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噺を撮る【中村仲蔵 / 歌舞伎座】

今日12月14日は赤穂浪士の吉良邸への討ち入りの日ですね。

この赤穂浪士による仇討ちを南北朝時代を舞台にした「太平記」に置き換えて演じられているのが「仮名手本忠臣蔵」で、歌舞伎の代表的な演目の一つとなっています。

階級制度の厳しい歌舞伎の世界で、厳しい修行の末に最下級の階級から「名題」という最上位に昇格した初代・中村仲蔵(なかむらなかぞう)。
実在する人物です。

名題になったのに「仮名手本忠臣蔵」で与えられた役どころは、つまらなく、その間に客が弁当を食べる「弁当幕」と呼ばれる幕での「斧定九郎(おのさだくろう)」という端役。
くさっているところを女房に励まされる。

あるきっかけで斬新な斧定九郎を思いつき、衣装や所作を工夫して演じる。
しかし、反応はまったくなく、客席は静まったままだった。
やっぱり受けなかったと、気落ちし、上方へ逃げてしまおうと決意した仲蔵。

最後の舞台が終わり、家に戻ったところへ師匠から呼び出しがかかる。
さぞ叱りを受けるのだろうと行ってみると、見事な定九郎だったと大いに褒められた。
客席の反応がなかったのは、あまりに見事だったので声が出なかったのだと知らされる。
それから一層精進し、大出世したという実話をもとにした噺。

/現在、歌舞伎は東京の歌舞伎座や新橋演舞場を初め、京都の南座、大阪の大阪松竹座、香川の金丸座などで広く上演されています。
一方、江戸時代の芝居小屋は江戸三座の「中村座」「市村座」「森田座」のように座元と呼ばれる興行主(のようなもの)の姓を冠し、それぞれの座の専用劇場でした。
例えば、中村座の座元は代々の中村勘三郎でした。
最近公演をおこなっている「平成中村座」は第十八代中村勘三郎が旗揚げした興行です。

ちなみにこの中村勘三郎、子役時代から勘九郎と名乗っていた期間が長いので(46年間)、私には「勘九郎ちゃん」のほうが馴染み深いです。

「歌舞伎座」は1889年(明治22年)に誕生しましたが、歌舞伎座のウェブサイトにあるように『演劇のジャンルをそのまま劇場の名称としましたが、当時は市村座・新富座などのように座元の名前や地名をつけるのが普通でしたので、歌舞伎座はその存在自体が大変斬新な劇場だったのです。』。