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8月6日の出来事

暑い午後、アレクサに音楽をかけるようにお願いして、「あるヨギの自叙伝」を再読していました。

家族は外出しており、ガラスの向こうからむわっとした熱を伝えてきます。

読んでいる途中、なんだか涙が止まらなくなり、アレクサに音楽を変えるようにお願いしたら。。。

息子を亡くしてからヘビロテしている、back numberの
「思い出せなくなるその日まで」がかかり、更に涙が止まらなくなるのでした。

ながれる涙をそのままに、しばらく聞いた後で、アレクサに小田和正さんの曲をかけてとお願いしたところ
「What's your message」が流れました。

不意に、2017年に、ある友人と初めて会った時を思い出す。

私は、9泊10日のIIT(NVCの国際集中合宿)に参加していた。

けれど、仕事の都合で途中で引き上げると、事前に運営に告げ、たまたま一緒になったホームグループのメンバーにも伝えたのだった。

そのとき、初対面だった、彼女はこう言った。
「きっと、まさは、最後まで居るよ」

そして、その予言は真実となった。

2018年、彼女の開く「オンライン マントラ瞑想」という場に参加したのは、気の迷いと、いくばくかの同情だったかもしれない。呼びかけに必死な彼女の声に、耳を傾けたいと思ったところもあった。

その講座の中で、何度か、彼女はこう言った。
「きっと、まさは、人を導くグルになるよ」

そんなことは全く信じず、わたしは、その講座を終えてから、マントラ瞑想とは全く縁のない生活に入っていたのだった。

息子を亡くしたあの日・・・
優しい人が、そのまま生きていくのが難しい世の中へ絶望していた。

その翌日から、私は再び、マントラ瞑想を始めたのだった。
それは、本能的なものだったかもしれない。
嵐のような精神状態を、ぎりぎり保つための、最後の浮き輪だった。

もちろん、たくさんの人の支えがあり、その癒しにより、今生きている。
それは間違いない。

たくさんの人のたくさんの支えには、感謝しかない。

同時に、セルフケアでできることは、私にはマントラ瞑想しかなかった。
私が倒れてしまえば、妻も娘を守ることができない、特にまともな精神状態で居られない妻を損なってしまう。

息子の旅立ちを祈るために訪れた宇佐神宮。
引いたおみくじには
「嵐のような日々が過ぎれば、落ち着いた、静かで幸せな日が来るでしょう」
「神は、ことのほか、弱い人々を愛する。だから、あなたは、弱い人たちのために生きなさい」
と書いてあった。

私は、彼女と一度話をしてみよう、そう思った。

オンラインで随分久しぶりに会った彼女はこう言った。
「そのおみくじは、きっと息子さんが届けてくれたんだろうね」

ああ、そうだね。
私は彼のメッセージを見つけた。

「神は、ことのほか、弱い人々を愛する。だから、あなたは、弱い人たちのために生きなさい」

生きよう、命を燃やして。

※弱い人には、私を含んでいます

※今の資本主義社会の中で、環境・文化・法律・習慣などのために、不遇な立場にいる人、自らの力と切り離されてしまった人。元々は尊い力があるにも関わらず、十分に発揮することができず、自らの命と切り離されている人

※動植物、森や海、空など多くの命

弱い人=本来、尊敬される人というニュアンスです。そう、優しい息子のように。

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