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NPOカタリバでのインターンを卒業しました。

僕は2019年4月30日を以て、NPOカタリバでのインターンを卒業しました。2年前の春にボランティアとして初めて参加して、その1年後インターンになりました。カタリバでの2年間とこれからについてを書いていこうと思います。

カタリバは教育系のNPOで、どんな環境に生まれ育っても未来をつくりだす力を育める社会を目指し、すべての10代が意欲と創造性を手にできる未来を実現しようと全国でさまざまな事業を展開しています。

僕は高校の体育館で行われるカタリ場という約2時間のキャリアプログラムの運営に携わっていました。

インターンとして、カタリ場に参加してくれるボランティア向けの説明会の実施や、ボランティアのコミュニティ運営を行いました。企画の副責任者をすることもありました。

■カタリ場で高校生と話したこと。

数えると僕は2年間で33企画に参加し、100人以上の高校生と話してきたようです。定時制の高校に行くこともあれば、全日制の高校に行くこともありました。

カタリバの授業の多くが1、2年生に行われます。僕がカタリ場で生徒と話をするときに、高校卒業後の具体的な進路を選ぶのかはあまり話しませんでした。

カタリ場では進路を選ぶときに大切になるような価値観の解像度をあげたり、その子が置かれている状況を整理しつつ、これからどうしていくのか相談に乗ったりすることが多かったです。

僕は高校生の頃、県内でも有数の進学校に在籍していました。進路を決めるときには(できるだけ偏差値の高い大学に進学するという暗黙の前提はありましたが)「自分のしたいこと」に基づいて大学を決めるように言われました。

僕は「自分のしたいこと」では大学の進学先を決められなかったので、入学時に学部を決めなくてもいい東京大学を選びました。

(東京大学は入学時には教養学部に所属して、大学2年生の夏に改めて学部を決めます。)

僕はもし大学入学前にどうしても学部を決めてなくてはならないとしたら、最も興味があった薬学部に進学していたと思います。

「できるだけ多くの人が病気から治ってほしい。もし今までは治せなかった病気の薬を作れば多くの人が喜ぶんじゃないだろうか。」という理由で選んでいたはずです。 

結果的には薬学部に進学しなくて正解でした。

大学入学後、最初の学期で薬学部が開講している概論の授業を受けに行きましたが、大量の化学構造を見て薬学部は諦めました。

薬学部で学ぶことについて何も知らなかった僕は、薬学部で学ぶことを少し見ただけでイメージとのズレをはっきりと感じました。

今、僕は医学部健康総合科学科に進学して、公衆衛生を学んでいます。

健康総合科学科の教育の目標は、ひとびとの健康に働きかけ幸福(ウェルビーイング)の向上に寄与するため、健康総合科学に依拠し、その理論と実践に必要な基礎的知識・技能を修得するとともに、健康に関わり社会に貢献するプロフェッショナルとしての倫理観を育むことです。(学科HPより)

「できるだけ多くの人のウェルビーイングの向上に貢献したい想い」は高校時代から変わっていません。

それでも薬学部から健康総合科学科へと進学先は変わりました。そもそも高校生の僕は公衆衛生や健康総合科学科のことを知りませんでした。

僕がカタリ場話すときに、具体的な進学先よりも価値観の解像度をあげたりするようにしてきたのは、知っている世界から進学先を選ぶだけでなく、自分にあった進学先を探しに行けるようにして欲しかったからです。

学びたいことベースでなく、家からの距離でも、将来の安定でも、基準はなんでもありだと思います。

カタリ場で警察官になりたい生徒と話すときに、まずは警察官にどんなイメージを持っているのか聞きます。

「みんなを守る人!頼られる人!」と返ってこれば、身近にそういう存在がいるのか聞いてみます。

警察官に憧れる理由は人それぞれなので、その子なりの憧れた理由を知りたいと思って聞いていきます。

他にも「友だちに嫌われないように気をつかうのが辛い」「お母さんにもっと認めてもらいたい」といった人間関係や家族関係の話をしたこともありました。

一人ひとり全然違った話をするなかで、当たり前ですが、みんなバラバラな感性を持っていました。そんな一人ひとりの話を聞くことはすごく楽しいことだったと今振り返りながら思います。

