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万葉集 我と吾の違い

 テレビを見ていましたら「天上天下唯我独尊」と云う言葉が扱われ、そこでこの言葉に対してコメントをされた方が「我」と云う文字は“自分”や“己”を意味するのではなく、“社会を構成する一人一人の自己”を意味するから、「天上天下唯我独尊」と云う言葉は「この世の中で私一人が唯一尊い」と云う意味ではなく、「この世の中を形成する一人一人が尊い、従って、己だけが尊いのではなく、相手もまた尊い人間であると云うことを尊重しなければいけない」との教えであるとされていました。
 なるほどと思いましたし、流石に宗教者のお方のコメントは有意義であると感じました。しかしながら自分が持つ根からひねくれた性格の下に言葉を調べますと、仏教説話の解説では「我」と云う詞は確実に“自分”や“自己”を意味し、後に悟りを啓き仏陀になられるシャカムニが誕生したとき、それを予告するべく「この世の中で私一人が唯一尊い」と語られたと人々が思ったと説明されています。つまり、本来は唯一無二のシャカムニの誕生を祝福する詞であって、仏教の教えにおいては常一般の“私”と云う人間がシャカムニと同等な人間として“我”に含まれると考えるのはとんでもない増長のようです。
 そこでもう少し調べてみますと、漢字の世界では“我”と“吾”との二つの異なる表記の“己”や“自分”を示す言葉があり、この“我”とは他人を通じて自覚する自分であり、一方の“吾”とは他人を通すことなく自覚する自分のことだそうです。それを康熙字典では「我、施身自謂也。已稱也。」であり、「吾、我自稱也。」と解説します。
 この言葉の定義からしますと「天上天下唯我独尊」とは世の人々が「貴方は唯一無二の存在ですよ」と他人の認識から己の立場を認識していることと云うことになります。自称ではなく周知された事実として私は唯一無二の存在ですよと云うことになります。「天上天下唯我独尊」の言葉では明確に“我”と“吾”との二つの異なる表記の漢字が的確に使い分けられていることが判ります。今まで多大に『万葉集』での漢字表記について能書きを垂れてきましたが、このような基本中の基本の用語すら知らなかったことは、実に恥じ入る次第です。まことに恥ずかしい話です。
 当然、私が運営するGooブログは万葉集を鑑賞するものですので、そこでの鑑賞を前提としてこの中古代においては明確に“我”と“吾”との二つの異なる表記の漢字が使い分けられていることを前提に反省の下、歌を、再度、鑑賞してみたいと思います。
 最初に有名な草壁皇子、大津皇子、石川郎女の三角関係とされる歌を見てみたいと思います。なお、歌は西本願寺本のものを使い、後年に和歌人の好みからの解釈によって原歌を、適宜、改訂してしまったものは使いません。

<歌群一>
大津皇子贈石川郎女御謌一首
標訓 大津皇子の石川郎女に贈れる御歌一首
集歌107
原文 足日木乃 山之四付二 妹待跡 吾立所沽 山之四附二
試訓 あしひきの山し雌伏に妹待つと吾立ち沽(か)れぬ山し雌伏に
試訳 「葦や檜の茂る山の裾野で愛しい貴女を待っている」と伝えたので、私は辛抱してじっと立って待っている。山の裾野で。
注意 原文の「吾立所沽」の「沽」は、一般に「沾」の誤記として「吾立ち沾(ぬ)れぬ」と訓みます。これに呼応して「山之四附二」は「山の雫に」と訓むようになり、歌意が全く変わります。

石川郎女奉和謌一首
標訓 石川郎女の和へ奉れる歌一首
集歌108 
原文 吾乎待跡 君之沽計武 足日木能 山之四附二 成益物乎
試訓 吾を待つと君し沽(か)れけむあしひきの山し雌伏に成らましものを
試訳 「私を待っている」と貴方がじっと辛抱して待っている、葦や檜の生える山の裾野に私が行ければ良いのですが。
注意 原文の「君之沽計武」の「沽」は、一般に「沾」の誤記として「君が沾(ぬ)れけむ」と訓みます。これに呼応して「山之四附二」は「山の雫に」と訓むようになり、歌意が全く変わります。

<歌群二>
大津皇子竊婚石川女郎時、津守連通占露其事、皇子御作謌一首
標訓 大津皇子の竊(ひそ)かに石川女郎と婚(まぐは)ひし時に、津守連通の其の事を占へ露(あら)はすに、皇子の御(かた)りて作(つく)らしし歌一首
集歌109
原文 大船之 津守之占尓 将告登波 益為尓知而 我二人宿之
訓読 大船の津守の占に告らむとはまさしに知りて我が二人宿(ね)し
私訳 大船が泊まるという難波の湊の住吉神社の津守の神のお告げに出て人が知るように、貴女の周囲の人が、私が貴女の夫だと噂することを確信して、私は愛しい貴女と同衾したのです。

