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クライマックス!!


下町の芝居小屋で三流女優に恋をした貴族の青年。
果たして、クライマックスはいつやってくるのか?
ドラマチックな演技を求める台本となっております。
大げさなくらい、劇的に演じてみませんか。

役表
ジェームズ♂:
カール♂:
ジュリア♀:
支配人♂:
(カールと支配人被り可)

0:場面、ジェームズの寝室。

カール:「ああ、もうぼくはね、呆れ果てているよ!
火急の知らせというから、馬車を飛ばして駆けつけたというのに、
きみは今しがた心地いい夢から覚めたような顔をして、
ベッドに横たわっているときた!
なんだって、生死の境を彷徨って(さまよって)いる
なんて大袈裟な伝言を頼んだ?」

ジェームズ:「(うっとりと)…ぼくはね、そう、
今まさに疫病に冒(おか)されているからだよ。
身体のそこかしこで病はどんちゃん騒ぎの仮装行列さ!」

カール:「ずいぶんとまあ、賑やかな病があるもんだ。」

ジェームズ:「ああ、なんと言えばわかってもらえるだろう。
この胸は熱く腫れ上がり、頭はくらくら、
足元は深淵(しんえん)をのぞいている。」

カール:「それはまた、たいした病にかかったようだな。」

ジェームズ:「まあそう皮肉を言うなよ。
きみがこの手の話に不感症なのは、承知の上さ。」

カール:「ぼくが長らく結婚という
倦怠(けんたい)の中で過ごしてるからといって、
不感症という揶揄(やゆ)は、心外だな。
ぼくだって人並みに楽しみはしてるさ。」

ジェームズ:「きみが可愛いお友達と呼んでいる
娼婦たちのことかい?
損得がからまないと、きみは燃えない質(たち)らしい。」

カール:「うんざりしてるのさ。恋の成就が結婚だなんて
うそぶき始めた世の中にね。
きみはまだ気楽な独り身だからわからないよ。
結婚という人生の大芝居の主人公に選ばれたら、
台本通りの操り人形さ。」

ジェームズ:「奥方とは、仲睦まじいと評判のきみが、
その裏で親友に泣き言とはね。
これはまた、とんだ二枚看板というわけか。」

カール:「いやいや、満足しているよ、彼女には。
ぼくの後ろに札束の山がうなっていなければ、
一眼でこのぼくの虜(とりこ)にはなりはしなかったろうがね。
まあ、それはそれ。これはこれ。
女はしたたかじゃなきゃ、興ざめだね。
ぼくが言っているのはね、
夫婦という仮面のことさ。」

ジェームズ:「そんなくだらない世間の戯れ言(ざれごと)を
真(ま)に受けるとは、
きみらしくないな。」

カール:「ぼくだって貴族の端くれだ。
馴染みのご婦人方には、それなりに礼を尽くしているつもりだよ。
結婚だけが男女の仲というわけじゃなし。
妻がサロンに出入りする若い兵隊さんを
次から次へ甘い蜜の罠にかけていることすら、
この懐(ふところ)は許してやってるつもりでいた。
昼間、頭の軽そうな美男子に手を引かれて現れても、
お友達ができたの、わたしの夫と仲良くしてね、
それでお終い。
仕方ないさ。
ぼくだって似たようなものなんだからな。」

ジェームズ:「赦し(ゆるし)、許され、
結婚とはかくも寛容なものだったか!」

カール:「だけどね、夜遅く屋敷へ帰ると、
妻は今の今までぼくを待って刺繍(ししゅう)に勤しんで(いそしんで)いました、なんて演技をするんだ、気味が悪いよ。
女にとって要は言葉なのさ。
真偽を問うまでもない、言葉!言葉!
ぼくはそれに吐き気がする。」

ジェームズ:「ふんふん、なるほど、
閣下はひどく女性に失望しておられるとみえる。」

カール:「上の空だな。
まるでぼくの話を聞いちゃいないじゃないか。」

ジェームズ:「だって言ったじゃないか!
ぼくは病に身を焦がしているって!
…心配してはくれないのかい?」

カール:「見えてきた見えてきた。
容姿端麗な伊達男(だておとこ)
悲恋に身をやつす!だろ?」

ジェームズ:「からかうのはよしてくれ。
きみがそれを信じないからって、
愛が存在しないわけじゃない。
昨夜の月を見逃したやつがいても、
ぼくは確かに満月を見た、というわけさ。」

カール:「ふん、まあまあだな。
カール:・・・よし、きみの話を聞こう。」

ジェームズ:「はじまりはこうさ。」

0:ジェームズ、立ち上がって歩きながら。

ジェームズ:「そこは、野犬も寄り付かぬ、路地裏のうらぶれた街角。
小さな芝居小屋は、デカダンスに酔いしれる連中であふれ、
ひどく節操のない無法地帯と化していた。」

