見出し画像

子宮の中に他人が発生したときのこと(9年前の妊婦)ーその1:前提編

最近、「妊娠中、夫にしてほしかったこと/してほしくなかったことなどありましたか」という質問をうけて、いろいろ考えたので記録してみる。

※長いから3回くらいに分けようかと考えている。

【前提①】9年前を振り返る

まず前提として、私の妊婦生活は9年前のまさにこの時期に始まった。ので、かなり過去の話である。

2011年12月のはじめのほうに妊娠発覚。26歳。

例にもれず、なんだかだるくて、何を食べても気持ち悪くて、風邪かなと思ったらそういえば1週間生理が遅れていた。

妊娠の週数は日本では最終月経開始日を0週とするので、28日周期ならば生理予定の日が4週。気づいたときは5週とか6週とか。診察行くと7週とかで心拍見えないのでもう一回来てくださいとか言われる。(たぶんこれは今もかわらない)

妊娠して夫は「えらい」と言ってきた。けっこう違和感があったが、怒りを抱くほどではなかった。

多分、次に書く私の当時の状況がそうさせたのだと思う。とまどいと不安の感情が大きく、夫の心情にまで思いをはせ、評価する余裕は私にはなかった。

あとは、単純に、子供の欲しかった夫はテンションあがりすぎて、言葉をうまく選べなかったんだろうなと考えたし、何よりも付き合ってから数えて2年もたっていないので、まだまだ相手を否定的にとらえる勇気が私にはなかった。(自分がパートナーとして選んだ相手に、自分が思い描いたように受容されることはないのだと認めることは、とても勇気がいる、と思う。)

【前提②】当時は新卒2年目、3社目

当時の私は新卒2年目で、3社目に勤務していた。

1社目も2社目も、自分がこの先、日本の会社員としてお金を稼いでいける技術が身につくと思えず、そのことに戦慄して数か月でやめてしまっていた。

2年目の8月に入社した3社目は、PR代理店で、知人の紹介で入社した。

広報の現場をみることができてありがたかった。企業が何に価値を感じるのかという常識を知ることができた。海外ブランドの日本担当と、英語でコミュニケーションをとるのも楽しかった。

妊娠がわかったのは入社4か月目。そんなタイミングで妊娠して歓迎されることはないだろうと予想はついた。

ただ夫はもう50代だったから、私が子供を産むなら早めが良いはずだと思っていた。もしかして子供ができないかもしれないということも考えていたので、できたらできたでその先を考えようと思っていた。

そう考えていたはずなのに、予想以上に早く妊娠という事態に出くわして面食らった。おまけに気持ち悪い。毎日どんどん気持ち悪かった。

会社に申し訳ないなと考えながらも、時間は逆に戻せないし産むのだと考えた、ような気がするが、あまり何も考えていなかったかもしれない。

会社に対して、よりも、まだまだ自力で学ばねば社会人としての基礎もできなさそうなのに、こんなことに時間取られて大丈夫かなと不安だった気がする。(実際その後、苦労した。)

【前提③】産む痛みが怖い

たまに、母になるのが怖いという意見を耳にするが、自分にはなぜかそんな思いがなかった。

今考えてみると、私は両親以外からもたくさん大切にしてもらい、世の中と折り合いをつけるすべもたくさん教えてもらったからだと思う。

私が産み出す子供に対しても、私だけで責任を負わなくていいんだと思っていたのだと思う。今もそう思っている。

そんなことよりも(というのは多少乱暴な表現だけれども実際のところ)出産の痛みがこわかった。

母は難産だった。予定日を過ぎても私が生まれないので促進剤やら切開やら吸引やらいろいろ試みたらしい(ごめん母ちゃん)。その後も傷は痛かったらしい。なんとも恐ろしい。

妊娠が発覚してからというものの、自分もその経緯をたどるのだと、なぜかかたくなに信じていた。

無痛分娩や痛みを恐怖に感じないためにはどうするかといったことを調べたりよく考えたりしていた気がする。

結果としてこれは杞憂で、というか研究のおかげか、私の陣痛は非常に短く、娩出もスムーズだった(分娩台にパンツを脱いで自分で乗り、助産師と医師によろしくお願いしますと言って、確か10分程度で子の全身が出てきてくれた)。

【前提④】子供が健康であるかは未知数という意識

当時、野田聖子さんのお子さんの話題がしきりにテレビに取り上げられていた時代だったと思う。

そして私の親戚にも、似たようなというには似てはいないものの、生まれてから数回の治療を要したり、生きられなかったりした子供がいた。

妊娠したことと、健康な子供が生まれてくるとは必ずしもイコールではないのだと考えていた。

私の出産の前には倉本美香さんの『未完の贈り物』も出版されていたようだ。そのタイミングは覚えていなかったけれど、子供が健康であるかどうかなど誰も保証されていないのだと改めて考えたことを覚えている。(本は買わなかった。)

【前提⑤】お金がない(私には)

もちろんお金はなかった。ますます夫に頼らねばならない。

自立した人間になりたかった。プライドが傷つく。

出産を自分は担うのだから、無傷の夫はお金くらい払うべきだと理屈で自分を支えようとするが、じゃあ出産がなかったらそのくらい自分は稼げるのか?と自問自答。

答えは否。消えたい。

育児中も同じような考えに何度もとらわれた。時間もなく技能もなく、子育てに足る賃金を得られない自分。とても無価値に感じる。

妊娠したパートナーに対し、男性は何ができるのか

パートナーが妊娠した男性は、相手に対して何ができるのか?という疑問に回答したくて、今回、自分の妊娠中のことを振り返ったのだった。

とはいえすでに9年も前の出来事なので、直近出産をした人に聞いてみた。

「男性は出産に対して肉体的負担を分担できない。賛美!感謝!尊敬!この3つを伝え続けるしかない」

という回答だった。なるほどである。

ーーー

その1はここでいったん終わりにしておく。

その2は、つわりの症状と、マイナートラブルと呼ばれる便秘、痔、静脈瘤について書こうかな。頻尿は入るんだっけ。

その3は夫の習慣や働きかけに対して自分がどう感じたか、何をしてほしかったかをまとめられれば。そんなになかった気がするが…当時はあったのかな。

自分の生活がどうだったかも書いてよさそうだけど仕事したり職場の床に寝そべったりしたことくらいしか思い出せないや。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?