見出し画像

えっ、卵巣が?①卵巣嚢腫からの妊活

40代ラストで卵巣脳腫が悪性に変化し、手術⇒化学療法となった私。
それまでの経緯を振り返っていきます。


タイムリミットは半年! 卵巣嚢腫から突然の選択を迫られる

振り返れば十数年前の話。たいした人生設計なんてなかったけど、予想よりちょっと遅めの30代後半で結婚した翌年、東日本大震災が起きた。
放射能の子どもへの影響がささやかれる状況となり、友人の妊娠や出産の話を聞くたび「この状況が落ち着くまで、2~3年は心配だよね」なんてオットは言うのだが、落ち着く頃に私たちは何歳?
「子どもがほしいなら年齢が上がるほどのんびりしていられないのになあ」と、37歳の私は体のタイムリミットのほうが気がかりだった。仕事(雑誌の編集)の関係で妊娠・出産まわりの知識があったため、余計に焦る気持ちがあったから。そんな気持ちにふたをして、なるようにしかならないと努めてぼんやりしていた。

そもそも私は普通に妊娠できるのだろうか?という不安もあった。 
じつは「卵巣嚢腫」という病名を始めて知ったのは20代半ばの頃だ。痛すぎて出勤できないほどの腹部激痛で産婦人科に救急搬送され、卵巣嚢腫が見つかる。検査の結果、中身は良性の液体だったため、簡単な痛み止め注射程度での日帰り手術(経腟的嚢腫内容吸引術)を受けた経験があった。

その経過観察はとっくに終わり、30代では生理痛がひどく通院していた時期もあったが、低使用ピルが体に合わずに脱落。なんとなくそのまま産婦人科から足が遠のき、検診もしばらく受けていなかった。

久々の子宮がん検診を兼ねて訪れた産婦人科のクリニックで、ドクターが少し険し気に言った。
「子宮のほうは問題ないけれど……それよりも問題なのは卵巣よ」

えっ?また卵巣? 
右の卵巣に腫れが見つかった。MRI検査の結果、今回の内容物は子宮内膜。そのままにしておくと癒着や癌化する恐れがあるという。大きさが5㎝以上になると手術が必要だが、現状はギリギリのサイズだとういう。治療方法は生理を止めること。

「手術」「癌化」というショッキングな言葉に引いている間もなく、たたみかけるように新たな問題を突き付けられた。
「お子さんをどうするか、考えている?」
子どもがいる未来を考えているなら、選択肢は2つ。

  • 年齢的なことがあるので、妊娠を望むならまずは妊娠を優先。生理が止まることで腫れが小さくなる可能性がある。

  • 半年様子をみて妊娠せず、かつ腫れの大きさに変化がなければ、先に手術を検討したほうがよい。


38歳。「手術が怖い!」の一心から、プチ妊活が始まった。

「手術は嫌なので、まず妊娠を目指します」
そう決心したものの、クリニックで手始めに指導されたことはイメージしていた積極的な不妊治療ではなかった。まずは婦人体温計で毎日検温し、排卵があるかを確認するという、自然周期によるタイミング療法。

「なんだ、それだけか…」と心細い気持ちになった。それでうまくいかなければ、しかるべき不妊治療専門の病院へ、となるが、そんな悠長なことを言っていられるのだろうか? なにせ時間がない!

手術を避けるために=妊娠するか、卵巣嚢腫のサイズを小さくするために、もっと積極的にできることはないだろうかと、ひたすらネット検索。

冷え取りソックスを履き、半身浴で長風呂。体力をつけるために、柄にもなくランニングも始めた。
そして予約の取りにくい、保険のきかない(=かなりお高めの)漢方薬局(サロン)にも通うことにした。ここでまたも2つの選択肢。

「卵巣嚢腫を小さくすることと、妊娠すること、どちらに重点をおく処方にする?」

妊娠することは、卵巣嚢腫が小さくなる可能性も秘めている。さらに、病気を小さくするという消極的な理由よりも、「子どもを産む」という積極的な未来に投資をしたかったから、「妊娠」と答えた。

100年前の日本人が食べていたものを食べ、早寝早起きへと生活を一変

ここでお世話になった漢方薬局にはかなり厳しい生活指導があった。

  1. 夜は9時に寝ること! 当時の私はまだ帰宅もしていない時間。そこからご飯食べてお風呂に入って録りためたドラマを見たりネットサーフィンしたり……寝るのは午前2~3時。「ムリです」と懇願すると、11時、せめて日付けが変わる前には寝ましょうと。それでもかなりムリをして実践すると、不思議なことに片頭痛の頻度が減っていった。

  2. カタカナ食からひらがな食へ! つまりは「100年前の日本人が食べていなかったものは食べない!」というルール。甘いものやアルコール、食品添加物を含むものも極力避ける必要がある。毎日食べたものを記録し、メール送信すると、1週間分の添削が戻ってきた。私の場合、きつかったのが甘いもの。チョコホリックの異名を持つほどチョコ好きなのに、なんだかストイックになるスイッチが入ってしまい、職場でもらったお土産にもこの頃は手をつけなかった。

私をそこまでさせたのは、「タイムリミットは6カ月」「妊娠しなければ手術かも」の重圧と不安。幸いにも、ほどなく妊娠が発覚し、保険のきかない漢方薬に数万円払ったのはたった1カ月分で済んだことは本当に助かった。

その後、2歳差で立て続けに姉弟を高齢出産!
病気きっかけの決断だったが、おかげでかわいい家族が増えた
(現在は2人とも小学生。写真は保育園時代)

つづく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?