見出し画像

【感想】テレ東ドラマ『生きるとか死ぬとか父親とか』と山戸結希監督

あの山戸結希監督がテレ東深夜でドラマを撮る。
しかも原作はTBSラジオリスナーにはお馴染みジェーン・スーの自伝エッセイ。
2月中旬に情報解禁されたとき、なかなか驚いた記憶がある。

自分が映画館で見た山戸結希監督の作品は『溺れるナイフ』と『ホットギミック ガールミーツボーイ』の2本

前者はスマッシュヒットを飛ばしたけど後者は残念ながら興行的にはあまりヒットしなかったのを覚えている。
というのも後者は自分が邦画洋画を問わずここ5年くらいに見た映画の中で最も度肝を抜かれた作品だったから。
それは公開から2年が経過した2021年現在でも変わらない。
自分の好印象に反して見ている人が少なかった(一部では乃木坂46のアイドル映画とみくびられている節もあったり)ということで余計に印象に残っている。

当時は「構図」と書いたけど、より正確には「撮影」か。
撮影と編集が良い・素晴らしいと感じる作品は他にも多々ある。
例えば今パッと挙げるなら『フォードvsフェラーリ』とか『Mank/マンク』とか。

むしろ客観的に見ればむしろアカデミー賞にノミネートされるような作品の方が洗練されているだろう。
ただ、度肝を抜かれたという点では『ホットギミック』が抜きん出ている。
とにかく撮影と編集が爆発していた(褒めてます)

ただ、あれから2年が経っても新作がなかなか発表されない中で「そもそも山戸監督は新作を撮れるのだろうか?」と思ったことがあった。
単なる映画好きの素人が余計なお世話だバカヤロウって話なのだがw
自分が思う山戸監督の作家性は

1. (若い男女、特に少女の)衝動的な感情を描く
2. センスとしか言いようがない、半ばエキセントリックでサイケデリックとさえ感じる撮影・編集・音楽

この作家性でずっと駆け抜けるのは難しいのではないか?
よく(揶揄的なニュアンスもあるのであまり好きな表現ではないのだけど)10代向けのキラキラムービーや胸キュン映画を撮っていると言われる三木孝浩・廣木隆一・新城毅彦・月川翔なんかは対象と一定の距離がある(性別や年齢といった点で劇中の登場人物に直接的に感情移入するわけではない)と思われるが、山戸監督は作品との距離が近く心身を削って消耗しているように(少なくとも自分には)感じられた。
だからこそあの映画が撮れたのだと思うけど、この先どうすんのよと(本当に余計なお世話なんですが)勝手に思っていたところに本作の情報が入ってきた。

自分はTBSラジオリスナーということもあり原作は既読。
中年女性と初老男性を中心に家族を描いた静かなエッセイである。
ドラマチックなエピソードが全く無いわけではないが、これまでの山戸監督の作品に比べるとかなりおとなしい。
ぶっちゃけ山戸監督っぽくない。
ただ同時に、父娘の物語となるとやはり思春期の娘という設定が定番で、この年齢の(吉田羊は年齢非公開だが)父娘を描いた作品は海外の映画・ドラマまで含めても珍しい。
(しっかり調べる時間を取れなかったので確証は無し)
過去作と大きく異なるテイストであり、かつ定番からも外れている。
前者は挑戦だが後者は山戸監督のオリジナリティ溢れる作風に味方するはずだ。
これは上手く噛み合えば新境地を見られるのではないか?
そんな期待を抱いた。

全12話を見終えて、その期待はしっかり果たされた。
本当に一見普通の(物語後半で決して普通ではないことが明らかになっていくのだけど)父娘の物語で、恐らくは深夜ドラマの予算・スケジュール的制約もあって映画並みの撮影は難しい。
主人公も分別のある(なにせラジオでリスナーの人生相談を受けている)大人で衝動的な感情に身を任せるタイプではなく、むしろ客観的に感情を抑えて行動している。

演出は非常に抑制的。
『ホットギミック』を見たときに感じた「何じゃこれ!とんでもねー!」みたいな感覚は無い。
というか脚本やストーリーの語り口としてそうせざるを得ない。
基本的に父娘や友達との会話劇。
台詞回しもとても落ち着いている。
印象的な台詞はあるんだけど、それは言葉遣いというよりあくまで台詞の内容が刺さるから印象に残る。
(ここでいう「言葉遣い」とは例えば坂元裕二脚本をイメージしてもらうといいと思う)
今までに見たことのない山戸結希作品。

もちろん随所に山戸監督らしさを感じるショットもあった。
第1話のアバンタイトル。
第2話の葬儀シーンで一度大きく引いてから寄り直すカメラワーク。
第9話のスカイツリーのインサート(ここ以外にも街の風景の挿し込み方のテンポが非常に独特)
第10話の病室のカーテン越しの影絵。
第10話の黄身が崩れた目玉焼き。
第11話の足だけ映したカット(松岡茉優が声優として出演した『聲の形』の山田尚子監督を彷彿とさせる)

最終回、雨の中でタワーマンションをバックにした吉田羊の独唱シーン。

松岡茉優の感情の吐き出し方も過去の山戸作品に通じるものがある。
口論シーンでのカットバックによる切り返し多用も最初は『マリッジ・ストーリー』っぽい撮り方と思ったのだが、冷静に考えたら山戸作品に元々あった要素だなと。

逆に新鮮に感じたのは光の使い方。
毎話のオープニングで流れる吉田羊と國村隼を逆光で捉えた映像をはじめ、特に第9話以降は光と影の使い方がどんどん鋭くなっていた。
恐らく自然光や照明にはかなりこだわったのではないだろうか。
決して今までの作品で照明がダメだったという意味ではないが、本作での進化はめざましかった。

山戸監督のキャリアにおいてこのタイミングで本作を監督したのは本当に大きいと思う。
(上から目線の余計なお世話、重ね重ね申し訳ありません)
まさに蒲原トキコを介して山戸監督がジェーン・スーに人生相談をしたようなドラマだった。
きっと山戸結希の新作映画をこれからも見続けることが出来るんじゃないかと思うと嬉しい限りである。

『生きるとか死ぬとか父親とか』はひかりTVとParaviで全話配信中



この記事が参加している募集

テレビドラマ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?