『徳川六代 馬 将軍』連載第四回
第一話 イェド、仲間たちとフウイヌムの国を出、ヤフーの国に到着する(承前)
春になって、わたしは日に数時間、厩の外に連れ出されて運動をさせられていました。不衛生きわまる厩の中と違って、外は空気が美味しいし、ぶんぶんよってたかるハエが少ないのも嬉しくありました(しかし、このハエというやつ、どうして鼻の中にまで飛び込んでくるのでしょう)。
運動というのは歩行運動です。手綱を持ったヤフーのまわりを円を描くようにぐるぐる歩き回るのです。春の陽気と開放感に浸って気持ち良く歩いていましたら、ヤフーから尻に鞭を入れられました。どうして打たれのか最初はわからなかったんですが、どうも、わたしの歩き方が気に入らないようです。ではどんな歩き方なら良いのか、わたしなりにいろいろ歩き方を変えてみたところ、どうにかヤフーの納得できる歩き方ができたようで、ヤフーも満足そうな顔をしました。
ところが、今度は鞭を、草を刈る鎌に持ち替えて、その尖った刃でわたしのお尻を叩いたのです。その痛さといったら――これまでに味わったことのない激痛をおぼえました。鎌はわたしの皮膚のみならず、その下にあった筋肉の一部まで切断してしまったのです。
なんでそんなことをされたのか。歩くだけでさんざん手こずらせやがって、と怒ったからだろうとその時は思っていましたが、あとになって真相がわかりました。わたしのお尻の形を良くしたかったからでした。実はもうすぐ、馬市という、フウイヌムを売買する市が開かれることになっていて、そこでわたしが少しでも高く売れるよう、見た目を良くしたかったらしいのです。鎌で筋肉を切ったのはそのためで、馬喰たちはそのことを「拵える」と呼んでいました。他にも、毛並みを揃えたり、尻尾を切たっりするそうです。もっとも、わたしにやった「拵え」は失敗だったようです。お尻の形が良くなるどころか、その後、ずっとわたしは足を引きずって歩くことになったのですから。
その馬市がいよいよ開かられることになりました。
場所は広々とした野っ原で、そこに400から500のフウイヌムたちが集められました。いえ、正しくはフウイヌムはわたしとピエだけで、他のものたちは、この国の呼び方で「ウマ」と呼ぶことにいたしましょう。同時に、ヤフーのことも「ヒト」と。
馬市の目的は、ウマの売買であるわけですが、多くのヒトが集まることから、お祭りのときのように、露店が出たり、役者が芝居をしたり、また遊女が客を取ったり、大賑わいでした。
ウマの売買は談合松と呼ばれる松の木の下で行われます。通常、金貨5枚から8枚が相場なのですが、わたしとピエには破格の値段がつきました。なんと金貨10枚。馬喰は馬盗人からふたり合わせて金貨5枚で購入しましたから、なんと4倍に膨れあがったわけです。
理由はわたしたちのからだが他のウマたちとくらべて格段に大きかったからです。理由を訊かれて、馬喰は外国のウマだからと弁明したそうですが、それはあながち間違いではありません。わたしたちは日本いがいの外国から来たのですから。
わたしとピエを購入したのは、とある藩でした。わたしたちは藩が経営する牧場(藩牧)につれていかれました。その牧場は高さ8尺ほどの柵に取り囲まれた傾斜地で、100頭ばかりのウマたちが放牧されていました。
藩が欲するのは何より戦争に使う軍馬です。もっとも、徳川の世になってからというもの、この国から戦争がなくなりました。それでも、武士階級では馬に乗ることがステイタスで、また偉い人への贈り物としても重宝されました。
しかし、わたしとピエは軍馬として買われたわけではありませんでした。わたしは、前にも申しましたとおり、馬喰の拵えによって臀部の筋肉を損傷し、歩行が困難であります。では、何のためにかと申しますと、種馬にするためです。つまり、わたしに子供ができれば、その子はわたしのように日本のウマより一回り大きい体をしているから、軍馬にはうってつけ、というわけです。そして、その相手に選ばれたのが、ピエだったのです。
野守あるいは名子と呼ばれる者たちが数人がかりでわたしたちをけしかけますが、わたしもピエもそんな命令には従うことはできませんでした。ピエのことは、嫌いなわけではなく、むしろ大好きです。おそらくピエもそうだったと思います。しかし、それでも拒んだのは、言うまでもありません。あなたは他人の前でそんな恥ずかしいことができますか?
フウイヌムとしての尊厳を貫いたわけですが、ヒトがそれを理解できるはずもなく、それは不幸な結果をもたらせました。
わたしができないというのなら他のウマにと、別の種馬にピエを犯させたのです。筋骨隆々なだけの、知性が微塵にも感じられない粗暴なウマが、ピエに背後から乗りかかり、鼻息荒くセックスするのは、直視に耐えませんでした。
痛ーい、痛ーい、イェドさん、助けてー。
なにもできないわたしに必死に助けを乞うピエの悲鳴がいまでも耳にこびりついて離れません……。
(つづく)
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