カール:「いよいよ、酔狂に拍車がかかってきた。」

ジェームズ:「舞台は、ベニヤ板を森に見立てた
なんともお粗末な様相で、
その中にひと切れのレースを身にまとった女優が立っている。」

0:回想の中のジュリアの声。
ジュリア:「ねえ、あなた、そう、あなたに語りかけているの。」

0:現実に戻って。
ジェームズ:「少女の声は凛と張りのある白百合のようだった。」

カール:「ちょっと待った。
まさか、今きみは自分が見てきたような語り口だが、
そんな場所に出入りしたわけじゃないだろうな?」

ジェームズ:「まあ、これには深いわけがある。
少女の話を聞こうじゃないか。」

0:回想の中のジュリアの声。
ジュリア:「あなたは、そう、妖精でしょう?
この深い森の中に百年眠っていた、泉の妖精さん。
わたしにはわかるわ。
あなたは今目覚めたばかりの新しい光!
鋭いほど眩しくて、わたしの胸を刺す!」

0:現実に戻って。
ジェームズ:「彼女の瑠璃色の瞳は、
緞帳(どんちょう)の裾(すそ)をさらう秋風の合間をぬって、
雲間に滲む(にじむ)月を見ていた!」

カール:「と、きみには見えた。
父(てて)なし子が食うために
必死で覚えた台詞を諳(そら)んじる姿に、
一抹の寂しさが滲んでいたからだ。」

ジェームズ:「失敬な!
あの人を侮辱することはぼくが許さない。
台はまさに彼女のためのものだ。
たとえ、俗悪な連中の中にいても
さらに彼女は際立って気高かった。
彼女を侮辱することは、
芸術に愛想がつきたということと一緒だ!」

0:回想の中のジュリアの声。
ジュリア:「あなたは、わたしの秘密。
この森を支配するあなたを、わたしが目覚めさせたのだもの!
きっと、この秘密は守ります。
そして、わたしは毎日あなたにお会いしに来ましょう。
あなたがこの世界にいてさびしくないように、
わたしの歌声で飾りつけましょう!」

0:現実に戻って。
ジェームズ:「そして彼女はアリアを歌いあげる。
その透明な歌声の、なんと素晴らしかったこと!
泉の精がそのまま空中に躍り(おどり)出て、
思うさま喜び舞うすがた、そのままだった。」

カール:「なるほど。
才能を切り売りしなければならない幼子(おさなご)を、
きみは哀れに思った、と?」

ジェームズ:「なぜわからないんだ!
彼女は純粋な才能で、あらゆるロマンスのヒロインを演じられる、
ただ一人の女優なのだ。
彼女なくしては、世界は不完全なままさ!
ぼくは彼女の、無邪気に赤い唇を愛したね。
こぼれる、素直な髪のひと房(ふさ)にため息がでた。
彼女の存在そのものが、
どんなに地下深く潜ろう(もぐろう)とも、
魂のように漂い出てしまうほど神聖なのだ。」

カール:「わかった、わかったよ。
そこまで言うなら、その芸術とやらを、ぼくも一度拝まなくてはならない、
そういうわけか。」

ジェームズ:「そりゃそうさ!なんたって、
彼女はぼくと結婚するんだからね。」

カール:「結婚!それ見たことか!
すぐに誓いを立てたがるのは自由恋愛主義の悪い癖だ。
行く手に待つのは・・」

ジェームズ:「まあ、最後まで言わせてくれ。
ぼくは少しばかり欲張りでね。
妻になる女性をちょっと見せびらかさなければ気がすまない。
神から祝福されしすぐれた才能を独り占めした上で、
お気に入りの友に気まぐれなおすそ分けがしたいんだ。
見せたいけど、見せすぎたくはない。
わかるだろう?」

カール:「言っておくがな、恋はすべての女を変えるぜ?
麗しの貴公子の登場に、果たして乙女は清廉(せいれん)でいられるかな。
まあ、いい暇つぶしになりそうだ。乗ったよ。」

ジェームズ:「ありがとう、カール。
どんなニヒリストの厭世家(えんせいか)だって、
あのひとの姿を目の当たりにした日には、
跪いて(ひざまずいて)大地に口づけしたくなるさ。」