■はじめの一歩を踏み出せるように。

カタリバでは、それぞれの高校で企画運営をするチームがあります。僕もいくつかの企画運営をしました。そのうちの1つの企画では「小さいけど、大きな一歩」をテーマにカタリ場を行いました。

他人から見たら大したことがないことでも、本人にとっては凄く勇気をだした一歩であれば、その一歩を認めてあげたい。カタリバのキャストは生徒がまずは一歩目を踏み出せるように応援する存在でいて欲しい。そんな想いで届けた企画でした。

ぼくは今、noteを書くのをやめようかと何度も思いながら書いています。わざわざ書かなくてもいいし、時間もかかるし、しかも全然うまく文章を書けない。

それでもカタリバで活動してきたことを伝えたい、思っていることを言葉に落としたいと思うので書いています。

noteを書き始めた頃に、LITALICOでインターンしてみて思ったことを書きました。facebookに投稿した時に、いいねやコメントをいくつかもらうことができました。

もしリアクションが何もなかったり、否定されたりしていたら、今カタリバを辞める時にnoteを書こうとはしていないかもしれません。

はじめの一歩目を踏み出すことは勇気がいります。

踏み出した時に、周りからあたたかい反応がもらえるか、冷たい反応がもらえるかで二歩目を踏み出せるかどうかが変わってくると思います。

僕が関わった企画では周りに合わせることが多く、なかなか行動に移すことができない生徒に届ける授業でした。

だからカタリ場の授業でも「したいこと」「ありたい姿」が少しでも見つかった生徒がいれば、その子が一歩を踏み出せるように後押しできる場にしたかったのです。

カタリ場から1週間後に生徒にアンケートをとりました。半数近くの生徒が、自分なりの一歩を踏み出したと答えていました。

記述をみると確かに些細な行動が中心でしたが、それでも始めの一歩はそれでもいいんです。

勇気をだした一歩目が否定されずに、それからさらに歩みだせるといいと思っています。

カタリ場に限らず、小さいけど大きな一歩が認めてもらえる、ちょっとだけ生きやすい社会になるんじゃないかなって思います。

そしてそれは僕がカタリ場を通じてつくりたかった世界像だと思います。

■カタリバから離れて、向かう先。

僕は今年の4月に研究室配属が決まり、生物統計学・疫学教室で卒業論文を作成することになりました。

カタリバをこの時期に離れるのは、最初にうまくいかなかった高校で満足のいく企画を届けられたこと、事業部が大きく変わろうとしていることなども含めての、最終的な決断ではありましたが研究に集中したいというのが一番大きかったです。

カタリバは高校生にプログラムを届ける仕事場の側面もあり、自分自身の進路を考えるにあたって立ち止まれる居場所でもありました。

カタリバに身を置きながら、ゆっくり今後の進路を考え抜きました。

現在、僕は生物統計の専門家になるために大学院への進学を考えていますが、就職するのかどうか、教育心理の大学院にするのかどうか悩みました。

専門性を身に着けたいこと、数値が悪用されないエビデンスベースな社会になることを望み、生物統計学の研究室に決めました。

2年生はLITALICO、3年生ではカタリバ、4年生では生物統計の研究室で頑張ることになります。

それぞれ福祉、教育、医療と領域が異なり、活動自体もバラバラなので、自分には軸がないのではないかと悩み、必死に共通項を見つけようとした時期もありました。

大枠としては多くの人のウェルビーイングの実現に向けて貢献したいことですが、解像度はまだまだ荒い状態です。

ただ今の時点では荒い解像度でいいかなと思っています。

LITALICOやカタリバでの活動を通じて見えてきたものがあるように、きっと研究室での活動を通じてまた新たに見えてくるものがあるはずです。何が見えるようになるのか楽しみにしつつ、研究に取り組んでいこうと思います。


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