<歌群三>
日並皇子尊贈賜石川女郎御謌一首 女郎字曰大名兒也
標訓 日並皇子尊の石川女郎に贈り賜はる御歌一首
追訓 女郎(いらつめ)の字(あさな)は大名兒(おほなご)といへり。
集歌110
原文 大名兒 彼方野邊尓 苅草乃 束之間毛 吾忘目八
訓読 大名児を彼方(をちかた)野辺に刈る草(かや)の束(つか)の間も吾忘れめや
私訳 大名児よ。新嘗祭の準備で忙しく遠くの野辺で束草を刈るように、ここのところ逢えないが束の間も私は貴女を忘れることがあるでしょうか。
注意 標の万葉仮名の「大名兒」を漢字表記すると「媼子」となります。つまり、石川女郎とは石川媼子(蘇我媼子)と表記されます。この石川媼子なる人物は、歴史では藤原不比等の正妻で房前の母親です。また、蘇我媼子は皇子の母方親族ですから日並皇子尊の着袴儀での添臥を行ったと考えられます。

 こうしてみますと歌群一の集歌107の歌と集歌108の歌の二首は共に“吾”であって“我”ではありません。漢字の原義からすると、男は女の気持ちが判らないままに山のすそ野で貴女を待つと詠い、女は男がどのように自分を思っているか、どうかには関心を持つことなく他人行儀にその山の裾野に行けたらいいですねと通り一遍の返事をしています。ここでは西本願寺本に従った歌の内容と“吾”と云う表記は一致していることになります。逆にこの組歌からしますと歌の表記での意図からすると、二人の間には男女の関係はないことが予定されます。
 次に歌群二ですが、この歌は男と女が性交渉をしたことが露見したときのものですから、当然、共寝をした相手の女性からしても私と云う人物は“我”でなくてはなりません。このとき、歌群一の女性は高貴な身分の石川郎女ですが、歌群二と歌群三の女性は中堅貴族に属する石川女郎です。宮中ですと石川郎女は夫人の身分相当の立場になりうる女性ですが、一方の石川女郎は実務を行う女官や賓に相当する身分の女性となります。従いまして宮中に局を持つ女官である石川女郎の部屋に忍んで行って、皇子が強引に関係を結ぶ可能性も存在します。
 最後の歌群三は“吾”の用字です。従来から私が運営するGooブログでは集歌110の歌の石川女郎は草壁皇子の添伏の女性と解釈していました。つまり、石川女郎は袴着の儀式のとき、母親である鵜野皇后が用意した皇子に男としての性交渉の方法を実技で教える先生としての女性であって、初対面での性交渉の相手です。そこには男女の感情というものはありません。単なる儀式での男女です。従いまして石川女郎が草壁皇子をどのように思うかという感情は介在しません。ですから、“吾”と云う用字の選定なのでしょう。
 次に人麻呂歌集の歌から眺めてみますと、次のような歌々があります。男女の恋愛で心のベクトルが一致していることが認識しているとき“我”の用字を使い、それが不確かであると“吾”の用字を使うという使い分けがあるとしますと、より深く歌が鑑賞できるのではないでしょうか。特に集歌2412の歌では歌中で「我妹」と「吾雖念」との異なる“我”と“吾”とを使い分けていますから、用法の背景を想像するとなるほどと思えるような使い分けです。およそ、昔、体の関係のあった女との今の関係が不確かだとの感情を漢字の使い分けで示していることになります。

集歌2412
原文 我妹 戀無乏 夢見 吾雖念 不所寐
訓読 我妹子し恋ひ羨(と)もなかり夢し見し吾し思へど寝(い)ねらえなくに
私訳 美しい私の貴女よ、恋することが物足りないと思うことはありません。夢に貴女の姿を見ようと私は思うのですが、恋が募って寝るどころではありません。

集歌2499
原文 我妹 戀度 釼刀 名惜 念不得
訓読 我妹子の恋ひしわたれば剣太刀名の惜しけくも思ひかねつも
私訳 剣を鞘に収めるように私の愛しい貴女を押し伏せて抱いていると、剣や太刀を身に付けている健男の名を惜しむことも忘れてしまいます。