カール:「ぼくは忠告したぜ?あとは好きにするんだな。
なんたってきみは病人だ。
優しくするしかこっちにはやりようがない。」

ジェームズ:「今夜、劇場に案内しよう。
その前に、ぼくは彼女と話をつけてくる。」

カール:「おい、まさか。話をつけるって、
三流女優ときみが結婚だなんて、本気じゃないだろう?」

ジェームズ:「本気も本気、ぼくは嘘は大嫌いだ。
正直に言おう。昨夜はひどい頭痛で、
どうしてもアレが必要だったんだ。」

カール:「はあ・・・なんてこった。
またきみの悪い癖が始まったわけだ。」

ジェームズ:「素面(しらふ)でぼくが
あの秘密の魔窟(まくつ)に足を運ぶと思ったかい?
あれは夜半に一服のんだ後だった。

ジェームズ:ぼくは楽屋に通すよう交渉したんだが、
支配人のやつが頑固でさ。
今日はまた、金子(きんす)を持ってあの貧民街へ出直しってわけさ!
…ついに今日、彼女の瞳にぼくが映る。
ああ、胸が高鳴るじゃないか!」

カール:「阿片は身を滅ぼすぜ?ほどほどにしとけよ。
華やぐ美貌でロンドン社交界に鮮烈なデビューを飾った
きみの見事な容姿を、ぼくはみすみす失いたくない。」

ジェームズ:「ああもう、きみの警句(けいく)ときたら、
やたら馬鹿げていて回りくどいんだから。
…ちょっとした気晴らしさ!」

カール:「彼女はきみの退廃趣味がみせた幻でした、
なんて落ちじゃないだろうな?」

ジェームズ:「まあ、今夜をお楽しみに。」


0:ジュリアの楽屋、台詞の練習をしている。

ジュリア:「わたしの・・・わたしの歌声で
飾りつけましょう!わたしの・・・んん!」

支配人:「ほう、珍しい。どうしちまった?
お前の喉は天からの贈り物。
アリアが歌えなくなるくらいなら、
台詞なんてどうだってかまやしないんだぜ?」

ジュリア:「大丈夫、心配しないで。
わたし、今ちょっと演技に身が入らないの。」

支配人:「またそんなこと言って。
おまえはうちの劇団唯一の稼ぎ手だ。
弱音は吐かせないよ?」

ジュリア:「そういうんじゃないんです。
なんかね、おかしいの、
笑っちゃうかもしれないけどね、
昨日、最後の舞台がはねたとき、
わたし初めてこの仕事してて良かったって思ったんです。」

支配人:「殊勝なことを言うじゃないか。
おまえの才能も、まんざらハリボテじゃないのかもしれないな。
なにがあったのさ?」

ジュリア:「あのね、突然にある疑問がわたしを襲ったの。
どうしてわたしは舞台に立っていて、
目の前で起きてるつまらない喧嘩や、酔っ払いたちの野次や、
阿片で抜け殻になってる人たちを、
見ないふりして演技してるんだろう?って。
小さい頃からずっと、そうしてきたから、
なんだかそれが当たり前になっていて、考えたこともなかったわ。」

支配人:「それが天上の商い。
夢を売るのに外野なんか気にしてたら、
きりがないじゃないか。
割り切ってやるしかないんだよ。」

ジュリア:「そうだわ、あれは昨日、
最後の歌声が途切れた瞬間、どこからか手を叩く音が聞こえてきたの。
たったひとりの拍手だったけど、ゆっくりで、それでいて力強くて・・・。
まさか、芝居を観てる人がいるなんて思わなかったから、びっくりしちゃって・・・。
ふふふ、おかしいでしょ?」

支配人:「・・あはは、おまえ、そんなことくらいで。
欲がないやつだな、ほんとに。
・・・ああ、そういえば。
いや、あれは・・・。」

ジュリア:「どうしたんですか?支配人さん?」

支配人:「いやね、そうそう、思い出した思い出した!
昨日帰りがけに、帽子を目深(まぶか)にかぶった若者が、
楽屋に通せってしつこかったんだよ。
ハハッ!まさか、その拍手・・・
まさかだな!」

