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独身、子なしの”おばちゃん活動”は、結構楽しい

思いを引き出すインタビュアー、鯨井啓子です。

先日、こんな記事を書きました。

個人の自由が尊重され、それぞれが自立し、ゆるやかに依存し合える共生社会づくりの一助となりたいという思いと、そのために必要な、お母さんを”神”としない仕組みを作る、いのちひとつひとつが尊重されるべきことを伝える、弱さの情報公開という3つの内容を柱にしていきたいという概要を書きました。  

それぞれに、なんでそれが必要だと思ったのかについてはなかなか今日はまずひとつ目、お母さんを”神”としない仕組みを作るために個人的にやっている、おばちゃん活動について説明したいと思います。

(毎度書いていますが、多くの方がおっしゃっていることですが、私のことばで書くことで届く方がいらっしゃるかもしれないので書いています。)

1)お母さんを神様にしないために
2)私がおばちゃんに助けられた時のこと
3)私の”おばちゃん活動”

お母さんを神様にしないために

お母さんが”神”になっちゃうのはなぜなのか。それは、お母さんしか頼れる近くに大人がいないからです。(それがお父さんやおじいちゃん、おばあちゃんであるうちもあると思います。主たる養育者ということで、便宜的にお母さんということばを使います。)お母さんとこどもがマンツーマンでいる環境では、どうしても命をゆだねられているお母さんに神様的な権限が与えられてしまう。しかしそれは、こどもにもお母さんにも息苦しい環境なのだと思うのです。

私たちがこどもだったころよりも、積極的に子育てをするお父さんが増えました。社会の仕組みも変わってきました。それでも、まだまだ追いついていない部分があるのだということを、身近にいるママたち、そしてメディアなどからも感じます。

ならば、その子の存在を愛おしく思い、関わることを喜びとする大人がもっといてもいいんじゃないか。そんな存在が人生の中にいるということは、たとえ自分が親になるという選択をしなかった人にも、今まで身近にこどもがいなくてどうしたらいいか分からないという人にも、とても実りあることになりうるのではないかと感じるのです。

私がおばちゃんに助けられたときのこと

父、母、兄、私の4人家族の中、私は郊外の子育て世代の多い住宅街で育ちました。近所にもこどもがたくさん。30年ほど前のあの時代はまだまわりは専業主婦ばかりだったので、日々だれか大人の目がある中で路地を遊びまわり、お昼ご飯も持ち回りでそれぞれの家に集まって食べるということがよくありました。

気の休まらない家庭で育ったこともあり、身の危険を感じたら近所の友達の家に駆け込めて、理由も聞かれないでボーっとできた。あるいは近所のおじさんがその家の子どもたちと一緒に、公園などに遊びに行ってくれたりもした。これは本当に私にとってありがたいことでした。

近所のおじさんもおばさんも大きな意味での私の家族だったのだと思います。そして、こういうときにはこの人に、こういうときにはあの人に助けてもらうと、自分の中で相性やその人の特徴を見極めて付き合えていた。そしてそれぞれのおじさんおばさんが、できる範囲で愛を持ってそれに答えてくれていた。このことが幼かった私の心をどんなに軽くしてくれて、守ってくれていたかと思うと、感謝しても感謝しきれないのです。

では、家族がいて、近くに住んでいないと家族にはなれないかというと、そんなことはないのです。その当時まだ独身で、電車だと2時間くらいかかるところに住んでいたおじたちの存在も、私の大きな拠り所でした。忙しいのに、遊んでくれる。誕生日プレゼントを一緒に選ばせてくれる。成長を喜んでくれる。こんな人がただいてくれること。それは本当に安心できることでした。

関わり合いの濃淡はあれ、性格や嗜好の多彩な大人が、自分のことを愛おしいと思ってくれている。そしてその大人たちも、その子の成長が嬉しい。そんな緩やかな愛情でできている関係性が、少しずつでもお母さんを神の座からおろしていくのではないでしょうか。

私の”おばちゃん活動”

おばちゃん活動も、基本的には無理をしないことが大切です。町ゆくこどもたちを愛おしいという目で見ているだけでも、邪険にするよりはるかに空気が柔らかくなる。有益なことです。

それよりもっとおばちゃんしたい!というときに関わりやすいのは、気心が知れた友人だと思います。私がはじめてこどもの成長を間近で見ることになったのは、7年前。仲の良かった友達に赤ちゃんが生まれたのがきっかけでした。その子の家に遊びに行って、ごはんを作るのを手伝う。あるいは、お弁当などごはんを持って行ってあげる。赤ちゃんと一緒に遊ぶ。ママがトイレとか洗濯物を取り入れたいとかいうちょっとした不在の間、何とか間を持たす。友人がやりたがってることを子連れでできるよう手伝う。そんなことを、気が向いたときにしていました。

それでも友達は随分とやりたいことができたようだし、その子の成長を一緒に喜べる存在であることに感謝してくれました。私自身も、身近にこどもがいない環境にいたので、小さい子がいることのままならなさや、こんなことなら私にでもできるかも。という自信をもらいました。

おばちゃんとしてこどもに関わるとき気を付けていたのは、手はきれいに洗うこと。こどもの成長によって気を付けないといけないことは変化していくので、それはパパママにしっかりと確認すること。子育てに口出しはしないこと。の3つ。そのほかにも気を付けることはあると思うので、お友達に確認するといいと思います。

今年の春、その子は無事に小学校に入学しました。お祝いを選んで、楽しい学校生活が待っていますようにと願った時間のなんとも言えない充実感を、おばちゃんとして味合わせてもらいました。そして、本当に大変だったパパとママを、よく頑張ったねとねぎらうことができ、そのことばが相手にもとても大きな意味を持ったことがとても嬉しかったです。なぜならそれは、子育ての奮闘を近くで見ていないとできないことだから。

こどもの存在を愛おしく思い、できる範囲で愛を持って接する大人。それがおばちゃんです。男性の場合はおっちゃんでいいと思います。それは世の人のためにもなるし、まわりまわって自分の人生も豊かにしてくれる楽しい経験です。まずはまわりのこどもたちをかわいいなぁと思うところから始めてみませんか。


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