見出し画像

カット・タン・マイセルフ(D)

帰国、父親、タクシー

バンクーバーから帰国する機内、ここでもオートミールが出た記憶がある。アッツアッツだった。それを爆笑しながら食べた。あの機内はかなりテンションが上りきっていた。かなり薄い断片的な記憶がある。真ん中の席付近にかみさんと座った。寝る、食べる、寝る、みたいな感じで帰国したと思うが、実際どうだったかわからない。精神的に不安定な乗客を乗せる航空会社のリスクもあるだろう。自分がそうなっておいて何だが、あの密閉空間に少しおかしいやつを同乗させるのは細心注意が必要だろう。本人はそんな事が考えられない状態だからおかしいので、搭乗を取りやめてくれと言われても本人にそんな気はない。おそらく精神的に不安定な状態の方たちの多くは、普段、正常に周囲の判断や、気遣いができる方たちも多くいるはずである。普段気遣いが相対的にできる方が壊れるケースも多いはずである。

到着した成田空港で父親が待っていた。あとから聞いたが、急いでパスポートを作り(特別に緊急発行)、行ったことのない海外に行き、自分の元に向かおうとしていたらしい。70歳手前の老人が病院に来ても、英語も話せず、周囲の環境も理解できず、何もできなかっただろう。わけが分からずにかなり急いで撮ったであろう悲壮感を帯びた父親のパスポート写真は忘れられない。だが、<バンクーバーの全て><それまでの人生の身体に悪い行い><劣悪な若年期の環境>そういう線で結ばれた道の先にカット・タン・マイセルフがある。人生は選択の連続だが、その選択をしっかりする能力を得ないまま時間が経過し、誰に教わるでもなく社会に出される人も多くいる。基本、若年期の家庭環境が大きく影響する。

空港からタクシーで帰った。オレと父親、かみさんと一緒に。初めて成田からタクシーで帰った。快適だった。車内では、一言二言、父親と話した。どうしてそんな事したの??って言われたが、わからない。と答えた。会話はなかった。助手席に父親が座っていたのかな。よく覚えていない。


もうすぐ父親になる壊れ物

家に帰ってきた。二ヶ月後には出産を控えている。父親になる。そんな状況だが生まれてくる我が子に希望があふれていた。

だが、気が付いたら完全に鬱(うつ)になっていた。

帰国後、約束通り精神科に通院し、処方された薬をしっかり飲み、穏やかに毎日過ごしていたと思う。だが、気が付いたら鬱が自分を支配していた。飲んだ薬は合うもの合わないものがあって、それを繰り返していたら症状は更に悪化していった。病気を落ち着かせようとしっかり対応してくれた先生には悪いが、飲んだ薬の影響で状態が悪化したことは事実だ。人生タラレバがないから、誰が正義か証明ができないが、とにかく悪化の一途をたどった。本当のカルテに何という記載があったかわからないが、病名は、一過性精神障害と言われた。状態は下降線をたどった。散歩もできない、人と会えない、会話はかみさんだけ、無気力、だけど、精神薬を飲みながらビールは欠かさなかった。お腹の中で一緒になるからビールで薬を流し込んでも一緒だと医者のかみさんに言われたから毎日薬をビールで流し込んだ。これはやっぱり身体に悪いことだ。どう考えても、医者でなくても体に悪いことはわかる。脳に確実にダメージがいったと思う。その後遺症に今も悩まされている事は間違いない。自分がよく分かる。毒を持って毒を制する的な精神薬の投与と、毒を流し込む時に使用したビールというアルコール毒が更なるダメージをもたらせた。

誰も悪くないが、身体(脳)に悪かった。


苦しんでいる人に向けて多くのメッセージを届けたい。とりあえず、これから人前で話す活動をしていきます。今後の活動を見守ってください(^^)