ジュリア:「それで?その人になんて言ったの?」

支配人:「あんまりしつこいんで、身なりをみてみたら、
なかなかまあまあ、仕立てが良かったもんだから、
お金はあるのかい?って・・・」

ジュリア:「まあ!それってあんまりだわ!」

支配人:「今は持ち合わせがないとか
ぶつくさ言うもんだから、おととい来やがれ!って
蹴飛ばしてやったってわけさ。」

ジュリア:「わたし、その人に会ってみたかったわ・・・。
だって、その人かもしれないでしょ?
たったひとりの拍手だったけど、
わたし、ハッとしたわ。」

支配人:「だって、おまえはうちの大事な看板娘だよ?
二足三文ではいどうぞ、とはいかないさ。」

ジュリア:「わかってるわ。
でも、お話するくらい・・・。」

支配人:「だから、おまえは世間知らずって言うんだよ!
男がこんな舞台の楽屋に通せってことはねえ、
とどのつまりが、おまえを気に入ったから、今晩・・」

0:ノックの響く音。

支配人:「(大声で)こんな時間になんだいー?」

ジェームズ:「突然の訪問を失礼いたします。
わたくし、ジェームズ・ラ・モット子爵と申す者。
昨夜のお約束で参りました。」

支配人:「約束?なに冗談ぬかしてやがる!
だれだ、貴様?」

0:ジェームズ、花束を手に現れる。

ジェームズ:「昨夜、あなたがご教授くださった方法で、
ここまで上がって来ることが出来ました。」

ジュリア:「え、子爵様・・・?」

支配人:「・・・おぼっちゃん、
こ、ここは関係者以外立ち入り禁止でね。
意味はお分かりですね?」

ジュリア:「待って、支配人さん!」

ジェームズ:「お嬢さん、このような恥ずべき方法で
潜り込むことしかできない無力な青年を、どうぞお許しください。」

支配人:「落ちぶれても舞台女優ですよ?
まさか、その花束で落ちるなんて、甘い話ではないだろうね?」

ジェームズ:「わかっております。
わたくし今日は、お嬢さんのこれからの身の振り方を
ご一緒に考えさせていただきたいと、そのつもりで参りました。」

ジュリア:「夢、かしら・・。
いえ、わたしは昨日の拍手だけで、もう・・・。
拍手?わたし、なにを言ってるのかしら?」

支配人:「ジュリア!
まあ、落ち着きなさい!
身の振り方って、つまり、その・・・
つまるところ、おぼっちゃん、
気まぐれですむ話じゃありませんよ。
それなりの額を」

ジェームズ:「それなりの額をご用意しております。」

ジュリア:「え・・・?」

ジェームズ:「ですから、この囚われの乙女と、
しばし二人きりにしていただけませんか。」

ジュリア:「支配人さん、わたし、この方とお話してみたいわ・・・」

支配人:「いやいや、何か悪い罠の匂いがする。
わたしがいま追い払ってやるからな。」

ジュリア:「後生(ごしょう)よ、支配人さん!」

支配人:「ふーん。
おまえがそんなに言うなら・・・。
ちょっと女将と話をつけてこなきゃいけないな。
それまで、この娘には指一本、触れてはならないぜ?」

0:支配人、退場。
0:沈黙。

ジェームズ:「お嬢さん、どうか、怖がらないでください。」

ジュリア:「ジュリア・・・、ジュリア・ローズと。」

ジェームズ:「ジュリア・ローズ!素敵な名だ。
その名を口に出しただけで、花々がこぼれ出すようだ!
もっと、もっとあなたを知りたい。」

ジュリア:「わたし・・・、いえ、昨日、
支配人さんがとんだ失礼をしたんじゃないかしら。」

ジェームズ:「いえいえ、あなたはただ美しく素晴らしかった。
それが、唯一ぼくの思い出です。」

ジュリア:「なぜ、なぜわたしなの?
なぜわたしに拍手下さったの?
あれはあなたなんでしょう?」

ジェームズ:「それは、ぼくがあなたに問いたいですね。
なにがぼくに拍手させたのか。
:・・・恋だったら、と願っています。」

ジュリア:「そんな!
・・・ではあなたは知っているかしら。」

ジェームズ:「何でしょう?」

ジュリア:「あなたが現れたとき、胸に稲妻が走って、
今もまだ輝いてる。
これってなあに?」

ジェームズ:「ぼくが教えて差し上げましょう。
それは恋です。
おそらく、いや望むなら、最初で最後の。」

ジュリア:「やっぱり・・・いけないわ!
わたしは、おしゃべりのできるカナリアと一緒よ?
この籠からは出られないの。」

ジェームズ:「浮世にぼくが手にできないものはありません。
あなたはそう、この狭苦しい鳥籠の中では翼をいたずらに傷つけるだけ。
あなたにふさわしい場所をご用意しましょう。
世界中、ローマ、パリ、ミラノ、イスタンブールの空の果てまで
ぼくが、案内いたしましょう。」

ジュリア:「素晴らしいお話だけれど、なんだか怖いわ。
それよりわたしは、情熱という牢獄の中で、自由の身になりたい。」

ジェームズ:「むろん、夜の帳(とばり)が下りる頃には。」

ジュリア:「ああ、金縛りにあったときのよう。
なんと言ったらいいの?
わたしは、どうすればいいの?」

ジェームズ:「ただ一言、イエスと。」

0:ジュリアの手をとり、口づけるジェームズ。
0:支配人がこっそりのぞいている。

支配人:「あーあー・・・知らないぜ。おれは知らないからな!」

0:回想
ジェームズ:「約束します。
ぼくは今夜、もう一度、ここへ来ます。
先程申し上げたように、支配人と話はつけておきます。
あなたは安心してくださっていい。
ただ、ジュリア・ローズとして、
最後の舞台を今夜、ぼくにプレゼントしてほしい。
最高の舞台の後、ぼくはプロポーズします。
どうか、よいお返事をお待ちしています。」

