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ピアノを弾く人

ピアノのコンクールを聴きに行ってきた。学生時代からピアノの試験や発表会、コンサートなどは散々聴いてきたと思っていたけれど、コンクールを聴きに行ったことはなかったと気づいたのだった。
そんなに大きなコンクールではないものの、お世話になっている調律師さんがステマネ、調律をしていたり、この前、お話を聞かせていただいた人が審査員だったりで、縁もあって、行こうと思い立った。
とはいえ、先月に読んだ「蜜蜂と遠雷」の影響が大きいのは事実。
三日間行われるコンクールに全部行くわけにはいかなかったので、一般、大学生の部を途中から聴くことにした。
ホールはそれほど大きくはなく、聴いている人はほとんど出場者や関係者なのではないかなと思うくらい、人はまばらだった。
なので、聴衆の反応から何かを読み取るのは難しいだろうなと思った。
ひとまず一番後ろに座る。なんとなく後ろが好き。審査員はおそらく2階席だろう。
ピアノはSHIGERU KAWAIという割と新しいピアノ(たぶん)。やっぱりグランドピアノは佇まいが美しい。
演奏時間はひとり8分、曲は自由曲。時間を超える場合は途中で切られるが、審査には影響なし、と要項には書かれている。
コンサート形式で拍手あり。
わたしはピアニストではないし、ピアノもろくに弾けないので完全に聴衆として椅子に座った。もちろん審査員とは全く違う聴き方をしていると思う。
ショパンのバラード、ベートーヴェンのソナタ、ドビュッシー、プロコフィエフ、邦人の曲など、選曲は多様。知っている曲もあれば初めて聴く曲もあった。
最初のお辞儀の様子、衣装、椅子の高さ調整、弾きはじめるまでの長さ、弾いているときの表情、音の響き方、ペダルの踏み方、音の残り方。
音楽的なもの意外にも見るところがけっこうあって、おもしろい。
なんでこの選曲なんだろうとか、この部分、この人好きなのかなぁとか、いろいろ考えたりしたけれど、わたしがいいなと思った人の演奏は、そんなことを考える余裕を与えてはくれなかった。
耳が引っ張られる感じ、持って行かれる感じがする。その曲の持つ世界に引きずり込まれる。もしかするといい小説を読むときと同じかもしれない。
終わったあと、あぁもっと聴きたかったなと思える。
高校のレッスン室はKAWAIのピアノもけっこうあったよなと思い出したりした。あの頃は誰かが毎日何かを弾いていて、もうショパン、シューマン聴きたくないわと思ったりしてたのが懐かしい。

次の日にインターネットで結果発表を見た。わたしがいいなと思ってた人は入賞していなかった人もいたし、している人もいた。1位の人は聞き逃してしまっていたので残念。
あーあの人、入らなかったのか残念。でもわたしの耳はわたしのものなので、いいと思ったのは事実。よかったよ、好きだったよと伝えてあげたい。
だから何になると思うかもしれないけれど、全然知らない聴衆にこうやって声をかけてもらえることの喜びがどれだけ励みになるのか、少しはわかっているつもりである。
視聴者投票もできるみたいなので、やってみようと思う。
いいなと思った理由は、聴いていて楽しかったし、弾いている本人も楽しそうだった。誤解を恐れずに言うなら、コンサート形式ならなるべく制限時間内におさまる曲を弾いてほしいなと思う。(おそらく異論はあると思う)
例えばフレンチのコース料理を途中で出すのをやめるのに似ている気がする。
時間が決められているのなら、定食でもなんでもいい、だって全部楽しみたいから。
彼女は2分半の曲をさっと弾いて立ち上がった。かっこいいなと思った。
ひとりひとりドラマがある。おそらく多くの時間を曲に費やして、向き合ってきた人ばかりだった。
弾く人は美しいなと思った。

#エッセイ #ピアノコンクール #ピアノ  

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