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幕末戊辰の出来事を勝手に7つの習慣やレゴ®シリアスプレイ®と結びつけて強引に書いていく<2>

こんにちは。「お前の幕末好きはついていけない」とよく言われます。ですがもっとすごい人は世の中に五万といます。まだまだ精進が足りていないなと感じます。

前作はこちら。


終わりを思い描けない。

最近、Googleマイマップに登録している幕末戊辰の出来事の史跡が4,000を超えてきました。そのうちどれくらい廻れているのかなと思ってしまうことがあります。東京にいるにもかかわらず、東京すらも大半訪れることができていない。少なくとも死ぬまでにすべてを廻り切るのは不可能でしょう。

7つの習慣的な「終わりを思い描く」ことすらできていない。だからといって手が止まることもない。幕末戊辰の研究者になりたいわけでもないし。これは一体どんな感情で突き動かされているのだろうかとつくづく自分の習慣を呪ってしまいます。しかし、それが自分という人間なんだと思います。

北から南まで山から海まで日本国中プロットしていく。

伊庭八郎の「征西日記」。

終わりを思い描けない、という点で一致しているのは、戊辰戦争最終局面の箱館まで戦い続けた旧幕府軍もそうだったのかもしれません。鳥羽・伏見の戦いで敗れて以降、死に場所を探しているかのように新政府軍との戦闘に明け暮れた姿に、Googleマイマップ程度で納得してはいけないなと感じる。

なかでも同姓ということもあって遊撃隊の伊庭八郎に惹かれてしまいます。最後の最後まで新政府軍と戦い、やがて箱館の病院で息を引き取る伊庭八郎。波乱万丈な人生のなかにも「征西日記」にある、京都や大阪の旅行記そして旅先で呑気に食べ歩く様は今の若者となにも変わらない生活感がある。

現代語で解説してくれているこの本がおすすめです。

変わることと変わらないことに大事なもの。

時代の転換点で変われる人もいれば変われない人もいる。これは幕末だろうと現代だろうとなにも違わないです。そしてもうひとつ、変わることがすべて正しいわけでもなく、変わらないからこそ生まれる純粋な真実も確かに存在するのですよね。幕末、戊辰戦争から得られるものは少なくないです。

とかくこの世は変化を求める。仮にそうだとしても大事なのは信念と原則に従っているのかってところ。伊庭八郎を含む多くの幕臣がどんな信念と原則とともに散っていったのかはわかる由もない。だけど人がなにかを貫くときにはこの信念と原則が土台になっていることに異論はないと思いますね。

ここでも同じようなことを書いていた。ちょっとだけレゴ®シリアスプレイ®も入れておく(笑)

ミッション・ステートメント。

伊庭八郎にとって信念と原則を貫こうといつ思い立ったのか。なにがそうさせたのだろうか。そんなことをふと考えてしまいます。まめに日記を書いていた(実際は書いてもらっていたのかもしれません)のだからミッション・ステートメントにあたるような宣言書も、もしかしたらあるかもですね。

ミッション・ステートメントを書く、あるいは見直すプロセスの中で、あなたは自分にとっての優先事項を深く、丹念に考え、自分の行動を自分の信念に照らし合わせることになる。

スティーブン・R・コヴィー「7つの習慣 人格主義の回復」
「第2の習慣:終わりを思い描くことから始める」
個人のミッション・ステートメントを記し活用する より引用

やっぱり伊庭八郎の征西日記同様、書いて残す、という行為が自分自身の信念や原則を形作るのには重要なのだなと感じました。この駄noteがいつか日の目を見るなんてことはないでしょうが、そうならなかったとしても自分自身の糧にはなる。そう思いながら今日も書き続けていきたいなと思います。

最後に。

そういう幕末そして戊辰戦争に惹かれ情報収集をおこなうのがもはや人生の一部となっている気がします。いつか出来事マップのすべての場所に行きたい、そう思います。

ちなみに本記事のカバー写真は、小田原藩士との乱戦で左腕を切り落とされてしまった箱根の三枚橋です(2016年撮影)。これ以降、伊庭八郎は右手一本で箱根戦争まで戦い抜きました。

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