0:回想終わり
ジュリア:「と、そういうわけなの。」

支配人:「おまえね、貴族の自惚れを信じるのかい?
まあ、おまえのことは女将に任せっきりだ。
女将が手放すなら、おれが口を挟むことじゃないがね、
こんなうまい話、あるわけないじゃないか。
どうせ賭けのネタにでもされてるのさ!」

ジュリア:「幸せすぎて、溶けてなくなりそう。
まるでお砂糖になった気分よ。
美しいあの方は、わたしを愛してくださっているのよ。
貧民街生まれの、みずぼらしく飾らない素のわたしに、
恋い焦がれてくださっているの。
わからないかしら。」

支配人:「だから、それが幻想だって言うんだよ!
舞台と現実の区別もつかないなんて、
よほどの世間知らずなおぼっちゃんなんだよ。
公爵だか子爵だか知らないけど、
そんなお方の婚約者が貧しいみなしごだなんて、
いい笑い者だぜ。」

ジュリア:「あら、お金でなんとかならないものがこの世にあって?
わたしをこの小屋に売ったのだって、
実の親だわ。
食べていくには仕方なかった。
それから、お金を稼ぐために芝居を覚え、
歌だけがわたしの生きる糧だった。
でもね、今夜のわたしは、一度だけ、
一度だけ愛のために歌いあげるの。
それが許されるなら、あの方のためだけに、舞台に立つのよ。」

支配人:「はあ…あきれたもんだ。おれは、知らないからな…。」

0:場面、芝居小屋の客席

カール:「(咳こみながら)よくもまあ、こんな場所に
ぼくを連れ込んだな。
クラブの連中に話してやったら、
とんだ武勇伝になるどころか、
とても信じちゃもらえないぜ。」

ジェームズ:「まあ、落ち着いて聞いてくれ!
ぼくが全生涯をささげようとしている娘の名は、
ジュリア・ローズ!
豊かな薔薇園のように甘美な響きではないか!」

カール:「落ち着くのは、きみのほうだ。
大輪(たいりん)の薔薇が咲いたところ失礼だが、
事実、ここは酷い(ひどい)悪臭だぜ?
まさか、ここに腰を下ろして、大丈夫か。」

ジェームズ:「落ち着いてる、ぼくは落ち着いているさ。
しかし、ずいぶんと遅かったじゃないか。
まあ、場所が場所なだけに、
きみだけを責めるわけにもいかないが、
間に合わないかとヒヤヒヤしたよ。
まさに今、劇は佳境(かきょう)だ!」

「芸術の根がこんな下々の足元まで蔓延る(はびこる)事ができるとは、
驚きで言葉も出ないよ。」

ジェームズ:「芸術とは、貴賎(きせん)を問わず
常に人の心を揺り動かすものさ。
それを支え、導いてやることが、
ぼくたち上に立つ者の役目なんじゃないかい?
かのボッティチェリも、メディチ家の後ろ盾なしに、
あのような栄誉を受けられたものか、はなはだ疑わしい。」

カール:「ヴィーナス誕生になぞらえるとは、
さすがにきみも気が大きくなりすぎだ。
まあ、どんな天上の悦楽が待っているか、期待していよう。」

ジェームズ:「ああ、もうすぐだ。
やはりきみの言う通りかもしれない。
ぼくはたしかにのぼせあがっている!
そろそろ、ジュリアの台詞のところだ。
とくとご覧あれ!」

ジュリア:「ねえ、あなた、そう、あなたに語りかけているの。」

ジェームズ:「ん・・・?」

カール:「?・・・なるほど、なかなかの器量良しじゃないか。
これは冴えた月明かりに映えるたいした美人だ。」

ジェームズ:「次からの台詞が素晴らしいんだ。」

ジュリア:「あなたは、そう、妖精でしょう?
この深い森の中に百年眠っていた、泉の妖精さん。
わたしにはわかるわ。
あなたは今目覚めたばかりの新しい光!」

ジェームズ:「・・・こ、これは!」

カール:「・・・やはり、この淀(よど)んだ空気が悪いな。
あの娘さん、今夜はなにか
流行病(はやりやまい)をもらったに違いない。」

ジュリア:「鋭いほど眩しくて、わたしの胸を刺す!」

ジェームズ:「そんな・・・うそだ。」

カール:「今夜は客層がよくないのかな。
妙にあがってらっしゃるようにお見受けする。」

ジュリア:「あなたは、わたしの秘密。
この森を支配するあなたを、わたしが目覚めさせたのだもの!
きっと、この秘密は守ります。」

ジェームズ:「なんてことだ・・・。」

カール:「ブラボー!(なげやりに手を叩いて)
さあ、もう充分じゃないのか?
馬車はまだ待たせてある。
もうこれ以上ここにいるべきじゃない。」

ジェームズ:「いいや、
ぼくはまだ見届けなければならない。」

カール:「そうだ、また別の日に出直そうじゃないか。
とにかく帰ろう。
下手な芝居を観るのは道徳上よろしくない。」

ジェームズ:「別の日?そんなものはありはしない。
彼女は今日を限りに舞台から去り、ぼくに永遠の愛を約束するはずだった。ぼくへの愛があれば、芸術のなんたるかを
知性で感じ取ることができるはずだ。
こんなただのありふれた能無し芝居、ありえないんだ!」

