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『徳川六代 馬 将軍』連載第六回

第一話 イェド、仲間たちとフウイヌムの国を出、ヤフーの国に到着する(承前)


 
 わたしを買ったこの五郎右衛門という男、実はこのあたりで有名な、ちょっと変わった男でした。
 どういうふうに変わっているかというと、たとえば乞食や障害者がいます。普通の人間でしたら、見て見ぬ振りするか、あるいは追い払うものですが、この五郎右衛門は米や麦を与えてやるのです。また、鳥や魚が売られていれば買い取って山や川に返してやる。誰かに迷惑をかけることはないので、まわりのヒトたちも、物好きな奴だなあ、と嘲笑うだけでした。
 今回も五郎右衛門はあたしのためにわざわざ馬小屋を作ってくれました。ハエやカが入ってこないよう蚊帳つきの立派な馬小屋を。
 五郎右衛門をわたしのたてがみをくしけずりながら、こう言います。
――本当はおまえを野山放してやりたいところだが、狼が出るでのう。狭いところだが我慢してくれ。
 なんとすばらしいヒトでしょう。
 五郎右衛門は姿形こそヤフーですが、心根はまるでフウイヌムでした。
 このヒトならわたしのことをわかってくれるに違いない。わたしはそう信じて、五郎右衛門にヒトの言葉で語りかけました。
――ご親切かたじけない。心から感謝いたします。
 五郎右衛門はびっくりして、
――こりゃあ、たまげた。ウマが口をきくなんて。おまえ、ただのウマじゃねえな。どういうことだか説明してくんろ。
 わたしはこれまでのことを話してきかせました。五郎右衛門は最後まで話を聞いてから、
――そうか、そりゃあ大変だったなあ。なんとかして、おまえさんを生まれ故郷のフウイヌムの国に返してあげたいところだが、さすがにそれはできねえなあ。幕府の偉い人ならできるかもしれねえが。

 それから幾月か経った時でした。五郎右衛門は孝行息子としても知られていて、その評判を聞きつけて巡見使がやって参りました。幕府として表彰したいというのです。すると、五郎右衛門は、
――めったにねえ機会だ。おまえのことも話してみる。
 そう言って、わたしのことを巡見使に話してくれました。
 最初、巡見使は信じてくれませんでしたが、わたしが実際に喋ったのを見て、目をまんまるにして驚きました。
――拙者の一存では決められぬゆえ、上にお伺いを立ててみる。
 そう申して、その時は引き揚げていきました。数日後、巡見使は戻ってきて、わたしを江戸に連れていくと言いました。
――良かったな、イェド。ちゃんとお話しするんだぞ。
 五郎右衛門に見送られて、えあたしは江戸に向かいました。

 江戸城でわたしを迎えたのは、誰あろう、五代将軍徳川綱吉様でありました。
 後で知ったことですが、綱吉様は最初わたしと会いたくなかったそうです。と言いますのも綱吉様は、言葉を喋る馬とか、天駆ける馬とか、そういった珍獣奇獣のたぐいが大嫌いだからで、以前、朝鮮使節から献上された「天馬の皮」と申すものに甚だ嫌悪されたとか。
 それがどうして会う気になったかと申しますと、孝行で知られる正直者の五郎右衛門が嘘を言うはずはない、と信じられたからです。
 わたしの話は突飛すぎて、普通のヒトでしたら、ありえないと思うでしょう。綱吉様がはたしてわたしの話を信じてくださるか、くださらないかはわかりません。しかし、本当にあったことですから、ありのままに話すしかないと腹をくくり、わたしは最初からお話しました。
 綱吉様はそれを聞いたうえで、わたしに質問されました。
――フウイヌムの国に野心家の王、腐った政府、殺しの好きな軍人、贅沢がないというのはまことの話か?
 私は、はい、と申しました。すると綱吉様は、
――フウイヌムの国とはなんと素晴らしい国であろう。儒教の教えがここまで徹底された国はほかにない。ああ、わたしもこの国をそのような国にしたいものだ。
 そう申され、フウイヌムの国がどこかわかれば帰国させてあげたいのだが、いま現在、わからない。わかるまでの間、わたしに協力をしてくれないか。この国を、フウイヌムの国のような、争いのない平和な国にする手伝いをしてくれないか、そう誘われたのでした。

(第一話 おわり)

あとがき

この話に出てくる五郎右衛門は実在の人物で、駿河富士郡今泉町の住人。天和二年(1682年)、孝行息子として徳川綱吉により表彰され、その伝記は、儒学者・林鳳岡(林春常)が編纂・刊行しました。(リンク先)

次回予告

第2話は忠臣蔵編になります。

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