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「コールリーダー」と「リーダーシップ」の関係について。

昨日の今日で言うことでもないのは重々承知のうえで書いておく。「コールリーダー」という事柄について述べていこうかと思う。この呼称が好きか嫌いかといわれると後者よりの考えではあるものの、様々な思いも加味して毎週木曜日には「あえて」口にしているところが多分にある。

時間をかけて議論する必要がある事柄なのだけど端的に言ってしまうなら「コールリーダー」の資質と「リーダーシップ」は必ずしも関係が深くないというのが自論でもある。だから往々にして言動に課題も存在するだろうし、そこだけにフォーカスしなくてもいいのかなとも思う。

あるサイトの「リーダーシップに必要なスキル」というものを眺めていたりするとそれは顕著に表れる。そのなかでも学習能力、育成能力、誠実性、責任感そして寛容力がなければリーダーとして立つべきではないとも書かれていたりする。個人的にも耳の痛くなる話がそこにはある。

翻って「リーダーシップを持つコールリーダー」という生き物はどんな人間なのだろうかとつい考えさせられてしまう。現にそう意識してコールリーダーなんて重責を担っている人はいると思うし、そして、理想と現実の狭間でもがいているコールリーダーも一定数存在するはずだ。

人間、誰しも強みと弱みがある。できることとできないことが共存しているからこそ、ここまでの知能を持つ地球最強の生物になったとも言える。だけど常にコールリーダーは聖人君子でい続けることを求められて、あまつさえ悪のレッテルなんてものを貼られてしまう悲しさがある。

自分自身もそうだったし一昔前のコールリーダーも同じような状況なのだと思う。皆リーダーシップ論を学んで強くなっていったのだろうか。「コールリーダーになってみなければ分からない論」を振りかざすつもりは毛頭ない。けど立ったからこそ感じる重みが心根にはあったりする。

よくよく考えてみたらサポーター界隈は社会の縮図そのものだ。だからこそ人として「リーダーシップを持つコールリーダー」としての能力が高める必要がある。老兵としてなにより、コンセプチュアルスキル、ヒューマンスキルそしてテクニカルスキルの向上を願って筆を置きたい。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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