カール:「自分の妻となる女性を
そう悪し様(あしざま)に言うものではないよ。
まさかきみは、彼女に四六時中素晴らしい演技をさせるために
娶る(めとる)わけではあるまい。
女の芝居にはあきあきしてると、ぼくはあれほど言ったじゃないか。」

ジェームズ:「行ってくれ、カール。
ひとりになりたいんだ。
ぼくは恥ずかしさに気が遠くなりそうだよ。
さあ、これ以上あのひとが
痛恨の失敗を仕出かす前に、
白々しい台詞を述べる前に!」

ジュリア:「そして、わたしは毎日
あなたにお会いしに来ましょう。
あなたがこの世界にいてさびしくないように、
わたしの歌声で飾りつけましょう!」

ジェームズ:「これは…悪夢だ…!」

0:場面、ジュリアの楽屋内。

ジェームズ:「ひどいじゃないか!ひどいじゃないか!
ひどいにもほどがある!
まるきりきみは木偶の坊(でくのぼう)だった!
具合でも悪かったのか?
きみにああしろ、こうしろと、ぼくが指図したかい?
ただゆうべの偉大なる芸術家の最後が観たかっただけだ!」

ジュリア:「ああ!子爵様、いえ、わたしのプリンス、
とお呼びすればいいかしら・・・?
なにをそんなに震えていらっしゃるの?」

ジェームズ:「・・・絶望したよ!
まったく絶望した!」

ジュリア:「顔色がお悪いわ。なにか温かいものを」

ジェームズ:「きみはきっと病気だよ!
自分を物笑いの種にして、落ち着き払っているなんて、
どこかおかしいに違いない!」

ジュリア:「わたし、病気なんかじゃないわ。
いえ、昨日までのわたしがおかしかったのよ。」

ジェームズ:「なにもわかっちゃいない!
きみにはなにも、愛も芸術も、なにも見えていないんだ!」

ジュリア:「なにをおっしゃるの。
あなたの力強い拍手を受けるまで、
わたしの世界は台本に描かれたロマンスの影だけだったわ。
それがいまはどう?
蜜のような口づけで、あなたはわたしを現実の世界に目覚めさせた。」

ジェームズ:「現実の世界!それがきみをだめにしたんだ。
それがぼくの夢を殺したんだ。
愛はぼくの想像力をかきたてた!
あの素晴らしい偉大なる歌手は、
全世界から崇拝され、社交界の華になるはずだった。
その栄誉にきみはもう浴さない。
きみはぼくの家名を名乗るには値しない!」

ジュリア:「なにをおっしゃるの!?
あなたがわたしに教えてくださったんだわ。
自分が演じてきた空虚は、愛の影だったのだと。
あなたの愛がわたしを変えたんだわ。
現実の愛の情熱がなんたるかを理解できるようにしてくださった!
もう、自分がなぜ、けばけばしく飾り立てた醜い老人を
精霊(せいれい)だと信じなければならないのか、
ペンキで塗りつけた森だって嘘だし・・・
台詞だってくだらない・・・!
それを見る連中ときたら、愛のなんたるかを考えたこともない
お馬鹿さんばかり!」

ジェームズ:「ぼくは本来、
惨い(むごい)ことはしたくない。
だからもう行くよ。
そしてもう二度ときみには会わない。」

0:去っていくジェームズに追いすがるジュリア。

ジュリア:「そういった現実が、ぜんぶあなたへの愛を想起させた!
あなたへの愛がすべてになったのよ!
ねえ!聞いてらっしゃる?
ねえ、行かないで!行かないで、
お願いよ!ねえ!」


0:場面、子爵の屋敷の門前。

支配人:「この人でなし!大法螺吹きの人殺し!
貴族の誇りはないのか!
可哀想なわたしのローズ!
あの子がおまえになにをした?
はじめての恋だった!はじめての愛だったんだよ!
それが最後になるなんて、あんまりじゃないか!
このおれが悪魔なら、おまえから夢という夢を奪い去って、
永遠に静寂も癒しも訪れない砂漠へ葬ってやる!」

