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噺を撮る【明烏 / 吉原大門】

噺に登場する若旦那は遊びが過ぎて勘当されて、ということが多いのですが、この噺の主人公、時次郎は堅物で、それが父親の悩みの種でした。
いずれは店を継ぐ時次郎。
付き合いもあるから少しは遊びを覚えて欲しいというずいぶん話の分かる(?)父親でした。
そこで、町内の札付きの遊び人である源兵衛と太助に時次郎を吉原へ連れて行ってもらいたいと頼む。
お稲荷さんのお籠もりということで二人に連れられて出かけた時次郎。
お茶屋で「お巫女さん」にご挨拶をしたものの、見世に上がって中の様子を見れば、さすがにこれはお稲荷さんではないことに気づく。
時次郎は自分だけ帰ると大騒ぎ。
源兵衛と太助は、さっき入ってきた門の脇には見張りがいて、3人で入ったのに1人で出ようとしたら捕まる、と脅す。
そんな時次郎を見て、ぜひ自分が相手をしたい、という花魁に連れられて部屋へ,,,,,

/ 長屋と並んで多くの噺の舞台になるのが吉原。
浅草の観音様の裏手、現在の住所では台東区千束(せんぞく)にあった幕府公認の遊郭です。
俗に「遊女三千人」と言われていた通り、日本で最大規模の遊郭でした。
吉原で遊ぶのは現在の風俗店とは大きく異なっていたようで、一流の遊女(花魁:おいらん)に相手にしてもらうのにかかる金額は、今の貨幣価値で一晩100万円とも500万円とも言われています。
それというのも、遊郭ではお茶屋で話を通してもらい、その上で妓楼に上がって食事をしながら、芸者の歌や踊りを楽しみ…..といったことを経て、ようやく用意された部屋へ案内されます。それでも、お相手が来たり来なかったりだったようです。
(私は吉原に行ったことはないので、確かなことは知りませんが)
遊郭は、遊女が逃亡するのを防ぐために、堀や塀で囲われており、出入り口は1ヶ所だけで、吉原では大門(おおもん)と呼ばれていました。
この門の脇には見張り小屋があり、女性の出入りは厳しく監視されていたそうです。