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噺を撮る【紺屋高尾 / 神田紺屋町】

吉原の遊女の中でも最高位の遊女を「花魁(おいらん)」と呼びます。
花魁はその容姿が美しいだけでなく、教養もあり、芸事にも秀でていました。
「傾城(けいせい)」とも呼ばれる通り、一国の主人が夢中になるあまりに国(城)が傾いてしまうほどの女性だったようです。
しかしながら、
「傾城(けいせい)の 恋はまことの恋ならで 金持ってこいが ほんとのこい」
とも歌われているように、やはり詰まるところ金なんですね。
その花魁がいっそう着飾って廓の中を練り歩くのが「花魁道中(おいらんどうちゅう)」というものでした。

その花魁道中で見た高尾太夫(たかおだゆう)に一目惚れしてしまったのが神田紺屋町の染め物屋職人、久蔵。
しかし、大名を相手にするような花魁に自分のような者が会えるわけはない。
それが分かっていても、寝ても覚めても高尾太夫が忘れられず、遂には寝ついてしまった。
恋煩いというやつです。
そこで親方が「10両あれば花魁に会える」、3年間みっちり働いて9両貯めれば、自分が1両足すからそれで会いに行け、と励ます。
それからというもの、懸命に働いた久蔵。
3年が経ち、やっとのことで夢にまで見た高尾太夫に会うことができ、一夜を共にした。
染め物屋の職人では会ってもらえないからと立場を偽り、身なりも整えていた久蔵。
高尾から「次はいつ?」と聞かれ、嘘をつけずに本当のことを打ち明ける。
次に来ることができるのは3年後だとも。
その話を聞いた高尾は久蔵の純粋さにいたく感激し、来年の春に年季(ねん)が明けるから、そうしたら女房にして欲しいと言う。
年が明け、約束通り久蔵の元へ高尾がやってきて、めでたく夫婦になり紺屋を営んだという人情噺。

いつまでもこのような純粋な恋心を持ち続けたいものです。

/ 現在も神田紺屋町という町名にその名を残す「紺屋」。
藍染めをしていた染め物屋のことです。
「紺屋の白袴」という諺や北原白秋の「紺屋のおろく」という詩にも登場します。
神田紺屋町は「こんや」と読みますが、それ以外はこの噺も含めて「こうや」と読みます。
さて、今回の噺の舞台となった神田紺屋町。
かつては藍染め屋が立ち並んでいたそうですが、現在は、私が歩いた限りでは跡形もありませんでした。
江戸を代表する藍染の浴衣や手拭いの大半はこの地域で染められており、「その年の流行は紺屋町に行けばわかる」と言われていたほどだったそうです。