荒木アキラ
「月の妹たち」を各章に分けて投稿した記事を集めています。お好きなところから読んでいただけると幸いです。
バルバッティンとレイのもたらす、5編のシナリオと、バルバッティンとタトエの心温まる完結編を修めた、「バルバッティン」シリーズ
薄氷を踏むように、危ない物語を5編、集めています。
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あまり鏡を見つめすぎちゃいけないよ。 本物と偽物の区別がつかなくなるからね。 そのような注意喚起を耳にしたことがある気がする。 なぜそんなことを今更思い出したかというと、真夜中の蛍光灯の光の下、米を研いでいたからだ。古米を2合炊く場合は、水は3合に合わせるのよ。そう言っていた祖母が、鏡の言い伝えをよく口にしていた。 こんな時間に米を炊くのは初めてかもしれない。午前2時すぎに白米が必要になるなんて、思いもしなかった。別に炊かないなら炊かないで済む話なのだが、どうしても今やって
冗談半分で、12階のベランダの手摺に乗ったことがある。死ぬつもりなんて毛頭ないのに、なぜあんな真似をしたんだろう。ひどく気分がよかったのを覚えている。「こんなとき、後ろからちょんと押されたら、わたしは何の理由もなく謎の死を遂げるんだな」そんなことを思ってしばらくひとり悦に入った後、しずしずと手摺から降りた。それからそんなことをしたことすら、忘れてしまっていた。 しかし、思えばその日を境に、少しずつ日常が崩れていったのだ。ひとりきりになると、誰かがわたしの肩を後ろから強く押し
「朝陽の中で待ってます」 思い出の中に手を入れて、掻き回してみると、底の方で固まっている光の粒が浮かび上がってくる。 「朝陽の中で待ってます」 あれは、まだわたしが古書店を経営していた頃。隅の方で埃をかぶっていた「近代世界文学全集」全97巻を、2週間かけて買い取っていった若い女がいた。女は決まって、夕刻に現れて、わたしが店前の裸電球に明かりを灯すのを待ってから、店内に入るのが常だった。 最後の日、残り7巻を袋に詰めていると、女は何も言わずにわたしの手の中に、小さなメモを押し込
夏の日、山頂の溜池から勢いよく流れる灌漑用水(かんがいようすい)の、獰猛な生き物のような勢いが好きだ。 晴れた午後、火傷しそうな自転車のサドルにまたがって、開放された学校のプールに向かう高揚感。ぬるい消毒液に浸かった後、シャワーの新鮮な水が日焼けした身体と水着の間を這う感触。歩く度に、足の形に濡れては乾くコンクリートの床をつま先立ちで走る子供。 完璧な夏の日! 哀れなわたしは、ひとりその様をプールサイドで想い描く。 身体を冷やすとお腹を壊す体質のわたしは、プールに入ったのは低
何度目かの旅がこころ沈む雷雨にみまわれていても、危険は雲の中にあるのではなく、地面を走ってくるのだ。 顔のない真っ白なきみが追いかけてきては、 あれこれ薬箱をひろげてぼくの面倒をみようとするけれど、ぼくは野良犬に姿を変えて、すべての遭遇をすりぬけてみせる。 野良犬は生かされている限りにおいて、殺されるかもしれないのだから、怪我をなめては土地を横切るしかないのだ。 雨があがり、きみの姿が見えなくなって三日か一週間。ぼくは方々彷徨ってようやく見つけた焚火の前で姿をほどい
最初はええ。えかった。 ぐしゃぐしゃぐしゃ、こねこねこねこね、土くれみたいにくだらんもんじゃったけー、手に引っついたら払いのけて、なかったもん、なかったもんにできよった。 それが、いつの日か、こねこねしよる時間がながくなったけー、土人形みたいなおぼろげな姿が見えてきたんよ。 姿形はまだ整ってはなくて、あっちがはみ出れば、こっちは寸足らず、方々に割れ目や切れ目が見え隠れして、とてもじゃないが、これがなになのか、だれにも分からずじまい。 ただ、厄介なことに、このころになると、それ
〜沙織と圭介〜 二十年間放置されたままのピアノを、なぜ捨てなかったか。 それはかつて「大切にされた女の子」が生きてここに居た証だから。 今朝早くに起き出した姉の沙織が、そっとその重い蓋を開くまで、ピアノは深い眠りの中にいた。二十年、ソフトクリームの香りのティッシュや、ピンクの髪結いリボン、虹色に光るキャンディの包み紙に、手を離すと天井まで浮かんでいった赤い風船なんかを詰め込んだ、小さな宝石箱を載せて、女の子の見る夢の中にいたのだ。 その深い眠りを破ったのが、沙織でよかった
