの思い出話もたくさん語られている事だろう。

そこであなたが家族や友人に読んでもらい弔辞を思い浮かべてみてほしい。

その時に言われたい内容こそが、あなたの人生のゴールである。ここで、僕の好きな文章を紹介したい。

死の床で自分の人生を振り返ったとき、もっと多くの時間をオフィスで過ごせばよかった、あるいはテレビをもっと見ればよかったと悔やむ人は、果たしてどれくらいいるのだろうか。答えは簡単だ。一人としているわけがない。死の床にあって思うのは、家族や愛する者のことである。人は誰かのために生き、最期はその人たちのことを思うのだ。

出典:スティーブン・R・コヴィー. 完訳 7つの習慣 人格主義の回復 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.369-373). キングベアー出版.

弔辞の内容を考えると、自分の中で大切にしたい価値観や行動が見えてくるはずだ。その価値観や行動に沿った生き方が、自分の人生を豊かにしてくれる。

しかし、ここまで読んで思うことがあるだろう。

そんな暇はない、と。死ぬことなんて考えてる余裕はなんてないし、僕たちは常に忙しい。

そこで、こちらを見ていただきたい。

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縦軸が重要性、横軸が緊急性のマトリクスになっている。

ここで最も重要なのは①〜④のどれだろう?


答えは、②でしかない。

なぜなら、先ほど考えた自分の人生のゴールに辿り着く事象のほとんどが②に分類されるからである。

しかし、僕たちの生活はほとんどが①で埋め尽くされているらしい。毎朝毎晩の出勤、日々の動画編集、帰宅後の家事、やっと終わったと思えばスマホを触る。9割①で1割が④の生活だ。自分の生活を振り返ってみても、毎日の動画編集に追われ、完成したと思えばまたすぐに次の動画を作り始める。。

このような生活を続けていては、自分の理想とする弔辞には近づけない。つまり、自分の人生のゴールに近づけない。

仕事は自分の夢を達成するための手段でありながら、それを阻害する要因にもなり得る。

もちろん、すぐに実践して生活リズムを一気に変えるのは困難だろう。だからこそ、友人と語り合って人生について考えたり、本を読んでヒントを得るところから始めるのが良い。忙しい毎日を送っている中でも、月に1回でも自分の人生を振り返るだけで、日々の過ごし方に変化が訪れるだろう。

4.感情の裏側を言語化する

「日々の生活リズムを一変させることなんて無理だ」

「自分が弔辞で言われたい事なんて分からない」

そう思う人も多いだろう。僕も最初に読んだときはよく分からなかった。

そこで、オススメなのが"自分の感情の裏側を言語化する"習慣をつける事だ。つまり、"嬉しい"なら"なぜ嬉しいと思ったのか"を、"悲しい"なら"なぜ悲しいと思ったのか"を言語化するという事である。

「そんなの嬉しいから嬉しいんだよ!」と思うかもしれないが、少し考えてみて欲しい。例えば、"野球の試合に勝てて嬉しい"という感情の裏には、「ヒットが打てたから嬉しい」や「努力が実ったから嬉しい」「息子が喜んでいて嬉しい」「監督としての苦労が報われて嬉しい」など、人によって感情の裏側にある思いは違う。

日々の生活の中で、それらを言語化する習慣を作る事で、自分は何に喜びを感じ、何に悲しみを感じるのかが少しずつ見えてくる。すると、自分の喜びを大きくするためにはどうすれば良いのか、あるいは悲しまないためにどうすれば良いのかが自ずと見えてくるはずだ。

これには、もう一つのメリットがある。それは、

感情の奴隷にならないという事だ。

世の中には思ったことをすぐに口に出してしまう人がいる。それが「嬉しい」や「幸せ」と言った類なら問題ないのだが「うざい」や「死ね」などと言った言葉となると大変だ。なぜなら、それを聞いた側の人間までネガティブな気持ちにさせてしまうからだ。

感情の言語化をする習慣をつけていると、喜怒哀楽の感情を抱いた後に自分を見直す時間が生まれる。それが、衝動的な感情に動かされて物を言ってしまう習慣を変えることができる。

まずは自分の好きなことについて、なぜ?を3回ほど繰り返して考えてみると良いだろう。

5.批判のない居場所

これまで話してきたような、人生論や自己啓発系の話を毛嫌いする人も少なくない。僕も高校生まではこう言った話に全く興味がなかった。

だからこそ、自分の人生論や将来の話を真剣に聞いてくれる空間を見つけることは非常に重要である。今回集まった大学の友人たちも、それぞれの話を批判することなく、真剣に聞くことで、各々の思いに触れることができた。

批判することは誰でもできる。簡単だ。ハッキリ言って、馬鹿でもできる。SNSやYouTubeのコメント欄を見ると、毎日誰からしらの批判に溢れている。相手を憎み、恨み、自分の考えや行動を正当化する。

しかし、自分の人生に真剣に向き合い、他人の感情に寄り添って考えることはなかなかできない。僕自身もまだまだできていない...。それでも、自分の人生を考え、より豊かな生活を目指して生きていきたい。そして、僕や周りの大切な人と幸せになっていきたい。

もしもあなたの周りに人生を語れる友人や家族がいないのなら、ぜひこの記事のコメントやYouTubeにコメントを残して欲しい。

6.最後に

ここまで読んでいただいてありがとうございました。

この記事も、友人が自分の感情を毎日日記に記録している。ということに触発されて書き始めました。恐らく、この感情や考え方も後から見直すと変化しているでしょう。しかし、その変化が生まれる事こそ、成長している証であるとも思っています。

奇しくも、これまでより"死"をリアルに感じてしまう日常に一変してしまったからこそ、これを機に自分の人生について考えてみるのはいかがでしょうか。

ぜひ、一緒に②の"緊急ではないが重要である事"を突き進めていきましょう。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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