0:ジェームズの居室。
0:カールが新聞を広げている。

カール:「ジュリア・ローズの死!
なんともセンセーショナルじゃないか。
・・・だからといってきみの名が
貶め(おとしめ)られるいわれはない。」

ジェームズ:「・・・なぜここへ来た?
ぼくの醜態(しゅうたい)を見物にでもきたかい?」

カール:「なあジェームズ、きみはまだ若い。
ロマンスはいずれ死んでしまうものさ。」

ジェームズ:「なぜここへ来たと聞いている。
知ってるよ。ぼくを笑いに来たんだろう?
ほらみたことかと顔に書いてある。」

カール:「きみがどう考えようと、まったく気の毒だった。
でも、あまり深刻になるのは不健全というものだぜ?
まずは、その身なりをどうにかしなければ。
昨夜の雨で濡れねずみじゃないか。」

ジェームズ:「ぼくは、恋に酷い仕打ちをした。
それはわかっている。」

カール:「恋か。
この言葉を口にするには、もっと慎重にならなければいけないよ。
永遠なるものに対する恐怖で、男の胸は一杯になってしまう。」

ジェームズ:「ぼくは彼女に二世を誓うつもりだった。
それはあの女に永遠を意味しただろう。」

カール:「女の前で永遠を口にするとは、もっとおぞましい。
悪魔にただで心臓をくれてやるようなものさ。」

ジェームズ:「まったくきみの言うとおりだった。
でもね、ぼくは今、熱風吹きすさぶ嵐の、
まさに中心にいるようさ。
この静けさ、静寂(せいじゃく)こそ、
懺悔(ざんげ)の祈りなのかもしれない。」

カール:「懺悔?昨夜未明、女は自ら命を絶った、
ほらここに書いてある。
天上の裁きは、果たして哀れなきみを
檻(おり)に入れるだろうか。」

ジェームズ:「どうかな…。きみの意見は?」

カール:「そうだな。きみはあのひとに残酷だった。
それは事実さ。
だが、女というものは得てして残酷なことが好きなのさ。
あちらの望んだことだ。
きみはぼくに言ったじゃないか。
彼女はありとあらゆるロマンスのヒロインだと。
あの女は最後の役を演じ終えたんだ。
きみには、オフィーリアを悼む(いたむ)権利がある。」

ジェームズ:「シェイクスピアか・・・。
悲劇とはこんなにも悲惨な気持ちにさせるものか。」

カール:「彼女の場合、自ら幕を引いたところ
どことなく儚さがある点、救いにはなるね。」

ジェームズ:「さっきまで、誰にもこの胸のうちを見られたくなかった。
たがきみとこんな話をしていると、
まるで素敵な物語の中のことのようだ。」

カール:「素晴らしい物語は、ぼくのような人間でさえ、
情熱だとか恋愛だとかいったものの存在を信じたくなる。」

ジェームズ:「でもね、これは現実だ。
言葉にして紡ぐ(つむぐ)にはどうすればいい?
なにをどう飾り立てて語ろうと、真実とは遠いものさ。」

カール:「ぼくは、ただ、こんなときは
感情の赴く(おもむく)ままにするがいいと思うよ。
涙のもつ鎮静作用には、驚くべきものがある。」

ジェームズ:「(涙ぐみながら)…本当の、本当の話、
彼女の訃報(ふほう)を知ったとき、
自分の残忍さを目(ま)の当たりにして、苦しみあえいだよ。」

0:ジェームズの肩を抱くカール。

ジェームズ:「でもね、言い換えれば、
この内に巣食う加虐性(かぎゃくせい)を
とことん愉しみぬいたと言ってもいい。
穴のあくまで、じっくりと自分の本性を眺め回して、
何一つ変わらないとこまで辿り着いたんだ。」

カール:「なにが女を殺したか…?」

ジェームズ:「言わないでくれ!
終わったんだ、それを引き合いに出すのは!
悲しみが恋の火を消し、
彼女を忘却の氷河の中に葬ることで、
ぼくは自分と折り合いをつけたんだ。
それなのに、それなのに!
彼女の死は熾烈(しれつ)なまでに心を焼き尽くす。
・・・さあ、これがぼくの偽らざる本心だ。
きみはさっきから、屁理屈ばかりこねくり回して、
本当のところには掠り(かすり)もしないんだな。」

0:カール、ジェームズを抱いた手を
0:ゆっくり離して、凝視しながら。

カール:「……では、ではなぜきみはこんなにも
ぐっしょりと血に濡れてる?」

0:沈黙

カール:「怖ろしい…まったく、
すくいのないほどにきみは怖ろしいよ!
…きみの演技にはくらくらきた!
まるで阿片のようにめくるめく夢をみせた!
もうたくさんだ。
言葉では語れないとは、こういう意味か。
きみはさっきからおしゃべりがすぎるよ。
真相は、どのあたりにある?」

