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過去の傷を受け入れる。

起こる出来事はすべて完璧なタイミングで届けられるプレゼントです。

 なぜなら、出来事に良い悪いはないから。私たちの価値基準で、ラベルを貼っているだけです。実は、どんな事も成長するための学びとして自分が用意したもの。これが腑に落ちると、悪い出来事はなくなって、不安や怖れを手放せます。そして、目の前の現実が変わり始めます。 私は、恋でも仕事でも失うのは失敗であり、悪い事だと思っていました。ですが、起こった物事の奥にある意味を探せば、乗り越えるべき課題に気づきます。 つい最近、私はとても大切な人を失いました。以前なら無理にでも用事を詰め込んで気を紛らわせるのですが、このときは次々とこみ上げる感情に振り回されてしまいました。それほどに大事な人でした。悲しみ、怒り、寂しさ、虚しさ…これらの感情は、今回の喪失をきっかけに、過去の傷が呼び覚まされて、さらに痛みを増していきました。心的外傷を受けた子どもは打ち明けた気持ちを、思いやりを込めて聞いてもらえないと感情を抑圧します。こうして凍りついた感情は、同じレベルの苦痛が来るたびに姿を現すのです。 私は3歳のとき、母親と別れる経験をしています。どんな気持ちだったかも思い出せないのに、喪失感や絶望がずっと私の心にこびりついていました。子どもは、親がどんな人間であっても愛されたいと願います。家族を捨てた人でしたが、私は母が帰ってきてくれるのを待っていました。だけど、母は二度と戻ってきませんでした。愛してくれない人を思い続けるのは苦しい。だから、ぜんぶ忘れてなかったことにしよう。私は、母との別れに向き合わず、感情を閉じ込めていきました。 虐待や喪失から生じた不安は、人生を自分でコントロールしなければならないという強い欲求を作り出します。私には、気持ちが制御できないほど人を好きになる前に、関係を無意識に壊そうとする癖がついてしまいました。

人は、自分の過去の体験を すべて受容して初めて、 自身を心から 愛せるようになります。


 「いつかは愛する人に捨てられる」。この思い込みを手放さない限り本物の愛を体験できないと、ようやくわかったのです。そのとき、大切な人を失う経験が、私へのプレゼントになりました。
 人の想いは操れないけれど、自分がどういう心でいるかは決められます。ならば、私は愛でありたい。愛を乞うても得られない悲しみに留まり続ければ、今以上は傷つきませんが、愛を感じる事もないでしょう。自身が愛を表現できれば、まずは私を温かく満たしてあげられます。
 他者も自分も、自然に愛してしまうのではなくて、何があろうとも愛すると決めること。すべての古い感情を手放して、母に捨てられた過去を受け入れられたとき、私は真理をひとつ学びました。何のために生きるのか。その答えに私たちを導くのは、不思議な偶然の一致です。この導きに従うには、いつもポジティブに考え、どんな物事にも良い点を見る能力が必要だと思います。

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