 次に集歌1248の歌は、場合によっては古事記に載る仁徳天皇と吉備黒媛との恋愛譚を引用しての歌とも考えられますので、そうしたとき、「吾妹子」は使い分けの規則に沿うものではないでしょうか。同様に集歌3128の歌もまたしばらく出会いが無くなり、相手の女性が、今、どのように自分のことを思っているか判らないと云う感情が背景にありますと、なるほどと云う表現になります。

集歌1248
原文 吾妹子 見偲 奥藻 花開在 我告与
訓読 吾妹子の見つつ思はむ沖つ藻し花咲きたらばわれに告げこそ
私訳 愛しい吾妹子よ、遠くから眺めながら貴女を偲びましょう。沖の藻の花が咲いたらならば私に教えてほしい。

集歌3128
原文 吾妹子 夢見来 倭路 度瀬別 手向吾為
訓読 吾妹子の夢し見え来し大和路し渡り瀬ごとに手向けぞ吾がする
私訳 私の愛しい恋人が夢に出て来いと、大和へ帰る道の川の渡瀬ごとに神にお願いを私はします。

 人麻呂歌集に限らず万葉集全般に“我妹”と“吾妹”との用法の違いを見ていきますと、“我妹”は十一例のみで、対する“吾妹”は百例を超えますから圧倒的に用法に違いがあります。それほどに確実に相手の意思を確認してから肉体関係となった恋愛歌が少ないのでしょう。
 次に“我妹”の例を紹介しますが、艶めかしいです。会話が歌になったような相聞歌ですから、男女の会話に戻して二人の様子を想像してください。身分ある男の家でしょうから夫婦の寝間が確保されているようです。そこへ夫が妻の手を引いて入った瞬間のような場面です。ですから“綏解我妹”であり、“将寐哉我背子”なのでしょう。

集歌3119
原文 従明日者 戀乍将去 今夕弾 速初夜従 綏解我妹
訓読 明日よりは恋ひつつ行かむ今夜だに早く初夜(よひ)より綏(ひも)解(と)け我妹
私訳 明日からは、お前を抱いてから旅立って行こう。今夜だけは、早速、宵口から下着の紐を解け。私の愛しい貴女。

集歌3120
原文 今更 将寐哉我背子 荒田麻之 全夜毛不落 夢所見欲
訓読 今さらし寝めや我が背子新夜(あらたを)し一夜もおちず夢し見えこそ
私訳 今夜一夜の今になって、「早く寝よう」ですか。愛しい貴方。それより、明日からの夜毎、夜毎に一晩も欠かさずに、私の夢に姿を見せて下さい。

 同じように次の集歌2633の歌も男女の睦があり、艶めかしいです。女は前戯に身を悶え潤い溢れている様です。それ故に“於身副我妹”の表現なのでしょう。万葉集歌をポルノ作品として鑑賞するならばこの“我妹”と云う表現は重要なキーワードになるようです。

集歌2683
原文 彼方之 赤土少屋尓 霈零 床共所沾 於身副我妹
訓読 彼方(をちかた)し赤土(ひにふ)の小屋に小雨降り床ともそ濡れ身に副(そ)へ我妹
私訳 遠くの野辺の土間敷きの小屋に激しい雨が降り、床までも濡れる。そのように床に敷いた敷栲までも濡らすほどに滲み出し濡れたお前の体を私の身に寄せなさい。愛しい貴女。

 こうしたとき、同じ言葉の感覚ですが目先を変えて万葉集に“我大王”と“吾大王”と云う二つの違う表現を見てみます。すると、この“我大王”は集中でわずか四例しかありません。それも二例は皇后や仲皇命の命令で臣下が成り代わって大王のことを詠う歌ですので、建前では大王と皇后との夫婦間でのうたとなります。そして、後の二例は柿本人麻呂と山部赤人が詠う應詔歌です。つまり、特別に大王が指名して歌を歌わせた可能性がある特殊な事情の下での使用です。一方、“吾大王”は集中に二十一例を見ることが出来る表現です。ここにも“我大王”では大王が相手である“私”を認識していると推定が出来るのではないでしょうか。
 以上、万葉集を再鑑賞しましたが、実に恥ずかしい次第です。しかしながら、“我妹”の意味とそれが示す状態を想像すると、いやはや、ポルノです。推測で奈良貴族は遣唐使で赴いた唐の朝廷で対等に官僚学者群とやり合う学識があり、平安時代の宮中女房は原文の白氏文集を愛読書のようにして鑑賞するような才媛です。ほぼ、万葉人や紫式部の時代までの平安貴族たちは万葉集の歌に示す“我妹”の意味を、十分にそのように鑑賞していたと思います。はい、男女の濃厚な関係を身に合わせて見ています。

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