ジェームズ:「…きみならわかってくれるかと思ったんだ。
退廃的な唯美主義はお互いさまだろう?」

カール:「たしかにね。
嘘は美しい。逆もまた然り(しかり)だ!
美を思うさま操るきみの本心は、ただの煌(きら)びやかな
偽物(にせもの)だったんだね!」

ジェームズ:「なあ、これは、これはね、
…主義の問題さ。
・・・ぼくは、女が執拗に現実を生き続けるのが我慢ならないんだ!
女の怖るべき記憶力!
それは、永久(とわ)に輝くロマンスを、
平々凡々たる思い出に変えてしまう。」

カール:「だから、永久(えいきゅう)に眠らせたわけか!
きみはもはや変わり果てた!
ぼくのよく知るあの無垢で
穢れ(けがれ)ない青年ではない。
その正体は罪人だ!」

ジェームズ:「・・・きみに罪のどうこうを言われるとはね。
ぼくは知っているよ。
ただきみは悪気なく純粋に、ぼくを羨んで(うらやんで)いたね。」

カール:「…まさか!
よしてくれ、邪推(じゃすい)にもほどがある!」

ジェームズ:「ぼくの自惚れを
ここまで助長(じょちょう)させたのは、きみだ。
うんざりするほどの賛辞(さんじ)が、ぼくという偶像を、
ぼく自身、崇め(あがめ)させ始めたんだ!
なあ、聞いているのか、カール!
きみも腹を割ったらどうだ?」

0:カールに詰め寄るジェームズ。

カール:「・・・ああ、ああ!
そうさ、認めようじゃないか。
第一報を受けたとき、やられたと思ったよ。
きみはそこらの桟敷(さじき)で冗談を交わす
気の知れた友人から、はるか彼方を天に疾る(はしる)
羨望の的(せんぼうのまと)となった。
・・・なにせ、ある女がきみを恋い慕って自殺した!
ぼくもそんな経験をしてみたいと思ったね!」

ジェームズ:「やはり、きみの冷淡さは
ぼくのそれによく似ている。」

カール:「だが、ぼくはひとの亡骸(なきがら)にまで
仮面をかぶせる趣味はないよ!」

ジェームズ:「死してなお、女は遊戯(ゆうぎ)をやめなかったのさ。
それこそ、女優魂というものだ。はは・・・」

カール:「きみはぼくのニヒリズムやエゴイズムを
嘲笑(ちょうしょう)してきたが、
なんのことはない、まさに自分自身、
堂々と己のことを皮肉っていたわけだ。」

ジェームズ:「きみは今気が動転している。
落ち着いて考えれは、すべてこれでよかったのさ。」

カール:「いや、やはりここへ来るべきではなかった。
きみの青春の色香(いろか)に惹かれて、
好奇心を押さえきれなかったのは、ぼくの落ち度だ。」

ジェームズ:「いいや、わかっているだろう?
きみとぼくとの世界は、常に、暗黙という名の悪魔が
いっさいを取り仕切ってきた。
きみとの、気まぐれで放埓(ほうらつ)な日々が、
ぼくを高みへ誘って(いざなって)きたんだ。
今さら見捨てるなんて、
無責任は許さないよ。」

カール:「そうか…そうきみには映っていたんだな。
きみの罪の半分はぼくにあるのかもしれない。
・・・だから、ぼくは、いっさいきみの看板に泥をぬるつもりはない。
この一連のおぞましい事件について、もう二度と口にしないだろう。」

ジェームズ:「どこへ行く?どうするつもりだ、
それだけ聞かなければ、今ここで別れることは、
きみの身の振り方を意味する!」

カール:「それは脅しかい?冗談ではすまないよ。
もう、ぼくたちの間にあった、馬鹿馬鹿しくもユーモラスだった共通言語は通用しないのだよ、ジェームズ。」

ジェームズ:「待ってくれ、よく考えるんだ、カール。
きみを脅したなんて、そんなつもりはない。
逆にぼくは、きみに去られたら本当に、現実的な意味で死んでしまう!
・・・お願いだ、きみもそうだと言ってくれ!
名誉や誇りのために言ってるんじゃない!」

カール:「もはや、ぼくにはどうしようもない。
言葉はどこまでも真実を指さないし、
きみの頬を濡らしている涙に、人の熱をもつ
悔恨(かいこん)と改悛(かいしゅん)を見ることもない。
・・・黙(もく)して語らないことだけ、
それだけが、ぼくときみを結ぶつながりとなったのだ。

さようなら、かつて親友だったひと。
さようなら、ぼくの青春の影。」

0:カール、退場。
0:閉まる扉。
0:
0:終幕

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