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新社会人への手紙 「それでも人生にYESという」


題は「夜と霧」を書いたヴィクトール・E・フランクルの書籍の名前。

オノヨウコの作品の中に 脚立が置いてあって 天井に虫眼鏡が書けてあり そこを覗くと小さい文字で「YES」と書いてあるというのがあったらしい。

想像するだけで涙が出そう。

「YES」という言葉と仕事を結び付けて考える。

最近の若い者は と言われて昔はうるせーじじいと良く思ったもんだけど 40近くなってきて「なんなんだ最近の若いもんは!」という感覚がよくある。

それは昔はこうだった、俺たちの時代はもっと大変で とかいう気持ちの表れであると同時に過去の美化であり、それと今のギャップに対して対応できなくなるからだと思う。


若者からしたら 
「昔のことなんか知らねーよ、お前の苦労なんか関係ねーよ」 
という気持ちだと思う。


私もそう思ってたし、生きてきた環境や社会が時代とともに変わっているからそれも仕方ないよね。

それでも私は若者に「YES」と言ってほしい。

ゴタクはいらない。
すべてを飲み込んで「わかりました。」と。

その方が人生は豊かになる。視野は広がるし、価値的な経験ができる。


最近の風潮として 自分の人生を生きる、自由に生きる というのが前に出てきていると思う。そして、それに対してはすこぶる賛成で 私もそういう形に動けるように努力してきたし、今も会社員ではあるがそうしている。


別にイエスマンなれっていってるんじゃない。

自由を使いこなすためにはそれなりの経験と苦労、
そして自信が必要だと感じるだけ。


私はできるか分からないことでも
「はい、わかりました!」「私がやります!」なるべくそういってきた。

だからこそ今は、自分意思を自信をもって言うことができる。
自身の経験としてできることできないことをはかってきたから。

ある意味では戦略的に信頼を勝ち取るためでもあるが本質的には自分にできることを広げるためでもあり、それをやることで得られるその角度からの視野や経験を得るためでもある。

つまらないことや難しいこと、めんどくさいことをやってきた分だけ それをやったことのある人の気持ちを共有できる。

やれるかやれないかは関係ない。


「YES」、その積み重ねが自由の価値をあげていくし、自分の判断の確度をあげていく。


多くの人が現代の「新しい生き方」に挑戦していく中で、
成功例だけが目立つのでまたそこに人が流れ込んでいく。

でも結果、「楽しさ=楽」だと勘違いして自由を自分の狭い部屋の中で使ってはいないだろうか?


なんでもYESっていうと「ブラック企業に食い物にされる」 
とかありそうだけど 

そもそもブラックのそばや中にいる時点で YES経験の少なさで選ぶ力や物事の良しあしの判断力が足りてないんだよ。


YESと言い続けてきた人なら たとえブラックにぶち当たったとしても YESと言ったうえで挑戦し、結果を出し、そのうえで「ここはブラックな状況なのでこう改善すべきでは?」という意見が出せる。

もちろんYESの使う場所、タイミングを間違えると大変なことになるけど、その判断力自体がYESと言ってきた数に比例するから。


「NO」と言う勇気みたいなことも言われたりするが守るべきものが少ない時や自分の範囲で収まるときは「YES」の方が価値あることがはるか多い。

本質的に自由になりたい、これだけはという夢があるなら
今「YES」ということにどれだけの価値があるか考えてみてほしい。

考えてわかる人はもうすでにやってるだろうけど
「No」を言えるほどの力をつけるためには「YES」しかないんだ。

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いえす。

ありがとうございます。何かしら社会の役に立ったり、誰かの人生に影響するような記事を心がけていきます。 根が照れ屋なので 若干の不真面目は照れ隠しです。 ご承知おきを。