マナーマニアにはなるまい。

twitterで「10分前行動」について面白いやりとりを見つけた。何人かで集合という場面で、ほとんどの人は10分前に集合していたけど1人だけ定刻ピッタリに来た人がいた。定刻には間に合っているから遅刻ではないんだけど「そいつはチームから外すべきだ」と発言していて賛否両論が飛び交っていました。「集団行動で10分前は暗黙のルール。わざわざ説明が必要な人は早い段階で切るべき」とか「じゃ、なんのための集合時間だよ!」とか。

ルールとマナーは微妙に定義が違います。ルールは超えたらいけない明確な一線がある。交通ルール違反は罰則があります。だけど、マナーはそっちのほうがベターというあいまいなもので、違反しても罰則はありません。マナーはルールよりも地域やコミュニティに違いがあります。そこで、思うのは日本社会ではマナーの扱い方がだいぶ厄介だということ。マナー(〇〇のほうがベター)とは言ってるくせに、扱いはルール(破ったらアウト)並に厳しく、守れなかったら目くじら立てて怒る人が多いような気がします。

こうした「マナーからルールへの繰り上げ」を人に押し付けることはとても厄介です。もちろん自分ルールとすることは全然アリです。10分前集合はマイルールだとすることは。でも、自分が守っているルールを人に押し付けることはとても厄介。部下やスタッフに対して「ビジネスマンとして当たり前とか」言っちゃって、出来てない社外の人の陰口を言うのはやめたほうがいい。

で、何が言いたいかというとですね。マナーにこだわり過ぎる人は無頓着な人に比べて多くのストレスを感じながら生きることになるので疲れ損しちゃうよ、ということです。マナーを気にする人のほうが生きてて疲れるって勿体なくないですか?

でも、マナーにこだわり過ぎる人って興味があったり、好きなんでしょうね。極端に言えばマナーマニア。マニアになるのは自由なんですけど、視野が狭くなる危険は気をつけなきゃいけない。忘れちゃいけないのは「人によって大事にすることが違う」ということ。10分前集合にこだわる人もいれば気にしない人もいます。メールよりも手書きの文字にこだわる人もいるでしょう。仕事を超えた付き合いを大事にする人もいれば、家族との時間を尊重する人もいます。

個人的にはマナーを心得ている人のほうが圧倒的に好きです。だけど完璧なマナーの人なんていない。自分の知ってるマナーこそ正しいと思い込んであれこれ人の指摘をしている人はこっちも疲れちゃう。新人指導の一環なら分かります。それはやったほうがいい。お疲れさまです。だけどすべての人に求めちゃいけない。諦めないと。諦める代わりに、自分も誰かにとってはマナーを違反をしているかもしれないからお互いさまだと自分を許してあげればいい。広い視野と大きな心を持って。今の日本には、独特で滑稽なマナーを徹底するより、寛容に受け入れることのほうが大事な気がしています。

自分だって完璧じゃないんだから他人の不完全さも許す。このスタンスをもっとたくさんの人が持てば、若い人も、海外の人も、忙しい人も、少しは気持ちがラクになると思います。10分前じゃなくたって遅刻じゃなればいいじゃないですか。店員さんの日本語が完璧じゃなくてもいいじゃないですか。子供が大きな声出したっていいじゃないですか。

もうちょっと広い心でいきましょうよ、ね?そこの部長さん?一緒にいるのは社長さんですか?さっきからずーっと下座に座っていますけど 笑

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