〜華と晴彦〜 「ねえ、もういいの?いらないの?アイス溶けちゃうけど、ほんとにいらないのね?」 窓辺のボックス席でチョコレートパフェを残した3、4歳の男の子が、急に機嫌を悪くした様子で、母親から顔を背けている。 華はその様子を無表情を保ったまま、じっくりと観察し、あるとき突然夢から醒めたように目の前に座る仏頂面の男、晴彦に向き直った。 彼女も言ってやりたかったのだ。 「ねえ、もういいの?いらないの?わたしの愛情冷めちゃうけど、ほんとにいらないのね?」 華は本当にその通りの言葉
「まことしやかに」 誕生日は忘れてくれていいよ。わたしが年老いていくのなんか、いちいち思い出さないでいいから。わたしは、水辺へ腰掛けてあなたを待つ。桟橋かどこかよ。二人乗りの手漕ぎボートをはすに見ながら、現れないあなたの姿を水面を打つ雨粒のせいにして、わたしはびしょ濡れ。こんなとき、あなたじゃない誰かが、「入りませんか」なんて傘を差し出してきたなら、わたしは濡れた身体をそのままその人の腕に押し付けて、熱っぽいため息で耳元をくすぐるかもしれない。 あなたに止める権利なんかあり
ミセス・ブランディ、実は残念なことにお嬢さんは、ぼくをもう愛していないって言うんです。 ぼくからのプレゼントも、指輪も、すべて箱に入れて、ぼくに送り付けると言っているんです。それだけは、なんとか止めていただくようにお願いしたいんです。 ぼくが残したものが彼女を苦しめるなら、捨ててもらって構わない。ただ、送り主に返すことで、晴れ晴れとした気分になんてなってほしくはないんです。そんな女の子になってほしくない。 身勝手で残酷なことを言っているのは承知の上です。 ミセス・ブランディ
「何が欲しいって。プレハブ小屋がひとつ。あとは何もいらない。小屋の中には大きすぎるウサギのぬいぐるみがひとつ、ぎゅうぎゅうに詰め込んであって、わたしが入るスキマなんて、ほんのちょっとでいいの。ほとんどウサギ小屋。それがわたしの夢かな。」 サクラは、9歳の誕生日を前にして、わたしにこっそり夢を教えてくれた。 普通の大きさのウサギのぬいぐるみをプレゼントに用意していたわたしは、彼女の望むものがプレハブ大の大きさであることを知って、渡すのを諦めた。 こどもに「気を遣わせる」わけには
下町の芝居小屋で三流女優に恋をした貴族の青年。 果たして、クライマックスはいつやってくるのか? ドラマチックな演技を求める台本となっております。 大げさなくらい、劇的に演じてみませんか。 役表 ジェームズ♂: カール♂: ジュリア♀: 支配人♂: (カールと支配人被り可) 0:場面、ジェームズの寝室。 カール:「ああ、もうぼくはね、呆れ果てているよ! 火急の知らせというから、馬車を飛ばして駆けつけたというのに、 きみは今しがた心地いい夢から覚めたような顔をして、 ベッド
息も出来ないくらい奥深く入り込むことなんて、 ダメなんだって思ってた。 そんなの危険だし、汚いし、破廉恥だよ。 そう、こころのブレーキをかけてきた。 ずっと、鍵をかけて、あなたを封印してきた。 還っておいで、わたしの記憶たち。 その日、2番目の客を軽くあしらってから、 またイソジンで丁寧にうがいをした。 次の客が入ってくるまでのおよそ30分間。 わたしはテーブルに常備されている青リンゴのガムを噛んで、 その強い薬の味を消し、 また香りのきつい安物の香水をふる。 まぶたを閉じ
一人用朗読台本(男女兼用) 玄関の鍵がカチリと動くのと、女が目を上げるのが同時だった。 夕立の匂いが入り込んでくる。 もう金がない、と入ってきた男は首を横に振ってみせた。 逃げなきゃ、と女が思ったのは本能からだろうか。 でもどこへ逃げ場があるだろう。 男が握りしめた拳で、何度も何度も女を殴りながら、 「愛してんだよ」って叫ぶものだから、 女のほうも、「あれ、わたしなんで殴られてるんだっけ」 と考える暇もなく、鞄の中の財布に手を伸ばす。 「ねえ、これだけ、本当にこれだけしかな
男女交互のナレーションになります。 男:パン!(頬を叩く音。) 高い音を立てたのは、女のか細い手だった。 「別れよう。」 そう男が告げた直後、女はなにも言わずに男の頬を打った。 こんなとき男はいつも思う。 遊びのつもりではなかった。 それなりに誠意を尽くしたつもりだった。 それでもなお、女の愛は男にとって重すぎたのだ。 男はなにか言い訳をしようと口ごもった。 思考が端(はし)から崩れ去って、砂のように散らばっていく。 それをかき集めて、またひとつにしようとするのだが、 うま